第十六話

「ん……」


 そうこうしているうちに渚が目を覚ましたようだ。寝ぼけまなこで三郎さんに気づいて言う。


「あれみつかった?」


「いえ残念ながら」


「そう」


 二人の会話はたったそれだけで、寝たり本を読んだりに戻ろうとするものだから思わず声を上げた。


「ちょっとちょっと、あれってなくなった鉾のこと?」


「はい、いまだ行方は分かっておりません」


「なぎさも鉾がなくなったこと知ってるの? なんで?」


 というか三郎さんとはいつのまにそんなやりとりをしていたのか。鉾のことはつい最近三郎さんに聞いたばかりなのに。んーと唸っている渚を揺らして問う。


「だって僕あれをもって神楽やるのに。ないままじゃこまるよ」


「え? あ、そうか。そうよね。ってそうじゃなくて」


 あやかしを倒せることや鼬を昔減らしたということを知っているのかと聞きたかったのに。そう追及しても渚はしらばっくれている。


「どんな鉾とかどうだっていいんだよ。どうせ見つけないといけないんだから」


「ど、どうだっていいわけないでしょ! そこらへんにあったら危ないものなんだから!」


「まあまあ」


 おでことおでこがくっつく距離で渚と言い合っていると三郎さんにやんわりとめられてしまう。


「だいたいわたしが六郎くんや三郎さんに聞いてようやく最近知ったことを、なんでなぎさは当たり前に知ってるわけ?」


「おもいだすんだからしょーがないじゃん」


 あっけらかんとそう言い放つ渚に、体の中で変な力がこもる。


「思い出す……!?」


「王は代々記憶を受け継いでいますので、次郎さまは先代の記憶や知識を思い出しているのかと」


 三郎さんの説明にふと夢の中の渚に言われたことが脳内に蘇った。


「王が立つたびに、先代の王の記憶を引き継いでいる」


 確かにそんな内容だった。そしてわたしの存在が分からないとも。


 渚は昔々の狭間の王の記憶を持っている。だからあやかしや鉾のことも知っていて、そのうえであやかしはどうでもいいとか興味がないと言っているのだ。


「まゆこはその鉾で僕がしぬとおもってるの?」


「え」


 ぎくりと両肩が上がる。まさにその理由で雨の中を迎えに走ったことを見透かされているよう。渚は至極呆れたように眉を寄せて言った。


「いちばん危ないのはまゆこじゃないの。道切りもできない半端ものなんだから」


「わたしは! まだちょっと人間だから! 狙われるとしたらなぎさでしょ!」


 こんなに心配しているのにこの言いようはなんなんだ。


 なんで、なんで。


「なんでわからないんだよ」


「――っ! それ、こっちのセリフ! 王だかなんだか知らないけど、あんたはまだたったの十歳で、泣き虫で自分勝手で、ひとりじゃなにもできないくせに。なぎさなんてもう知らない!」


 わたしはあやかしがどうでもいいなんて思わない。鼬塚のことを考えると胸が痛い。人間と鼬が分かりあえないのがつらい。歯を食いしばって涙を引っ込める。肩で息をして、黙ったままの渚の反応を待つ。けれど、返ってきたのは全く期待してないことだった。


「まゆこは僕に引っ張られてるだけだ」


「はあ?」


「僕と一緒に生きて、同じものを食べて寝て起きて。そんなことをしていたら人間でもあやかし側に引っ張られる」


「な、に言ってんの」


 普段よりも流暢に、大人びた口調で渚は言う。その視線は畳から全く動かない。


「まゆこは僕から離れれば人間に戻れるよ。だって最初から違うんだから」


 突然、金色の瞳と目が合う。


 わたしのおとうとはこんな目をしない。



「僕たち本当のきょうだいじゃないんだから」

 


 わたしのおとうとは、こんなことを言わない。



 頭の中が、いままでのいろいろな思い出でぐちゃぐちゃになる。渚と一緒に過ごした時間が全部全部否定されたような気持になって、わたしは目元を覆った。


「まゆこは太郎じゃない。人間に戻れる」


「そうだったのですか?」


「僕お父さんとお母さんの子どもじゃないんでしょ。僕たち全然似てないし、僕の母子手帳がなかったのだって。それに僕の名字は――」


「ちがう!!」


 大声で否定する。渚の言いたいことは全部分かるけど言わせない。


 似てないねって言われるのを、気にしていたのはわたしだけではなかった。それでも家族であることだけが救いだったのに。それを渚に否定されたらわたしは、


「じゃあ母子手帳のこと、お父さんに聞いてもいい?」


 ほの暗い表情で渚は問う。わたしはしばらくしてから力なく頷いた。


「いいよ」


「いいんだ」


「だって聞いたってなにも変わらない。なぎさの言ってることはまちがってるから」


「まちがってる?」


 母子手帳を見て、それで渚の気が済むなら好きにすればいい。例えそれで渚がわたしのことを拒絶しても。


 これまで過ごしてきた時間も思い出も、なにもなくならない。わたし達が並んで歩く未来が来なくなっても、いままでふたりで踏んだ地べたはずっとそこにのこる。


 それをどういうふうに自分の中に落とし込むかは渚が決めることだけれど、わたしの中ではずっと変わらない。家族、家族、ずっと家族。ただそれだけ。


「なにも変わらない。だってわたしたちは家族だから。聞いてごらん、お父さんに。でもそれで、わたしが人間に戻れるって、本当に言えるかな。なぎさから離れたら人間に戻れるなんて、なにを根拠に? もう一回言うけどなぎさの言ったことはまちがってる」


 それは自分を守るためだけの言葉で、もはや渚に対するものではない。わたしは渚の考えを否定するだけしてふらふらと部屋を出た。


「繭子さまっ繭子さまっ」


 三郎さんが跳ねるように追ってくる。とぼとぼと歩いているうちに膝の力が抜けていって、階段の下にうずくまった。


「繭子さま……」


 家にはその家の事情がある。外からは見えないし、内側からでもこんがらがっていてよく分からないこともある。それでもわたしは、わたし達がきょうだいじゃないなんて、言ってほしくなかった。それはわたしがちゃんときょうだいになれていなかったと責められているのと同じだから。


「お母さんと約束したの。なぎさのおねえちゃんになるって。だからわたしは」


 これまでがんばってきたのに。


 三郎さんの小さな前足が遠慮がちにわたしの肩にのった。


「私には繭子さまと次郎さまが本当の姉弟に見えます。私は長いこと人間というものを見てきましたが、家族というのはいろいろな形があるのだと思います」


「かたち?」


 ぐすんと鼻を鳴らして顔を上げると三郎さんは鼻先を揺らしてギザギザの歯を見せて笑った。


「私は幼い頃、寺に預けられ寺で育ち、同じような身の上の者たちとともに生きていました。私だけあやかしと化した今となっても、やはりあの頃の家族は特別に思います。繭子さまと次郎さまも、互いが特別な存在であることはなにも変わりませんし、それはこれからも変わらなくてよいのですよ」


 変わらなくてもいい。三郎さんはしきりにそう言うけれど、本当にそうだろうか。渚が変わってしまっても、周りが変わってしまっても、わたしだけが変わらなくていいなんてことが許されるのだろうか。


 渚が間違っているということを正すのはわたしじゃない。ちゃんと説明しなきゃいけないのはお父さんだ。そのお父さんは来週お母さんの一周忌のためにこの島にやってくる。


 全てを知ってしまったら渚はどう思うだろう。変わっていく状況の中で過去は確かに変わらない。でもわたしはきっと変わらなくちゃいけないんだ。


「三郎さんにお願いがあるの」


「はい、なんなりと」


「わたしが太郎じゃなくてもきいてくれる?」


「もちろんです。繭子さまには本のご恩がありますから」


「お母さんの一周忌のときに、お父さんが来るんだけどね」

 

 あとに続けた言葉に、三郎さんは耳をぴくりと反応させる。


「つまりそれは次郎さまを……」


「だって、そうでもしないとなぎさが危ないままだよ」


「ですがそうすると繭子さまは?」


「わたしは鉾を探そうと思うんだ」


 わたしにできることは限られている。でもなにもしないよりはいい。三郎さんの「やめた方がいい」「危ないから」とでも言いたげな視線を受け流して口を開く。


「同じ後悔をするのならしなかったことよりもしたことに後悔する方がマシだってお母さんが言ってた」


 渚にどう思われても、家族として渚を守りたい。危ない鉾が盗まれて渚が危ないなら渚を遠ざけたい。島の誰も手の届かない場所へ。


「なぎさはわたしのおとうとだから」


 たとえ本当のきょうだいじゃなくても。

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