第十一話
そうして夕食後、おばあちゃんを捕まえて宿題について話をしたら少し困ったことになってしまった。
「まゆちゃんはかわいいしまじめだけどもう少し手先が器用だったらねえ。これから裁縫の特訓でもしよか」
「う、うんお手柔らかに」
おばあちゃんは高速で手を動かしてあっという間にきれいにエプロンを仕上げてしまった。
しまった。これじゃあおばあちゃんにやってもらったってバレバレだ。
せめてと思いポケットだけは自分でつけてみたらひどいつぎはぎの当て布みたいになってしまった。直す気力はない。
むむむとうなるわたしの横で満を持してと渚が身を乗り出して言う。
「おばーちゃんぼくらの母子手帳もってる?」
「母子手帳? どしたん急に」
「宿題で必要なの。学期末までに見たいんだけど……」
「どれどれ、たしかしまってあるはずだわ」
おばあちゃんはよっこいしょと立ち上がり、いそいそと探し始めてくれた。
よかった、どうにかなりそう。
渚と顔を見合わせて胸をなでおろす。
「よかったね、おばあちゃんが知ってて。お父さんは最近メールの返事遅いしどうしようかと思った」
「うん、電話もでないし」
「え、なぎさお父さんに電話したの? いつのまに」
「したけどでなかった。時差あるし」
渚の方からお父さんに国際電話するなんて珍しい。しかもひとりで。なんだか仲間外れにされた気分になる。
「わたしも話すことあるから電話するならいってよ」
「やだ」
「なんで!?」
もしかしたら本当に仲間外れかもしれない。渚とお父さんが男同士楽しげに内緒話をしているところを想像して少し悲しくなった。
「あったあった」
引き出しをごそごそやっていたおばあちゃんの声に二人そろって顔を上げる。黒い手帳ケースを手にして戻ってくるおばあちゃんに渚が飛びついた。
「見せてー!」
「はいはい」
ぱっとケースが開かれる。そして一拍後、今度は三人そろって首を傾げた。
ケースの中には一冊しかなかったからだ。
無地のピンク色のカバーがかかったそれの中身をわたしが確認する。
「えと、これはわたしの母子手帳だ」
「ぼくのが……ない」
「ありゃ、なぎちゃんのは預かってなかったかね」
「なんで!?」
「ちょっとなぎさ落ち着いて」
みるみるうちに顔を真っ赤にさせる渚に、わたしとおばあちゃんは困惑する。
「まゆこのがあるのにぼくのがないなんておかしい!」
「きっとお父さんが持ってるんだよ。東京に借りてるアパートにあるって。今度聞いてみようよ」
「こんどっていつ? 電話でないじゃん!」
すっかり癇癪をおこしてしまった渚をなんとかなだめようとするが難航する。ついにぼろぼろと涙を流し始めてしまった渚を見て、おばあちゃんがおどおどしながら言った。
「今度お父さんが島にくるけんね。お母さんの一周忌は島でやるから。そのときに聞こうね」
「もういらない!」
「なぎさ! いい加減にしな!」
頭に置かれたおばあちゃんの手を乱暴に振り払うものだからつい声が出た。渚が泣いたり喚いたりするのは小さい頃から慣れっこだけれど今日は特別様子がおかしい。
わたしに叱られた渚はぐっと唇をかみ、そのまま和室へ走って行ってしまった。
「かわいそうなことをしたねえ。ちゃんと覚えてなくてごめんね」
「おばあちゃんは悪くない」
わたしは畳に放られた母子手帳を拾って、ケースに戻す。
「あんね、まゆちゃん。まゆちゃんの手帳だけがあるのはね」
「うん。分かってるよ、おばあちゃん」
渚が感じているであろう不安の種は、なんとなく察している。
▽
また夢を見ている。渚が石段を登っていくのを見ている夢。少し違うのは足元にたくさんの小動物を連れていること。たくさんのうさぎやねずみが渚に付いて行っている。
わたしはなぜか乗れもしない自転車にまたがっていて、石段の下で途方に暮れていた。
「まゆこー」
「待ってって言ってるでしょ」
楽しそうにトントンジャンプして、渚の姿はそのまま消える。
気がついたらわたしの横には静かに目を伏せた着物姿の渚が立っていた。
「我々は代々記憶を共有しているんだ」
「なんて?」
よく見ると渚の姿をした別人だ。わたしは勝手にこれが渚の中にいる鼬の姿なのだと確信する。
「王が立つたびに、先代の王の記憶を引き継いでいる。しかし、その中でも王に姉がいたことはない。これまで王は必ず長子であった。繭子は極めて異例、ならば王にとっての何者だろう?」
なんだかよく分からないが、とにかく鼬の王にとってわたしという存在が異例であることは分かった。
渚が「初めての姉ちゃん」と言っていたことに関係がありそうだ。
「あやかしにも分からないことってあるんだね」
夢の中だし言いたいことが言える。渚の中で渚の割合を削っている相手にも、わたしのことが分からないのは優越感がある。
「知らないの? わたしはなぎさの
目の前の渚は不思議そうに目を丸くした。
▽
夢から覚めた後、強烈に印象に残っていたのはもうひとりの渚やよく分からない話の内容ではなかった。
わたしが常々コンプレックスを抱いていることが夢にまで現れてしまったことがショックだったというだけで、一日がブルーになってしまうのがつらい。
昨日散々騒いだからか、ランチタイムでも半分寝ている渚の口に給食を放り込みながら、わたしは京くんに夢の話をして慰められていた。
「夢の中のことなんて気にすんなよ」
「でも……やっぱりダサいじゃん」
「そんなことないって」
京くんはそう言うけれど、それは自分ができるからだ。わたしはやっぱりわたしがダサい気がしてならない。
「だってもう小六なのに、自転車乗れないなんて!」
「別にそんなのいいって。今まで必要なかったんだから仕方がないだろ」
コッペパンを渚の口に突っ込みながら、自転車の必要なかったあの頃を追想する。なにをするにも徒歩で事足りる、公共交通機関が充実した東京暮らしだったから自転車がいらなかった。というのは言い訳で、自転車に乗れる子達を羨ましく思っていたのは事実。
正しくは、自転車に乗る練習に付き合ってくれる親がいるのがうらやましかったってだけ。
「そもそも自転車持ってなかったし、練習の仕方も分からなかったの」
ポツリとこぼす言い訳にすら京くんは優しい。
「じゃあ俺ので練習する?」
「え? 自転車?」
「おー。さすがに補助輪はないから、後ろで支えててやるよ!」
急な提案に目をぱちくりさせていると、静かだった渚が不意に口を開いた。
「京はビーチバレーの練習があるじゃん」
「え? あーそうか。そうなんだよなー。本州のチームとの試合が近いから練習時間増えてるんだった。すまん」
「いいよいいよ、ありがとね」
京くんと自転車の練習はしたかったけれど、バレーの試合の方が大事だ。京くんの所属する小さなビーチバレーのチームはとても頑張っていて、島一丸となって応援しているのだから。渚が言ってくれなければ京くんの優しさに甘えて負担をかけていたかもしれない。
「試合がんばってね!」
「おう!」
京くんと拳を合わせるのを、魚のしっぽを食んだ渚がぼんやりと見ていた。
「ねー、京。ぼくにも自転車かして」
「おお、いいけど。なぎさは乗れんのか?」
「これかられんしゅーする」
「じゃあ、俺の試合終わったらまゆとなぎさの自転車特訓だな!」
あまりにも普通な渚の様子。昨日の癇癪が嘘のようだ。朝はまだ少し機嫌が悪くて、おばあちゃんに気を使わせていたのに。
それに渚の方から京くんにものを頼むのは珍しい。嫌いだとか言ってなんだかんだ京くんのことを頼りにしているんだ。渚もわたしと同じで、自転車に乗れないことを気にしていたのかもしれない。
わたしはなんとなく、自転車に乗れたら夢の中の渚に追いつけるような気がしている。だから階段を下りてきてほしい。この前みたいに、一瞬でいいから。
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