第三十話

『鼬は不要な道をちゃんと【道切り】して、世界の繋がりを断たないといけないんだよ。それが君たちのお役目なんだから。しっかりしてよね』


「わ、たしは……」


『あやかしであることから逃げようとするな』


「わたしは、鼬」


 ぶわりと全身が熱くなる。お腹が張り裂けそうになるのを歯を食いしばって我慢して、わたしの中のなにかを放出させる。


「古御門家から受け継いだ、鼬! 鼬ノ太郎!」


 鼬が繋いだ道ならば、鼬が【道切り】すればいい。渚が選んだ道ならば、同時にわたしも選べばいい。


「あちら側には――行かない!!」


 扉をくぐろうとするその瞬間、体の中にたまりにたまった力を一気に放出した。影が逃げるように引きちぎれていく。漆黒の穴はどんどん小さくなって、最後は一点に収束するようにして消えた。


「ま、繭子さま。まさか【道切り】を……」


「そんな、どうして……! 切られた道はもう繋げないのに!」


 目の前で閉じてしまった道を呆然と見つめる三郎さんと渚。わたしはどこの力も抜けてしまって、くたびれた人形のようにただただ天を仰いだ。


「よくできました」


 地面に降ろされたわたしに語りかけてきたのは、学帽にボロボロの――チューリップのアップリケをつけた羽織を着た六郎くんだった。


 なにか言いたかったけれど、もう言葉が出てこない。死が迫っているというのに、あちら側へ連れて行かれなかったことに安堵している自分がいる。


 京くんのいない世界に行きたくなかったなんて、きっと誰も分かってくれない。


 だから京くんのいる世界で死にたいなんて、きっと誰も許してくれない。


 それでも最期に、京くんに会いたい。


 視線だけさまよわせると、駆け寄ってくるお父さんに背負われてぐったりとしている京くんの姿が目に入った。自然と涙が流れてくる。わたしはこんなにも京くんのことが好きだったんだ。


「太郎、生きたい?」


 六郎くんが問いかける。わたしは、最後の力を振りしぼって頷いた。渚の涙がぽたぽたと降ってくる。それが暖かい雨のように感じて、わたしはとうとう目を閉じた。


 ▽


「最初はただの興味だった。こっちは兄弟同士で憎み合って、喰らいつくしてあちら側から追い出されたってのに、仲良しこよしの鼬の姉弟が現れたもんだから。ちょっかい出してやろうと思った」


 六郎くんの言葉が頭の中に直接響く。気がつくと真っ白な空間で、六郎くんと二人で向かい合っていた。


「でもその姉弟は本当のきょうだいじゃなかった。なのに互いをかばい合う。本当の兄弟でもそうなれないこともあるのに、そいつらはちゃんと家族をしていた」


 声が出ない。体が動かない。けれど六郎くんの言うことはよく分かる。六郎くんは今わたし達の話をしているのだ。


「弟の方は自分が王であるが故に姉の身を案じ、姉をあやかしから遠ざけていた。姉は姉で様子がおかしい弟を案じ、馬鹿正直に危険につっこんでいって、弟を守った。僕は思ったよ。世の中にはこんなに愚かなきょうだいがいるのかって」


 口をはさむ間もなく、蛇の姿になった六郎くんがわたしのお腹に巻きつく。暖かいなにかが痛みを追いやっていくような気がした。


「お前たちには、僕なんかよりもよっぽど生きる価値がある。蛇の六番目なんて無価値な生物よりもよっぽどね。だから、僕を価値あるものの一部にしてよ。礼ならいらないからさ」


 そして、六郎くんは信じられないくらいに優しい声でそう言った。わたしはお湯に浸かったような感覚のまま、徐々に目を開ける。


「アップリケ嬉しかった。初めてだったんだ、誰かになにかをしてもらうの」


 それは泣きたくなるほど嬉しそうで、暖かい声だった。


 ▽


 キラキラとした光が眩しくて、わたしは思わず目を細めた。渚の金色の瞳が涙でより一層輝いている。次に目に入ったのは顔から出るもの全部大洪水になっているお父さんの顔だった。


「お目覚めですか、繭子さま」


 耳元でぎゃんぎゃん泣いているふたりを尻目に三郎さんはひどく落ち着いた表情をしている。わたしはなにが起こったか分からずに、先ほどまで激しく痛んでいたお腹を撫でてみた。


「痛く、ない――?」


「はい、もう繭子さまのお体は大丈夫です。鉾に貫かれた穴も塞がりました」


 塞がった。なぜ急にそんなことができたのだろう。あちら側へ行かないと治せないと言っていたはずなのに。恐る恐る着物の合わせ目からお腹を確認する。確かに穴はない。そのかわり、お腹を守るように、透明な鱗が張り付いていた。


「これって……」


 白い肌に透明な鱗。それが意味するのはたったひとり。


「六郎が、その身を以てして繭子さまの穴を塞ぎました」


『僕を価値あるものの一部にしてよ』


 そんな意味だとは思わなかった。分かっていたら止めていた。そして、六郎くんが価値がないなんて、二度と言わせなかったのに。


「六郎はきっと、あなた方が羨ましかったのでしょう。蛇は唯一、共喰いをするあやかしです。生き残った一匹が強大な力を持つ。しかしその代わりに家族を失う。六郎にとってあなた方はとうの昔に忘れたはずの家族を思い出させたのかもしれません」


 そんなこと、ちゃんと言ってくれなきゃ分からないのに。ありがとうすら言わせてくれないなんて。


 わたしが寝ているすぐそばに、不恰好なチューリップのアップリケが落ちていた。それを拾うとボロボロと涙がとめどなく溢れてくる。


「ねえ、六郎くん。この未来が分かっていたの? 生きたいって言ったのは、六郎くんがいなくなってもいいって意味じゃなかったんだよ」


 お腹を押さえて何度も何度も呼びかける。そのうち憎まれ口を叩きながら、影の中からひょっこり顔を出してくれるような気がして。

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