第十九話

 三郎さんはきっと最初から分かっていてなにも言わなかったんだろうなと思う。


 しとしと雨が降るのを教室の窓からぼんやりと眺めながら、昨日の三郎さんと六郎くんを思い出す。


 あの日、三郎さんと初めて会った時。京くんから借りた本に六叉鉾のことが書かれているのを見て、汐野家の中に犯人がいると確信したのかもしれない。六郎くんがあれだけ汐野家には近づくなと言ってきたのもそういうことで、ふたりは初めからずっと汐野家を疑っていて、わたしが汐野に関わるのをよく思っていなかったということだ。


 でもそんなのどうしようもない。


 前の席に座る京くんの背中を穴があくほど見つめてから、ふと視線を渚の方へすべらせる。そしてまた京くんの日に焼けたうなじをずっと眺めるの繰り返し。


 人間を好きになった鼬はどうすればいいんだろう。


 もしもの話、この思いが通じあったとして、また過去と同じことを繰り返す。


 自分たちだけよければそれでいいとはどうしても思えなかった。


 だったら島からでればいい。この島にいるから人間に憎まれる。島の外にはたくさんの真人間がいて、ちょっとわたしが混ざったくらいで人間を絶ってしまうことなんてない。


 だからわたしはできることなら京くんと一緒に島の外で生きたいと思う。


 わたしはお父さんとは違うから、ちゃんと渚も連れて行く。


 ▽


「おとーさんもう着いてるかな」


「昼のフェリーに乗ってるはずだから、多分着いてると思うよ」

 

 昨日の夜届いたメールには、お父さんの到着予定時刻と、最近連絡をおろそかにしていたことに対するほんの少しの謝罪が書かれていた。渚がメールの返信が遅いと騒いで大変だったのを思い出すと、謝らなくていいから連絡をよこせと言いたいところだ。


 渚は神楽の練習をお休みにしてもらい、久々の家族団らんに向けて家路につく。ただ、なんとなく足取りは重い。わたしも渚も、お父さんに聞かなければいけないことがある。それはとても重要なことで、下手したら一触即発のムードになりかねない。


 お母さんの一周忌を終えたらすぐに夏休みに入る。そして夏休みの初日が祭事の日だ。もしも渚の機嫌を損ねたらせっかく練習してきた神楽にまで影響が出てしまうかもしれない。なるべく平穏に過ごしたい。そして無事に祭事を迎えたい。


「ねえなぎさ、鉾が見つからなかったらお神楽はどうするの?」


 鉾の捜索は三郎さんが主体となって行ってくれているが、見つかる気がしない。わたしの問いかけに、渚は神楽の足運びをして、両手で鉾を突き上げるフリをした。


「こうやる」


「え、エアーで……?」


「ないんだからしかたないじゃん」


「代わりの鉾を使ったりしないの?」


「あれにかわりなんてないよ」


「あーそう。はいはい」


 ぶすっと頬を膨らませて見せる渚に、両手を上げて降参する。そんなことをしながら二人並んで校門を抜けようとすると、後ろの方から「おーい」という声が聞こえてきた。


「京くん?」


「待ってーまゆ。ちょっとお願いが」


 だいぶ前に教室を出たわたし達に走って追いついた京くんは軽く息を上げている。なにかあったのだろうか。首を横にたおして京くんの言葉を待つ。


「まゆに貸した本、返してもらってもいい?」


「ああ! ごめんね長く借りちゃって。明日持ってくるよ」


「ごめんなー。みよ兄が急に本がないない言い出しちゃって」


「舳さんが……?」


 ふと鼬塚に向けられた冷たい視線を思い出す。鼬を憎む人間の目。京くんは申し訳なさそうに手を合わせながら続ける。


「あやかしの本はまだいいから、演武のやつを持ってきてほしいんだ」


「『演武指南書』だね。うん、分かったよ」


 三郎さんが熱心に読み込んでいる、島に伝わる演武が記録されている本だ。六叉鉾についての記述もあることが少し気がかりだけれど、元々は汐野家の蔵書なのだから返せと言われたら返すしかない。


「急で悪いんだけど頼んだ。なんかさー今年の神楽、少し変更になるかもしれないんだ。それで演武の本が必要になってるらしくてさ」


「それどういうこと」


 京くんに渚がつっかかる。神楽が変更になるなんて初耳だ。渚も知らないようだし、今からでも間に合うものなのだろうか。


「ああ、なぎさの舞は変更ナシだから安心してくれ。ただその後もうひと舞台増えるかもしれないって、今うちで話しててさ。もしかしたらまた俺が舞い手をするかもなあー面倒くさいんだけど」


「もうひと舞台、京くんが舞うの?」


「まだ決定ではないんだけど。てことで頼んだ―!」


 そう叫んでぱっと走り去ってしまった京くんの背中を呆然と見送る。ふと隣の渚に目をやると、渚は感情のこもらない目でずっと京くんのことを見ていた。


「ど、どうしたんだろうね急に」


「汐野本家は僕が気に入らないんだよ」


「えー。なぎさが舞うってことには変わりないし、そんなことは、うーん」


 ないとも言い切れないのが困る。六郎くんの口ぶりからして、渚が鼬であることを汐野家は把握している可能性があるからだ。まあ渚は目立っていたし、島に来てすぐ鼬の道をひたすらに踏んでいたし、その挙動で悟られてしまってもおかしくはない。


 汐野家の中に渚を嫌悪する人がいたら、渚に神楽をやらせたくないと思うだろう。でも、最初に渚に舞い手を頼んできたのは祭主、つまり京くんのお父さんだったはず。


 その時は渚があやかしだと思わなかったということか、あるいは。


「汐野家の中でも揉めてたりするのかな」


 少なくとも京くんはなにも知らない様子だったし、汐野家全体が渚を気に入らないなら舞い手から降ろせばいいだけの話だ。それをしないということは汐野家側にもいろいろな思惑があって、最終的に京くんにも舞わせるということに落ち着いたのではないだろうか。


「名探偵まゆこの推理では京くんのお父さんは味方です」


「証拠は」


「ない!」


 京くんのお父さんは、きっと渚嫌ってない。なんとなくそう思う。


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