八、幸福な蛇

第二十九話

 ずんっと思い衝撃が体に走った。追いかけるように焼き焦がされるかと思うほどの痛みがお腹をかけめぐる。


 うまく息ができない、耳鳴りがひどくて周りの音が聞こえない。


 渚をかばって六叉鉾の一撃を体に受けた。理解できたのはそこまでで、わたしはなにもできずに渚に覆いかぶさるようにして倒れた。


「あ、あ……まゆ、違うんだ。まゆ! あああ!!」


 京くんの叫び声が遠くから聞こえる。京くんのそんな声は聞きたくない。できればずっと笑っていてほしい。


「まゆこ?」


 耳元で弱々しいなぎさの声がする。目が覚めてよかった。なぎさはそのままわたしをひっぺがして、仰向けにさせる。息をするので精一杯のわたしは自分のおなかがどうなっているのか分からずにただひたすら痛みに耐える。


「まゆこ! しっかりしてまゆこ! なんで……僕をかばった!」


 渚がわたしのおなかを押さえながら叫ぶ。よろよろとふらついている三郎さんも視界に入ってきて、なんとか人型になって自分の袈裟をわたしのお腹に巻きつけ始めた。


「なぎさ、きいて」


 体が急激に冷えてきて口が動かなくなりそうだったから、今の内に渚に言わなければならないことがある。


「お父さんとお母さんの子じゃないのは、わたしなの」


「え……」


 渚の金色の目が大きく見開かれる。浅く息をして、わたしは続けた。


 おばあちゃんが保管していたわたしの母子手帳に書かれた両親の名前はお父さんとお母さんのものじゃない。分かっていて渚に見られないようにした。


 わたしの本当の両親がすでに亡くなっているということは、十歳の時に今のお父さんとお母さんから伝えられた。だから十歳の渚にも、もう伝えてもいいだろう。


「わたし、お母さんの、死んじゃったお兄さんの子どもなの。古御門って名字は、本当の、お父さんの名字。黙っててごめ、でもわたしお母さんに、なぎさのおねえちゃんになってって、言われ、から」


「繭子さまもう喋らないで下さい!」


 余裕のない三郎さんの言葉を無視して、息の続く限り話しをする。


「ほんとの姉じゃないって、きづいてたんだよね。うまく、おねーちゃんできなくて、ごめ」


「ちがう、まゆこ。そういう意味じゃなかったんだ、まゆこ、しっかりして!」


 ペチペチと頬を叩かれる感触に、なにも返せない。わたしは顔を横に向けて、京くんを見る。京くんはうなだれたまま舳さんに腕を掴まれ無理やり立たされていた。


「ほら、もう一匹残ってるだろ。やれ!」


 なおも非情な言葉が京くんに投げかけられたその時、バキッという音とともに舳さんの体が吹っ飛んでいった。


「舳やっと見つけたぞ! 子ども相手になにをしてる! まゆこ、なぎさ大丈夫か!」


「おとーさん!」


 舳さんを殴り飛ばしたお父さんは慌ててわたしの元に来て顔を歪ませる。


「これは……いったいなにが」


「鉾に貫かれました。物理的な損傷ではありませんが、繭子さまにとってはお命に関わります」


「そんな! どうすれば……この島じゃあまともな治療なんて」


 三郎さんの言葉でようやく自分が命の危険の最中にあることを知る。あやかしを倒せる鉾に貫かれてしまったのだ。半分くらいあやかしになっているわたしにとっては生きているのが不思議なくらいだ。ひゅーひゅーと喉がなる。涙を浮かべる渚に向かって、三郎さんが険しい表情で言った。


「繭子さまをお助けする方法がひとつあります。次郎さま、鼬の道を繋げて下さい。あちら側には治療の手段があります」


「それって僕とまゆこがあちら側に行くってこと?」


「はい。……ただし、鼬は同じ道を二度と通れません。一度あちら側に渡ったら、二度とこちら側には戻れない。どうか、お覚悟を!」


 遠くなる意識の中で三郎さんの言ったことをゆっくり理解する。あちら側に行けば、わたしのお腹は治る。けれど二度とこちら側には帰れない。


 京くんに二度と会えなくなる。


「やだ……」


 ぽろりと涙が目尻から落ちる。渚はぐっと堪えるような顔をしてわたしを離し、ひとり鳥居の方へと向かって行く。


「死なせない。本当のきょうだいじゃなくても家族になれるんだって、まゆこが教えてくれたんだ。あちら側に行っても僕がいる。僕がずっとまゆこの家族だ!」


 渚が鳥居に手を伸ばす。その瞬間、世界中の音が消えたように、自分の鼓動しか聞こえなくなった。これは死が近いわたしの見る幻覚かもしれない。渚にひっぱられるように、鳥居の中央から徐々に影があふれ出てくる。


 何本もの黒い影が伸びて、ひとかたまりになって、鳥居の中心部にぽっかりと空いた穴のように漆黒の空間を作り出す。


「……お見事です」


 これが渚の作る鼬の道。狭間の王が誘うあちら側とこちら側を繋ぐ扉。


 渚が繋いだ影の向こうには、おびただしい数の人影が列をなしていた。その全員が祭りに来た人のように和服を着てお面をつけている。その人たちが人間ではないことはすぐに分かった。あれは人間のふりをしたあやかし達だ。扉が開くのを待ち構えていたように、大勢が鼬の道に押し寄せている。あちら側からこちら側へ、一歩踏み出そうとしている。


「道を開けよ! 鼬の子が瀕死だ!」


 わたしを横抱きにした三郎さんがそう叫ぶと、ぞろぞろと列を進めようとしていたあやかし達がぴたりと歩みを止めた。そして三郎さんに抱えられたわたしに気づいて、ざわざわし始める。


「鼬の子だ」「怪我をしている」「女の子だ」「死にかけている」


 そんな騒めきが聞こえてきても、わたしの体は言うことを聞いてくれない。だらりと腕が脱力すると、渚がその手を握ってくれた。


「道を開けよ!」


 三郎さんが繰り返すとぱっと海が割れるかのように道が開ける。このままだと本当にあちら側に連れて行かれてしまう。


「おと、さん」


 なんとかお父さんに止めてもらえないか。そういうつもりで呼びかけたのを勘違いしたのか、渚が目を白黒させているお父さんの元へと向かう。


「おとーさん、まゆこを連れて行くね。でも離れていても家族だ。京のこと、よろしく」


「ええっ!?」


 こんな時に限ってへたれなお父さんが渚を止められるはずもなく、渚に勝手にお別れをされてしまった。


 意識がどんどん遠くなる。このままあちら側に行くしかないのか。なにもできないはずなのに、脳内に強烈によみがえったのは六郎くんの言葉だった。

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