第二十四話
飛び出そうになった心臓のあたりを押さえて六郎くんの話の続きを聞く。
「僕らにとっての危険分子、汐野家の反あやかし派とでもいうのかなあ。もう当主でも抑えられないのさ。ここまできたらもう祭事になにが起こるか分からない。太郎は明日来ない方がいいと思うけど」
「なにそれ? 反あやかし派って……汐野家ってやっぱり揉めてるの?」
「残念ながら大揉めだよ。一部の人間が僕らをよほど排除したいらしい。君たちは特に恨みを買ってるんだから、さぞ目ざわりだろうね」
「そういうやつらは昔から一定数はいる」
反あやかし派。初めて聞く言葉なのに渚はさも当然のような反応をする。きっと歴代の王の記憶を引き継いでいるせいで、わたしの知らないことも知っているからだ。
「そいつらはさぶろーが昔から監視してる。でも大きな動きはなかったはず。なんで今さら神楽に干渉してくる?」
渚が難しいことをペラペラとしゃべる時は大体あやかしの方の人格が表に出てきている。
鼬の方の渚がこの件を訝しがっているこいうことが、反あやかし派という存在により不穏さを感じさせる。
「三郎の情報によると、なんでも今回の神楽の成功が次期当主の座に関わるとか」
汐野家の次期当主とはつまり京くんのことだったはず。もしも今回の神楽が失敗したら、京くんは次期当主になれなくなってしまうということだろうか。
そうしたら誰が汐野家の次期当主になるのか。まさか勘当されているお父さんではないだろうし。
「反あやかし派が次期当主の座についたら、僕たちはどうなるだろうね」
六郎くんの言葉を理解したとたん背筋が寒くなる。いくら大きな汐野家でも次期当主になれる人は限られているはずだ。その中であやかしをよく思っていない、次期当主になりえる人物といえば。
和服姿の青年、舳さんが一番に思い浮かんでしまった。
「それ予言?」
「いいや、ただの可能性の話さ。けど、ありえる話だと思わない?」
嫌な予感で胸がいっぱいになる。もしも京くんじゃなくて舳さんが汐野家の当主になったら? 鼬を嫌う彼がわたし達をどうするかなんて考えたくない。
「それに、京が反あやかし派にならない保証もない。大人たちにいいように丸め込まれるかも」
「なっ……!」
それだけはない。でも、そう信じているのはわたしだけかもしれない。
わたしが京くんのことを好きだということと、みんなが京くんを信じていないということと、京くんがあやかしをどう思っているかは全部別の話だ。
「とにかく明日の祭事、いつもと違うことが起こる。太郎、絶対に行くなよ」
「や、やだ。だってなぎさはどうするの」
「汐野の家のことなんてどうでもいい。舞ってすぐに帰る。まゆこは家でまってて」
「そんなのだめ! だってお父さんは事情知らないし、わたしがいた方がなにかあった時になぎさを守れるじゃない!」
いつもと違うことが起こると分かっているのに、家で待っているだけなんて絶対に嫌だ。なにを言われてもここは負けられない。渚は身構えるわたしに向かって、ゆるく長い息をひとつ吐いた。
「……まゆこのこと本当の姉ちゃんだと思ってなかった。だから、僕から離れれば人間の方に戻れると思ってた。でも僕とまゆこがちゃんとお父さんとお母さんの子だっていうなら、まゆこは本当に反あやかし派に狙われる。僕の姉だっていうだけで、危ないんだ。だから来ないで」
ひどく穏やかに、しかし意志の強さを感じさせる口調で渚はわたしに言った。懇願のようで命令でもあるその内容を理解したくなくて、わたしはだだっ子なように首を振る。これじゃあどちらが太郎か分からない。
「お父さんは一応、汐野だから大丈夫。でもまゆこはお母さんから鼬を継いでいるから大丈夫じゃない。人間であることを誇りとしている汐野にとっては、例え直系でも身の保障ができない」
「……よく知ってるね」
嫌味にもならない言葉しか出なくて情けない。渚はそんなわたしの呟きに、ぼんやりとした目をしながら応える。
「もうずっとこんなことの繰り返しだ。はるか昔から汐野とは……もう終わりにしたいよ」
空間に虚しく響いたそれは間違いなく王の本心だったように思う。
▽
「そうしたら、おじいちゃんとおばあちゃんは祭事が終わったらお神楽見ずに帰っちゃうんだ」
「人数制限されちゃあ仕方がないねえ。なぎちゃんのお神楽見たかったけんど、まあビデオで我慢するわ」
おばあちゃんと夕食の片付けをしながら祭事の話をしていると、どうやらお神楽の一般公開中止の話は回覧板で島内に知らされているようだ。理由は本州で流行っている感染症への対策のためだというが、そうではないことをわたしは知っている。
「おばあちゃんの分までお父さんと一緒になぎちゃんのこと応援してきてね」
「んー、うん」
おばあちゃんの言葉に気のない返事をして、居間でお父さんと神楽の最終確認をしている渚をちらりと見る。
奉納神楽には来るなと言われたけれど、絶対に行く。そんな強い気持ちを秘めながら皿を洗う。どうなったって渚の舞を見届ける。なにかが起こってもそばにいる。だってわたし達は家族だから。
「ねえホンキで祭事に行くつもり?」
部屋に戻るとすぐに虚空から話しかけられる。驚くこともせずにわたしは畳に大の字に寝そべって、天井に話しかけた。
「行くよ。止めたってムダだからね。舞台の裾からなぎさを見守るの。それで、終わったらすぐになぎさと一緒に山を走って帰るんだ」
「そう……」
鴨居をスルスルと伝って降りてきた蛇姿の六郎くんは珍しく歯切れの悪い相槌を打つ。白い鱗肌に蛍光灯の光が反射して、わたしは思わず目を細めた。
「それもまた僕の運命、か」
「え?」
ぽつりと零された言葉にはどんな意味があるのだろう。聞き返そうとすると威を放つ金色の瞳に遮られる。
「いいか、明日、絶対に次郎から目を離すなよ」
「う、うん」
そんなに念押しされなくてもそのつもりだ。わたしの返事を聞いて満足したのか、六郎くんは廊下の影に潜っていってしまった。
明日が来るのをみな身構えている。
渚は人間として奉納神楽を舞って、それからどうするのか。本人にはとうとう聞けなかった。汐野との争いに、あんなにくたびれたような顔をされたら言葉が続かなかったのだ。
明日はなにも起こらずに、舞い終わった渚と京くんが笑いながら手を振ってくれればいいのに。
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