七、祭事
第二十五話
年に一度の祭事を迎えたこの島は、朝から人々の動きが多く落ち着かない。お供物、舞台の設営のチェック、かがり火の準備などを慌ただしく済ませ、昼を過ぎればもう山へと向かって人波ができていた。浮き足立つような雰囲気の中、わたしは静かに潮の香りがする空気を吸い込む。
庭を一歩踏みしめるたびにカランと下駄が鳴る。おばあちゃんに着付けてもらった浴衣は淡い金魚柄。渚は午前中もお父さんとお神楽の練習をして、ようやく遅いお昼ご飯をかっ込んでいるところだ。
縁側から身を乗り出して、同じく笹柄の浴衣姿の渚をぼんやりと見つめる。サラサラの髪を横に流しているから、今の渚は夢の中で会った王の姿そのものだった。
「大きくなったね」
無意識にそんな言葉が出てきて、一拍おいて自分でも驚いた。渚も炒飯を頰に詰め込んだまま、目を丸くしてこちらを見ている。
「うわ、なに言ってるんだろうわたし」
「おかーさんが乗り移ったかと思った」
「あはは」
お母さんもきっと、渚のお神楽を見たかっただろうな。そう思うとやはり渚が舞うのを見届けなければと強く思うのだ。
「二人とも、はいこれ」
着物姿のお父さんが現れたと思ったら、その手には二枚のお面があった。よく見るとお父さんも頭に天狗のお面を付けている。
「なにこれ?」
「祭事にはみんなお面を付けていく決まりなんだ。あ、なぎさはお神楽の時は別のお面をつけるからね」
「はあい」
隈取りのある鳥のようなお面をなぎさの頭に結んでから、わたしの頭には丸い耳をした動物のお面が装着される。
「祭事が始まったらそれで顔を隠すんだよ」
顔を隠して、あやかしか人間かなんて関係なく、年に一度のお祭りで心の交流をする。お面をするというだけでそんな趣旨が現れているように感じた。
「じゃあお父さんはお面かぶって設営のお手伝いしてきます」
「お父さんだってバレないようにね」
「本家に叩き出されないでね」
「うう、分かってるよ」
島は高齢化が進んでいていつも男手が足りない。力仕事をおじいちゃん達だけに頑張ってもらうのはお父さんとしてもいたたまれないのだろう。お面のおかげでこっそり混ざって働けてよかった。お父さんはあやかしじゃないのに、人間に混ざるのにお面が必要だなんておかしな話だ。
「繭子さま、次郎さま。お変わりないようで」
そしてお面の必要もなく人間に混ざるあやかしもいるのがさらに謎である。庭からひょっこり顔を出したのは狸の姿の三郎さんだ。わたしはむすっと頬を膨らませて、いかにも怒っていますという顔をして見せる。
三郎さんのせいで夏休みに渚をお父さんのところに避難させる計画が、わたしまで巻き添えになったことを忘れてはいない。
「三郎さん……この前はわたしの作戦を邪魔してくれてどうも」
「どうか怒らないで下さい。私はただあなたさまの身が心配なだけなのです」
申し訳なさそうに小さな両手をひょいっと上げて、そのままぐるんと袈裟にくるまったと思ったらあっという間に人間の姿に変化した。
「お願いだからそれお父さんの前でやらないでね」
「もちろん、心得ております。次郎さま、これを」
不意に三郎さんが袈裟の中からなにか大きなものを取り出そうとする。自分の目を疑いながら思わず「よじけんポケット……?」と口を滑らせてしまった。三郎さんは構わずゴソゴソやっている。
少しして三郎さんが取り出したのは、渚の肘から下くらいの長さのある――到底袈裟の中には入らないであろう、神楽鈴だった。
シャンッと音を鳴らすそれを渚は渋々受け取る。
「寺に仕舞われていたものです。古いものですが」
「まあなにもないよりマシかな」
「どういうこと?」
頭に疑問符を浮かべると、渚は神楽鈴を手にしてお神楽の足運びを始める。それを見てようやくこの神楽鈴を持って神楽を舞おうとしていることに気がついた。
「鉾の代わりになるものが見つかったんだね!」
「舞台上でなにかが起こった場合、なにもないよりははるかに良いですからね」
手ぶらで踊るよりも様になっていてかっこいいと思ったのに、どうやら祭具としてではなく護身用の武器として使うつもりらしい。
「そのなにかって……やっぱり今日起こるのかな」
鉾が見つからない以上、あやかしにとって危険は常に潜んでいる。ならば渚がこんなにも頑張って準備をしてきたお神楽の日になにかが起こらなくてもいいのに。
「六郎がああ言う以上、起こるのでしょうな。そういうお役目ですから」
六郎くんは【予言】がお役目だと言っていた。だから六郎くんの言葉には未来が見える。対して鼬のお役目は【道切り】だと言われたけれど、わたしは未だにそのやり方すらよく分からない。
「狸のお役目はなんですか?」
「【適応】ですが、正直お役目のことはあまり深くは考えていませんね。私の場合、お役目をせずとも大きな影響がないので」
真面目なのか不真面目なのかよく分からない三郎さんだが、今日はお寺さんとして祭事に参加するようだし、あやかしとして堂々と渚を見守ることができる唯一の存在だ。
「三郎さん、なぎさをお願いします」
「というと、繭子さまはついに留守番することでご納得されたと」
「留守番なんてしない! わたしも舞台の裾で待機してるから、三郎さんもよく見ててねってこと!」
「はあ……この意思の固さはどうにもなりませんね」
「ほんとだよ」
三郎さんの愚痴に渚がこくこく頷く。わたしの機嫌が悪くなる前に三郎さんは退散した。渚は食器を下げて、そのまままたお父さんのところに行くようだ。
ぼんやりと渚の背中を見て、やっぱり一瞬お母さんが乗り移っていたのかもしれないと思った。
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