第二十七話


 宣言どおり舞台の袖で待機をしていると、白い装束に金の縁取りがされたお面を付けた渚が現れた。わたしは何度も何度も渚の周りを回ってその姿を目に焼き付ける。


「なぎさすごい。陰陽師みたい」


「にたようなもんでしょ」


 その手にはしっかりと神楽鈴を握っている。舞台の周りには渦柄の着物を着た人でいっぱいだ。みんな汐野の人だと思うと緊張する。この中に反あやかし派が潜んでいてもおかしくはないのだから。


「その鈴のことなにか言われた?」


「置いていけって言われたけどなにか持ってないと舞えないって言ったらゆるされた。子どもだから」


「子どもだから」


 本番直前なのに緊張しているそぶりも見せないのは我がおとうとながらすごいと思う。


 とうとう開始を告げるお囃子が響く。がんばってと口パクで伝えると、渚はお面の下で笑った気がした。


 結論だけ言うと渚の奉納神楽は自然とため息が出るほど美しかった。保護者席のお父さんは泣きすぎてお面の下が大洪水を起こしている。汐野家の人達からも感嘆の声が上がっているようだ。


 渚の体の動きに合わせて、神楽鈴の神秘的な音色が山に響いて溶けていく。


 お母さん、見てる?


 渚はこんなに大きくなったよ。


 あの日お母さんがわたしに渚のおねえちゃんになってって言ってくれたから、わたしは渚の家族になれた。


 ありがとう、お母さん。


 舞台を囲むかがり火から天に向かって煙が伸びる。今ならこの気持ちが伝わる気がした。


 渚が頭を下げたのを皮切りに、盛大な拍手が沸き起こる。次は京くんの舞があるはずだが、なぜか終了宣言がされて撤収することになった。


 もうひとつの舞台というのはなくなったのだろうか。それとも最初からガセだった?


 京くんが間違えてわたしに伝えたとは思えない。きっとまた突然の変更があったのだろう。京くんの舞を楽しみにしていたから、少し残念に思った。


 そういえば京くんは今、どこにいるのだろう。



「なぎさ、すごくよかったよ! でも今は走って!」


「せわしないなあ」


 なんとか無事に舞い終えた渚の手を引っ張って下山する。衣装は後日返せばいい。なにより今は身の安全が最優先。お父さんは訳の分からない様子でも走ってついてきているのがさすがだ。

 

 鳥居を抜けたらすぐに石段がある。一気に下りてしまえばお寺もあるし、人目も増えるだろう。


 下駄がどうしてもわずらわしくて、思い切って脱いで足袋で走る。生ぬるい向かい風さえ邪魔くさい。


 一所懸命に足を動かしていると、なぜか突然お父さんがぴたりと止まってしまった。


「ふたりとも、お父さんはちょっと行く場所がある。ふたりでおじいちゃんとおばあちゃんのところに戻れるか?」


「え?」


 お面をずらしたお父さんが見つめる先には、林の中に見え隠れする男性の姿があった。誰かと話している様子のその青年は、わたし達に気が付いて林の奥へと消えてしまう。


 見間違いでなければあの人は舳さんだ。


「お父さんもしかして」


「ああ、ちょっとおとうとと話してくる。これがあれば周りにもバレにくいだろ」


 お面をしっかりとつけて、お父さんは林に消えていった舳さんを追って行ってしまった。頼りなくても大人が付いていてくれた方がよかったのだけれど、お父さんと舳さんは話をした方がいいとも思うから黙ってその背中を見送った。


「早く帰ろ」


 靄がかかる中、鳥居をくぐる。パッと開けた視界に映る空には美しい星が輝いていた。いにしえの島の人たちもこうやって奉納神楽の帰り道に星を見ていたかもしれない。


 渚と並んで石段を下る。ここまでくればもうなにも起こらないかもしれない。一日中緊張していた体から少しだけ力が抜けたその時、一段先にいた渚がぴたりと足を止めた。


「なぎ、」


「しーっ」


 呼びかけようとして止められる。その視線の先には、石段の下でわたしたちを待ち構えるひとつの影。


 渚の衣装とは真逆の夜に溶けそうな黒衣に身を包み、顔には一ツ目のお面を貼り付けた人物が、お面の奥の目でじっとわたし達を見つめていた。


「これより汐野による断罪の舞を始める」


 その人は泣きたくなるほど聞きなれた声で、意味の分からない言葉を発した。手には禍々しい気を放つ六叉鉾を持ちながら。


「京くんやめて!!」


 猛然と、そして軽やかに石段を駆け上がり確実に距離を詰めてくるその人にわたしは渾身の力を込めて呼びかけた。叫びに近いそれを受け流し、黒衣の彼――京くんはまっすぐに渚をめがけて鉾を突く。


 ギャンッと金属が激しく擦れる音とともに、渚がギリギリのところで防御に使った神楽鈴が石段から転がり落ちていった。


「な、なぎさ」


「まゆこは下がってて」


 はらりと渚の着物の袖が落ちる。まるで鋭い刃物で切り落とされたようだ。


 わたしは恐怖に震えながら京くんを見た。顔が見えない、まるで別人のようなのに、体つきや身のこなしのすべてが京くんであることを示している。


 なぜ、京くんがわたし達に凶器を向けるのだろう。悲しみで霞む視界で、再び京くんが構えを取る。


 下段から水平に構えられた武器は、鉾といってもボロボロで朽ちかけている。しかし目に見えるほどの恐ろしい闘気のようなものが欠けを補い、より鋭い鉾を作り上げているように感じた。


 掠っただけで着物が裂けたのは、鉾に当たったからではない。きっとこの闘気に触れて切り刻まれたのだ。


「素晴らしいよ、京」


 階段の上から含蓄のある声が響いた。見上げると、渦柄の着物に般若のお面をした男性が鳥居を背にしてこちらを見ていた。この異様な状況に助けに入らない人物、そして柔らかいようで棘のある声。


「舳……さん」


 先ほどお父さんが追っていたはずの舳さんがそこにはいた。そして弾むような声色で、京くんに向けて叫ぶ。


「そうだ京、鼬をやれ! 鼬がいる限り汐野は呪われたままだ!」


「なっ!」


 わたしは理解した。舳さんが京くんをそそのかしてわたし達を襲わせているのだ。汐野の呪いは島の外に出れば解けるのに。勝手に鼬を悪者にして、京くんを戦わせている。

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