第九話
「鼬の子孫なのになにも知らないなんて、おかしいと思いますか」
「そんなことはありません。今まで人間として暮らしていて、いきなりあやかしだなんだと言われても困るでしょう。人間だろうがあやかしだろうが、繭子さまはなにも変わらなくていいのですよ」
三郎さんの優しさが心にしみる。お坊さんに化けているうちに本物になってしまったみたいだ。狸相手なのに色々吐き出してしまいたくなる。
「実はわたしのおとうとが……あやかしとして目覚めてしまったようなんです。どうすればいいのか分からなくて」
わたしの言葉に、三郎さんは分かっていると言うように目を瞬かせた。
「次郎さまのことですね。お目覚めははっきりと感じました。ようやく狭間の王たる者が現れたのだと」
「あっその、王ってなんなんですか?」
次の王、狭間の王。初めて六郎くんと会ったときに渚が言われた言葉だ。それと同じことを三郎さんも言うなんて、どう考えても今の渚に関係があるとしか思えない。
身を乗りだすわたしに三郎さんはちょこんと向き直って、説法するようにゆっくりと説明を始めた。
「鼬の本来の
「うー、難しい……鼬の中のだれかが、はざまの王になって、世界の門番、をする?」
「要は入国審査のような仕事をするあやかし代表ってことです。今は狭間の王が不在のため、全てのあやかしがあちら側に閉じ込められています。そして私のように長くこちら側で放浪しているあやかしは、あちら側に帰れない」
そうすると例えば今の三郎さんは、空港で足止めをくらってしまった旅行者のようなものだろうか。自国に帰ろうとしたら入国審査を受けられない、みたいなことで。
「でもその王は絶対にいなくちゃダメなんですか? そりゃあ帰れないのはかわいそうだけど、人間とあやかしが交わらないための狭間なんですよね? じゃああやかしの行き来はなるべくないほうがいいんじゃ……?」
「ダメと言う問題ではなく……そうですね。こちら側には鼬以外にもあやかしの子孫たちが生きています。過去に鼬の王が多くの鼬の道を繋げたことで、あちら側との交流が盛んでしたから。その子孫たちになにかあっても助けに行けない、現状そういうことになってしまっているのが懸念です」
「じゃあつまり、わたし達あやかしの子孫になにかあったときのために王が必要……?」
「それ以外にもいくつか理由はありますが、大まかに言うとそうなります」
もしもそれが本当なら。
渚の中のあやかしの血が目覚めたのはわたし達を守るため。
わたし達の存在が渚を目覚めさせてしまった。
「そういうこと、だったんだ」
抗えない運命がそこにはあって、大きな力がぐるぐると渦をまいてわたし達をあるべき場所に押しやろうとしている。
「あの、三郎さん」
「はい」
「三郎さんから見て、わたしはまだ人間に見えますか」
気にはなっていた。渚に見えるものはわたしにも見える。そこに程度の差はあるものの、根っこの部分は同じ力。
それがあやかしである鼬としての力なら、わたしは?
「……いいえ、繭子さまももうすでに、半分ほどはあやかしの血が目覚めています」
ためらいがちに落とされたその言葉に、なぜか感情は凪いでいて
「そう、ですか」
渚のことばかり考えているうちに、自分ももう真人間ではなくなっていたということを、自然に受け入れている自分がいた。
「お辛く考える必要はありません。鼬は限りなく人間に近いあやかしです。人間と結ばれ、人間と暮らしたその結果がこの島の者たちなのですから」
「人間に近い?」
それは一体どういう意味だろう。確かにわたしも渚も鼬に変身したりはしないが、それはまだあやかし初心者だからだと思う。いつか六郎くんのように蛇になったり、三郎さんのように狸になったりするんじゃあないだろうか。
「鼬は特殊なあやかしですから、獣にはなりません」
「そうなんですか。わたしてっきり動物の鼬になっちゃうのかと……」
「ああ、鼬というのはそうではなく――」
「まゆちゃーん」
三郎さんが続きを言おうとしたその時、和室の襖がすぱんと開けられ、よりにもよっておばあちゃんが入ってきてしまった。
わたしはあっと口を開けて慌てて三郎さんを隠そうとするが、三郎さんはその前に置物に変身していてなんとか事なきを得た。
「ど、どうしたのおばあちゃん」
「ちょっとお豆腐買ってくるけん留守番よろしくね」
「あっうん!」
今日は心臓に悪いことが続く日だ。おばあちゃんが出て行ってから、置物のままの三郎さんに問いかける。
「さっきなにか言いかけました?」
「ああ……いえ、なんでもありません。とにかく鼬というあやかしは動物には化けませんので」
なんだかすっきりしないところもあるが、三郎さんはなぜか黙りこくってしまったので、鼬に関しては後で借りてきた本を読もうと思う。
「鼬はもしかしたら、本には載っていないかもしれません」
「えっそうなんですか!?」
わたしの心を読んだような三郎さんの言葉に、思わず手当たり次第古書をめくってみる。
「――本当だ、ない! 鼬、いたち、イタチ……どれも載ってない!」
あいうえお順でも漢字でも目次にすらない。
「鼬が鼬と呼ばれるようになったのは割と最近――百年ほど前からなのです。古い書物には記されていないでしょう」
「百年ってずいぶん前ですけど……」
ということはこの本たちは少なくとも百年以上前に書かれたもので、三郎さんも百年以上生きているということだ。
ページをめくる手に緊張が走る。京くんはなんてものを投げてよこしてくれたのか。明日文句を言ってやろう。
「鼬は昔なんて呼ばれていたんですか?」
古い呼び名なら探せるかもしれない。しかし三郎さんは置物姿のまま困ったような声を出した。
「繭子さま、この世には知らない方が良いこともあるのです」
そう言って、三郎さんは獣の姿に戻って軽やかに跳ね庭に出て行ってしまう。
「三郎さん!?」
「繭子さま、本日はありがとうございました。また近くお会いできるはずです。それまでお元気で」
「えっ待って!」
小さな狸はそのままぴょんぴょんと茂みの中に消えていってしまった。まだ聞きたいことがたくさんあったのに。突然去ってしまうなんて思いもしなかった。
「なにかいけないこと聞いちゃったかな……」
三郎さんが答えなかった、鼬の古い呼び名。知らない方がいいのは誰のため?
「自分のことなのに知らない方がいいことなんてある?」
わたしなら隠されている方がよっぽど辛い。
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