六、蝉の声
第二十一話
それから渚はすっかり黙ってしまって、わたしとお父さんは悪いことをした子供のように肩を寄せて部屋の隅に座っている。
「なぎさはなんでいきなりお父さんとお母さんの子じゃない! とか言い出したの?」
こそこそ耳打ちしてくるお父さんに、そうじゃないと首を振る。
「いきなりじゃないと思う。多分前からなんとなくそう思ってたんじゃないかな。わたしと一緒にいて、わたしと本当のきょうだいじゃないって感じ始めて、そう勘違いしちゃったんだと思う」
「そうか……」
最初に疑ったのは多分、狭間の王に姉がいることが異例だったから。そこから徐々に渚の中で疑念が積もっていったのだろう。わたしが本当の姉なのか。自分は本当に両親の子なのか。
見た目が違う、名字が違う。ここまで揃っていたら不安にもなる。
「なぎさのこと不安にさせてたんだな。まだまだ子どもだと思ってた」
「子どもだから分かることもあるよ」
「そうだなあ。でもまあ母子手帳見てもう安心したろ。あとは――まゆこのことだけど」
横から顔色を伺うような視線を受けて、わたしは小さく首を振る。
「わたしのことを言うのはもうちょっと待って。できれば祭事の日が終わってからがいい。なぎさを混乱させたくないの」
「ああ、祭事のお神楽があるからなあ。お父さんも子供の頃やったよお神楽」
「えっそうなの」
お父さんは目線を上にやりながら昔を思い出すようにして、汐野家にいた頃の厳しい風習や教育をぽつりぽつりとこぼし、ひとつ息を吐いた。
「なんであんなに練習させられるのか当時は分からなかったけど、実際に舞台に立つと背筋がしゃんとするというか、しっかり務めなきゃって思ったなあ」
「鉾持ってやった?」
「ああ、古ーい鉾だよ。なんか島の悪いあやかしを倒すっていう伝説がある……」
ぼんやりとした知識だが、内容は合っている。やはり汐野家の人はあの鉾であやかしを倒せることを知っているのだ。
「今年、その後にもうひとつ舞台があるかもしれないんだけど、どういうのか知ってる?」
「もうひとつ? いや知らないな……んー待てよ。大災避けの特別な舞があったような気もするけどやってるのは見たことない」
出て行ったとはいえ汐野家の人間であるお父さんも知らない、もうひとつの舞台。わたしはごくりと喉を鳴らして、お父さんに詰め寄った。
「お父さん、ちょっと聞いてきてよ」
「え? どこになにを?」
「もうひとつの舞台のこと、汐野本家に」
わたしの渾身の提案にお父さんは顔を青くしてブンブン首を振る。
「無理無理無理! 家には勘当されてるんだから! 本当は島にいるのだって見つかったらやばいんだよ」
「えー! こういう時くらいお願い聞いてよお父さんのいくじなし! 」
「い、いくじなしって……」
大げさにショックを受けて石像みたいに固まるお父さんを無視し、わたしは渚の様子を伺った。
大人しくしている渚は今にも消えてしまいそうな雰囲気で少し怖い。渚は確かにお父さん似ではないかもしれないけれど、まつ毛が長いところや耳の形なんかは同じ。
きっとそういう『似てる』には自分では気づけないものなのだ。色素の薄い髪や色白の肌はお母さんにそっくりだよって言ったらまた黙ってしまうのかな。
「おとーさん」
うつむいたままの渚に呼ばれたお父さんは石化をやめて渚に近寄った。
「なに?」
「自転車ほしい」
渚の言葉にお父さんが目を丸くする隣でわたしは虚を突かれた。
そういえばそんな話したなという話題をなんの脈絡もなく思い出したように言うものだから、こうして時々渚にはついていけない。
でもそれはわたしの言いたかったことでもあるし、渚が言わなければわたしからは言い出しづらいことだったのだ。
「自転車かあ。確かに島暮らしなら必要だな。いいよ! まゆことなぎさの二台買って練習しよう!」
「練習はまゆこと京とするからいい。それにおとーさんいつもいないじゃん」
「くっ。出張さえ……海外出張さえなければ!」
とんとん拍子に自転車を買ってもらえることになって、わたしは自分の頰が上がっていくのを抑えられなくなってしまった。
「わ、わたしのも買ってくれるの?」
「もちろん。当たり前だよ」
自然に返される肯定に、嬉しさで体が熱くなってくる。わたしは着ていたパーカーを放り投げてその場で渚とお父さんの間に挟まった。
「お父さんスマホかして! 自転車のカタログみたい!」
「かっこいいやつがいい」
「はいはい分かった分かった」
暗かった空気を吹き飛ばすように、わたし達は笑い合った。渚のご機嫌とりってだけじゃない、本当に久しぶりの家族の会話を楽しんだ。こんな日がずっと続けばいいのに、一周忌が終わったらお父さんは仕事に戻ってしまうんだ。
だからお父さんがいるこの数日がわたしの勝負どころだ。渚を守るための唯一の方法はお父さんにかかっている。
▽
お母さんの一周忌は滞りなく静かに終わった。硬い布地の喪服を着て、ただひたすらに三郎さんの袈裟の模様を見つめているだけで時間が過ぎていった。ジリッという
去年、初夏を感じさせるこの音を聞きながらお母さんは亡くなった。
大人が集まって重要そうな話をしているのを他人事のように眺めるこの時間が苦手だ。おばあちゃんの淹れてくれた濃いお茶を飲む。熱くて暑くてどうしようもなかった。
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