五、導火線

第十七話

 とんでもない喧嘩をしたあとのように、わたしと渚は黙ったまま寝て起きて朝ごはんを食べた。おじいちゃんとおばあちゃんがハラハラしているのが視界に入って申し訳なくなるけれど、わたしは別に怒っているわけではない。


 渚に姉だと思われていなかった。渚の中にいる鼬はわたしのことがわからないと言っていたから、人間の方の渚がそう思っていたのだろう。母子手帳が見つからなかった時に泣きわめいたのだってそのせいだ。きっとあのとき渚は確信した。


 鉾を探すと言ったものの、その方法なんて急には思いつかないし、本当に盗まれたのかも分からない。けれど渚を傷つけるかもしれないものを放っておけない。


 思い立ったらいてもたってもいられなくなるのはわたしの悪いくせだ。


 昨日に続いて今日もまた古い地図を握りしめて山を登るという休日を過ごしている。


 今日の目的地は鼬塚ではない。鉾が納められていたという神社に向かって山を登る。こんなことを続けていたら足がムキムキになりそうだ。でももしそうなったら自転車に乗る必要がなくなるかも。


 斜面を踏みしめながら、そんな甘ったれたことを考えていることに気づいて頭を振った。京くんと自転車の特訓をするって約束をしたのだから。


 ハイキングコースを抜けてから、もうすっかり覚えてしまった汐野家のお屋敷までの道をひいひい言いながら歩く。それから舗装されていない山道に入れば、昨日の雨で地面がぬかるんでいて、どうしてもスニーカーが汚れてしまうのが悲しい。


 少しだけ休憩しようと乾いた木の根っこに腰かけてぼんやり空を眺めた。昨日の雨雲が周りの雲まで連れて行ってしまったように、今日は特に晴れている。初夏の燦々とした日差しが知らず知らずのうちに体力を奪っていたようだ。東京よりも涼しいからといって島の夏を甘く見ていた。


「あっつー」


 なにも生まないひとり言が虚しく木々に吸い込まれていく。さわさわと木の葉がすれる音がしつこく耳に残って、早く進めと言われているような気持ちになった。


 ふらふら立ち上がり地図に示された鳥居のマークを目指す。ゆっくりでも確実に目的地に近づいてはいる。そう思っていないと引き返して家でアイスを食べたくなってしまう。


「おいそこのばか太郎」


 とうとうと続く一本道の最中、背後からシンプルな悪口を言われた気がする。振り向くのもおっくうで首だけ回して後ろを確認すると案の定呆れた顔をした六郎くんがそこにいた。


「なに?」


「ぶっ倒れ――せめて人気のあるところで――」


「え? ごめんなんて――あれ?」


 なんだか六郎くんの声がすごく遠くに聞こえるなと思ったら、ぐらぐらと世界がゆれ始めた。


 なにこれきもちわるい、立っていられない。そう言おうとした瞬間、がしりと頭をわしづかみにされて倒れることもできずに六郎くんに引きずられていく。


 乱暴だなあとか吐きそうとかいろいろ考えているうちに、いつの間にか連れてこられた日陰にぽいっと体を放られる。体に涼しい風が通って、ほっぺたがひんやりとした木の床にくっついて気持ちがいい。けれど視界がゆらゆらするのはまだ治らない。


「うーきもちわるい」


「熱中症っていうんだよばーか」


 そう言われてみれば、ぎゅーんと頭をしめつけられるような頭痛もする。そしてろくに飲み物を飲んでいなかった、かもしれない。ぱたぱたと羽織であおいで風を作ってくれる六郎くんを寝ころんだままぼーっと見上げる。


 六郎くんが来てくれなかったらあのまま山道で倒れて誰にも見つけてもらえなかったかもしれない。そう思うと安堵と感謝の気持ちがぼわっと爆発して涙腺を刺激してきた。


「うう、ろくろーくん。ありがとねえ」


「なんだよ急に気色のわるい」


「なんで、わたしがたおれるのわかったの?」


「そういうお役目だから。いいからもうしゃべるんじゃない。おーい三郎! 水持ってきて水!」


 三郎さんもいるの? そういえばここどこ? そう聞きたかったけれど体が言うことを聞かない。湯気が出そうなくらい熱い体が冷たい床にめりこんでいくような幻覚とともにわたしは目を閉じた。


 次に目を開けるとふかふかの布団に寝かされていて、おでこには氷嚢がのっかっていた。そのまましばらく天井の梁を眺めてから、重たい体でのそのそと布団から這い出る。枕元に用意されている水差しが目に入って手をのばした。


 体がしびれたあとのようにだるい。こくりと一口水を流し込むと体が渇きを思い出して気づけば浴びるように飲んでいた。


「ぷはー生き返ったー!」


「それはよかった」


「あっ六郎くん」


 頭がすっきりしてきてミネラルウォーターのCMを真似してみたら、部屋の隅から不機嫌な声が聞こえてきた。見るとむすっとした六郎くんが小さくなって座りながらわたしを観察している。わたしは転がるように六郎くんの側によって同じように隣に座った。


「助かったよーありがとう」


「別に。山で干からびられたら寝覚めわるいから」


 そう言って六郎くんは冷たい手のひらでわたしのおでこや頬に触れる。彼なりに心配してくれているんだと分かってはいるのだけれど、心のどこかでこんなに優しかったっけとも思ってしまう。


「まったく赤ん坊じゃないならもう少ししっかりしなよ。僕だって太陽からは逃がしてやれないンだから」


「それどういう――あ、はい、すみません」


 太陽からは、の意味を聞こうとして、じっとりとした視線に負けた。今はなにを言っても文句を言われそうだ。畳に「の」の字を書いて襲いかかる鋭い眼光をやり過ごしていると、ふすまの向こうから声がかかった。


「繭子さま、お目覚めですか」


「あ、三郎さん?」


 音もなく部屋に入ってきたのは人型の三郎さんだ。そういえば目を閉じる前に六郎くんが三郎さんを呼んでいたっけ。わたしの熱を測ったり脈をとったりする三郎さんに「もう大丈夫」と言うと、ほっとしたような笑顔を向けられた。


「大事なくてよかったです。軽い熱中症のようですね。六郎に連れられてきた時はもうぐったりとしていたので驚きました」


「すみません。昨日も今日も迷惑をかけてしまって。あのここってもしかして……」


「ええ、私が普段いる山寺です。繭子さまはなぜこんな山奥に?」


 どうやら神社を目指していたらお寺に来てしまったようだ。ポケットに入れた地図を見せてそう伝えると三郎さんは納得がいったように頷く。


「なるほど、神社に向かわれていたのなら道は合っています。この寺は神社の敷地内にあるのですよ」


「えっ。神社とお寺が同じ場所にあるんですか?」


神仏習合しんぶつしゅうごう――とまでは言いませんが、昔は神仏一体となった宗教施設は珍しくなかったのです。そもそも私がこの島に来るまでこの寺は寺として機能していませんでしたので、神仏の明確な線引きはこの島ではあまり求められていないのかもしれません」


「へえ……?」

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