後悔4 Hayama Megumi
この音が聞こえる? 笑い返してくれた君の声も、もう——。
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いつもより早く目が覚めて、いつもより早めに家へ出た。
俺は人より寒がりだから。四月になってもまだたくさん服を着込んで、お気に入りのふわふわとしたマフラーに顔を埋めながら背中を丸めて歩くのが日課だったんだけど。この日だけは、恐る恐るそこから顔を出してみる。鼻腔を満たす花の香り。甘い風が頬を撫でて。日の光が背中を暖めてくれたおかげですごく良い気分だった。
どうしようもなく嬉しくなって、思わず笑ってしまった。こんな日も悪くないなと思って。
そうだ、こんな日にはわざわざ学校になんていかなくていい。日当たりのいい草原とかに寝転んで、昼寝して、お菓子食べて。ぼんやりと空を眺めて、眠気に身を預けたい。
想像してみた光景は素晴らしくて、興味のない講義とどっちがいいかなんてはっきりしていた。だからその場で回れ右をして、来た道を引き返そうとした。
「こーらっ! めぐちゃん!」
ついさっきまで垂れ下がっていたマフラーを突然誰かに引っ張られて、危うく窒息しそうになる。それでも逆らって進み続けようとしたけど、敵は手強い。俺が頑張れば頑張るほど、ふわふわから一転、伸びきってもはや凶器と化したマフラーに首が締めつけられていく一方で。
「……苦しくて吐きそう」
「えっ!」
パッと手が離れて自由になったマフラー。よし今だ、と走り出す。今日は素敵な日になるんだから。誰にも邪魔させやしない。
俺は握った譜面を握り締める。だってまだ秘密にしておきたいから。これを声に出してみせるのはもう少ししてから。
草原、というイメージはしたけれど、よく考えたらこんな世界のどこに草原あるんだと気付いて。悔しいけれど結局はいつも通り大学の屋上までやってきた。ドラマや漫画でお決まりの場所だ。時には新たな出会いがあって、時には恋が芽生えて、時には怪しい事件が起こって——。時には、人が鳥になる場所だ。
頭上に広がる空はどこまでも遠く続いている。
つまらない場所から抜け出せばこんな景色が見れるのに。それだけでこんなに胸が弾むのに。明日も、明後日も、この先長く続く毎日はたぶんこんなにワクワクしない。
神様お願いします。どうかこんなつまらない毎日を変えてください。——どんな形でもいいから。
寝転んで、空に笑いかけてみせる。風が強くて案外寒かったらどうしようって心配したけどそんなの必要なかった。
何故だかこの先、どういうことが起こるか分かるような気がするんだ。
しばらくここで思い巡らせて。俺は鼻歌を歌う。こうでもない、ああでもないって悩んでるうちに眠くなる。だから、目を閉じる。
そしたら君が、きっと起こしに来てくれるよね?
あの人はどんな顔して今朝のことを俺に説教してくるだろう。
そうして俺はどうやって言い訳しよう。多分、俺が何を言っても「言い訳しない!」って怒るんだろうな。
そしたら俺は、うるさいなあ、と耳を塞いで。そんなことより聞いてほしい曲があるんだけど、と話を切り出す。
「この音が、聞こえる?」
「うん」
「……俺には聞こえないよ」
そうじゃなくて。
「聞こえないの……?」
「え? 今、何て言ったの?」
「……本当に?」
いや、だから。そうじゃなくて。
俺はそこで想像を止める。
何これ。全然話が繋がらない。もっと楽しい展開を思い浮かべたいのに、うまくいかないもんだなあと膨れ面のまま目を閉じる。瞼の裏に浮かんだあの人は俺が望んだ笑顔じゃなくて。どうして、そんな心配そうな顔してるの。おかしいよね。今日はこんなに素敵な日なのに。
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「……っていう夢を見てたんだ」
だから寝ぼけて
「はいはいそれなら仕方ないな……って言うわけないだろ!? 何だよそれ、言い訳してるつもりか!?」
「だって仕方なくない?」
寝てた間にやっちゃったことなんだから、そこに俺の意識はないし。ということは、これは俺がやったとは言い切れないわけで。いくら怒鳴られてもピンと来ない。ああ、でも
「……なんかごめんね」
でもやっぱり腑に落ちないから「俺は知らないけど」と付け加える。
「んだとこら! お前ほんとに反省してんのかよ!」
なんでそんな苛々するの。本当に理解できないな、なんて。
「……今、何て言ったの?」
「なんで聞いてねえんだよ!」
やっぱお前なめてるだろ、とため息を吐く
「何だよその顔」
「悪りぃ。手、滑った」
「……もう怒った。すごく怒った」
拾い上げてやり返してやろうとしたところで
「うわっ、めぐちゃんが動いてる! レアだね~」
背中に強めの衝撃を受けて前へつんのめりそうになる。それだけでもむっとしたのに、さらに後ろから手回されて抱きついてきたのが誰か、なんて。振り返らなくても分かった。
「葉月重いしウザい。それにその呼び方やめてって何度も言ってるじゃん」
「えー? だって
「俺はその名前嫌いなの」
めぐちゃん、なんて呼ばれるくらいなら、そのまま
「ていうか、バスケするんなら俺も混ぜてよ。ひどいなー。そうやってすぐ俺を除け者にするー」
葉月は不満そうに口を尖らせる。
「どうしたら俺たちがバスケを楽しんでるように見えるの?」
「一人でやってろ」
「はあ!? ちょっと二人とも俺に対して当たりきつくない!?」
こんな日々はいつまで続くのかな。また突然終わるのかな。
人間って色々背負って生きていかなくちゃいけないんだ。それは分かってる。何か一つを選べば、他のものは全て捨てなきゃだめで。何も選ばなければ平穏な日々が続いたんだとしても、それじゃきっと望んだ物は得られない。
ただ、笑ってほしかった。あの人を、悲しませたくなかった。
例えそれが同じことを意味しても、あの時の俺の意識に愛なんていう言葉は浮かんでいなかった。悲しませたくないと言う気持ちそのものが愛なんだって気が付かなかった。どうでもいいって言い続けていたものへの思い入れとか。こんなにも自分が執着していたこととか。馬鹿みたいに、執着していたこととか。
今、それを取り戻したのにはずなのに、どうしてこんなに虚しくなるんだろう。
どうして全て消していってくれなかったの。どうして、中途半端にここに戻って来させたの。意地悪な神様。こんな世界じゃもう、俺が声を出す意味なんて一つもありはしないって知っているくせに。
あの夢の、あの屋上に戻れるんならね。次はこうやってお願いするんだってずっと心に決めて、そうしてまた眠るのに。
俺はいつだってまた、つまらない毎日を変えてくださいなんて言っちゃうんだ。
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もうつまらない毎日を変えてくださいだなんて言わないから。
だから神様、お願い。もう一度だけ、俺に音をください。
その時がきたら、俺は消えたっていい。
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