三、日和見
第十話
どうでもいいとまでは言わないけれど、人間だろうがあやかしだろうが流れる時間は変わらない。
放課後、教室で本を読みながら渚を待つ時間だっていつもと同じ。半分人間じゃなくなったって、宿題はやらないといけないし。
足元に置いた裁縫セットをちらりと見て重いため息をつく。今日は運悪く家庭科の宿題が出てしまった。裁縫の授業で時間内にエプロンが縫い終わらず、持ち帰って完成させることになったのだ。
原因は多分わたしの絶望的なセンスの問題と技術の問題が重なり合っていて、特にまつり縫いなんてクラスで一番へたくそな自信がある。
「今のうちに進めておくかあ」
気分は全く乗らないが後回しにしても仕方がない。本を閉じてのろのろと裁縫セットを机に広げる。針に糸を通すのだけは得意。それからゆるゆるちくちくとエプロンになるはずの布に針を刺していると、
「なにしてンの?」
と急に背後から声をかけられた。たまらず肩が跳ねる。その結果手元の針は見事に逆の手を刺してしまった。
「あいたっ!」
「太郎はまぬけだねえ」
「六郎くん! 驚かさないでよ」
人型の六郎くんはにやにやとしながら前の席――京くんのいすにどっかり腰かけた。わたしはぐちゃぐちゃの縫い目を見られないように広げた布を両手でかき集め机の中にぎゅうぎゅう押しこむ。
「続けてていいよ。見ててあげる」
「へただからやだ」
「あっそ」
「ねえ、教室にまで入ってこないでよ」
たまたま今はわたしひとりしかいないけれど、いつ誰が入ってきてもおかしくない。
「三郎と会ったんだろう? なに話したか教えてよ」
「どうして?」
「太郎と次郎は僕が見つけたんだから。余計なことしゃべってないか気になって」
余計なことってなんだ、自分に関わることで余計なことなんてない。わたしは六郎くんから顔を背ける。
「王について聞いたの。六郎くんが教えてくれないから。あとはわたしが……」
そこまで言ってから、ひとつ息を吸う。
「わたしがもう半分あやかしになってるってこと。それくらい。もっと聞こうと思ったらどっか行っちゃった」
「本当にそれだけ? なにを聞こうとしたの」
今日の六郎くんはやけにしつこい。わたしは机の木目を数えながら六郎くんの眼光を見ないふりをする。
「――鼬が昔なんて呼ばれてたか、知りたかったの。本で探したくて。でも聞けなかった。それだけだよ、なにか悪い?」
やけくそになってそう言い放つと、六郎くんは笑いながら、でもいつもよりも真剣に応えた。
「悪い? まあまあ悪いね。でも三郎の賢明さに救われてる。よかったね相手が馬鹿じゃなくて」
「それは、」
どういう意味? と続くはずだった言葉は六郎くんの人さし指に遮られた。
「いいこと教えてあげる。この島で穏やかに暮らしたいのなら鼬であることをお友達の汐野に知られるな。これ以上なにも知ろうとするな。それができないのなら鼬としてあちら側へ帰れ」
「なっ」
なんて言い草だ! わたしからすれば六郎くんが京くんを目の敵にする理由がわからないし、自分たちのことを知ろうとするのが悪いこととは思えない。おなかの底からむかむかとして、飄々としている六郎くんをにらみつける。
どうせ口では敵わない。
「ご忠告どうもありがとう! お礼にそのボッロボロの羽織、直してあげる。かして!」
「は?」
六郎くんの肩にかかっているだけの羽織をパッと奪いとって思いっきり針をぶっ刺すと、六郎くんはあんぐりと口を開けた。
いい気味だ、このまま裁縫の練習台にしてやる!
そう意気込んだはいいものの、いざ始めてみるとこれがなかなか難しい。がたがたの縫い目が増えていくのに、なぜか六郎くんは怒りもせず黙ってわたしの手元を見つめていた。
「へたくそ」
「う、うるさいな」
「――ありがと」
「え」
嫌がらせのつもりだったのに、突然そんな殊勝な態度を取られるとどうしていいのか分からない。結局渚が来るまで延々と苦手な裁縫を続けるはめになってしまった。
「うわダッサ! なにこのアップリケ!?」
「だって穴あいてたから。かわいいでしょ?」
「チューリップはやめてくれない!?」
出来の方はまあ、想定の範囲内ということで。
▽
「ぽんぽこたぬきはお山へかえる ぽんぽこたぬきはよくねむる」
今日の渚は歌なんて歌ってなんだかご機嫌だ。わたしのよく知っている渚が表に出てきている感じ。
とっぷり日が暮れた帰り路を二人並んで歩くのはもう慣れた。多少帰りが遅くなっても船着き場には漁師さんたちがいるし、家々が建ち並ぶ道を通れば人の声がするから安心だ。
それに、太陽の光がなければあの鼬の道も姿を現さない。
「まゆこ、宿題どうする?」
「あー、おばあちゃんに手伝ってもらおうかな……」
渚は四年生だからボタン付けの課題だけで、さっさと授業時間に終わらせていた。こんなところもわたしたちは似ていない。おまけに六郎くんの羽織をちくちくしていたせいで肝心のエプロンは全く進まなかったのだから、こうなったらもう最終手段おばあちゃんの神業に頼るしかない。
がっくり肩を落とすと渚は不満げに首をふる。
「それじゃなくて、もうひとつのほう」
「――ああ。母子手帳のほう、ね」
エプロンの方が提出日が早いから後回しにしていた、生活の授業で出た宿題。生い立ち授業の一環として母子手帳を見てみようと言われていたのだった。今学期の最後に感想を発表するから、嘘で見ましたと言ってもすぐにばれてしまうだろう。
「それもおばあちゃんに聞いてみよっか」
「うん」
お母さんがいなくなった今、母子手帳がどこにあるのかなんて分からない。わたし達にとっては面倒くさい宿題だ。
渚もそう思っているのか、気が乗らないといった表情で鼻歌をやめてしまった。
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