第十五話


 家に帰るとおばあちゃんの笑い声が玄関まで響いていて、わたしは渚と顔を見合わせた。その楽しげな話し声に、お客さんだろうかと首をかしげる。相手の声はよく聞こえない。


「ただいまー」


 そろりと言うと、客間からおばあちゃんが顔を出して、ニコニコしながら言う。


「二人とも。お寺さんがいらしてるから手洗いうがいしたらごあいさつして」


「おてらさん?」


「ああ……お母さんの一周忌の」


 渚の背中をおして言われたとおりに手洗いうがいをし、客間に行く前にこっそりとわたし達に与えられた和室をのぞく。


 そういえばわたしは三郎さんを無視して飛び出してしまったんだった。


「さぶろーさーん?」


 そこに狸の姿はない。小声で呼びかけてみても、返ってくるのは小さな家鳴りだけ。


 本が開いたままになっているから帰ってくる気はあるのだと思う。まさかお客さんの前に飛び出してくることもないだろうし、放っておくことにしよう。そのうちまた現れるに違いない。


「いこ」


「うん」


 渚と客間へ向かう。


「しつれいしまーああああ!?」


 客間のふすまをすぱっと開けた瞬間、わたしはひっくり返りそうになった。


 目の前で見たことのあるイケメン僧侶がおばあちゃんと和やかに会話をしていたからだ。


「こちらは山のお寺から来なさった覚浄かくじょうさん。今回から担当してもらうことになったんよ」


「はい!?」


「覚浄さん、さっきお話しした孫ふたりです」


「山寺の覚浄と申します。どうぞよろしく。雨は大丈夫でしたか?」


 どう見ても人型の三郎さんなのに、おばあちゃんに本物のお坊さん扱いされている。


 あ然として三郎さんを見るとぱちりとウインクをされた。やっぱり三郎さんだ!


「うわさには聞いとったけど、こんな美形なお坊さんが来てくださるなんてねえ」


 おばあちゃんその美形、本当は狸なんです!


 とは言えずに、三郎さんをじっとりとにらみつける。しかし本人は気にする様子もなくにこっとした笑顔で返されてしまった。


 どうしてこうなったのか。家にいるところをおばあちゃんに見つかりそうになって、慌ててお坊さんのふりをしたとか?


 そんな面倒くさいことをしなくても前みたいにさっさと逃げてしまえばいいのに。


「では来週の一周忌ですが、先ほどの段取りでよろしいでしょうか」


「ええ、ええ。構いませんよ。この島唯一のお寺さんは大忙しでしょうが、どうぞよろしくおねがいしますね」


「こちらこそ」


「ちょ、ちょっと待って!!」


 なんだか話がまとまっていくのを慌てて止めた。


 おばあちゃんは三郎さんが本物のお坊さんだと信じきってしまっている。まさか本当にお母さんの一周忌を三郎さんに任せてしまう気なのでは。


 目を丸くするおばあちゃんににじり寄って、耳打ちをする。


「このお坊さんあやしくない? 前と同じお坊さんにお願いしようよ!」


「なにを言うとんの。お葬式の時のお坊さんは東京やし、お父さんとも一周忌はこっちでやるって話になっとるんよ」


「でもでもでもっ」


「それに覚浄さんはこの島ただひとりのお坊さんなんやから」


「へ?」


 三郎さんがこの島でただひとりのお坊さん?


 そのおばあちゃんの言葉をゆっくりと飲み込む。それでもよく分からない。


 考えられる可能性は。


 その一、三郎さんがお坊さんのふりをしておばあちゃんを騙している。


 その二、三郎さんは本物のお坊さん。


 もしも二だった場合、あやかしであるにも関わらず、お坊さんをしているということになる。


 あやかしが普通に人間社会で働いている?


 固まった首をむりやり動かして三郎さんを見る。三郎さんは顔に笑みを浮かべたまま、黙って渚を見ていた。



「はい、私がこの島唯一の僧侶であることは本当です。もともと今日は法事の件でこの家に呼ばれていたのですよ」


「じゃあなんでお風呂入ってたんですかっ」


 おばあちゃんとの話を終えた三郎さんは僧侶の姿で家を去ってから、ふたたび狸の姿で戻ってきた。そしてそのまま座布団におなかをくっつけて、短い前足を使って器用に本を読んでいる。


「つまり、あやかしなのにお寺でお坊さんの仕事してるってこと?」


「はい、ちゃんと寺で修行もしました。まあ狸は元来あちらこちらをふらふらとしておりますので、私のように職についてこちら側にいるものも少なくはないのです」


「へー」


「それに、狭間の王の不在であちら側にも戻れませんしね」


 そう言いながら三郎さんは居眠りを始めてしまった渚をじっと見ていた。わたしはというとどうにも腑に落ちなくて口をとがらせている。


「別に仕事しなくても生きていけるんじゃないですか」


 だって狸なんだから。という気持ちがなかなか消えない。あやかしが人間社会で働くことは悪くはないと思うけれど、人を騙していることには変わりはないのではないだろうか。


 三郎さんは少し考えてからこくりとひとつ頷いた。


「おっしゃるとおり、生きていくだけならば。今さら簡単には死にませんし。では、繭子さまご自身はどうでしょうか」


「わたし?」


 質問に質問が返ってきて、思わず自分自身を指さす。三郎さんはちょこんと座り直して、わたしの目を見て言った。


「御身があやかしと化したなら。それでも人間と同じ生活を望みませんか」


 わたしが完全にあやかしになったら。きっとそう遠くないであろう未来を漠然と想像する。


 鼬になってもわたしはここにいられるの?


 学校に行ける?


 京くんに変わらず話しかけてもらえる?


 そこまで考えてようやく三郎さんの言っていることが理解できた。わたしも、今と同じがいい。


「ねえ、三郎さんって――」


 元は人間だったの?


 そう聞こうとしてやめた。もしもわたしがこの先同じことを聞かれたら、少しつらいから。

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