第七話

「ごめん。屋敷には誰も入れるなって言われてるからさ。でもまゆはこっちの方が興味あると思うよ」


 視界に収まりきらないくらいに大きな汐野家の敷地にたどり着いてから、京くんに案内されたのは大きさが一軒家ほどもある白壁の蔵だった。


「ここに入ったってことは内緒な!」


 かんぬきを外し、重そうな扉を京くんが肩で押し開けると、真っ暗闇にほこりがぱっと舞う。


 陽が全く入らない造りに気圧されるも、すいすいと中へ入っていく京くんについて蔵の中へと踏み出した。


 パチンという音とともに柔らかい光が頭上を照らす。光を得た視界には、異世界が広がっていた。


「わあ!」


 京くんが豆電球をつけるたびに、目の前に広がる世界に心が躍る。


 天井にまで届きそうな巨大な本棚が並び、古書が隙間なく詰め込まれている。いかにも貴重なものが入っていそうなレトロな金庫や、梁に張られた天鵞絨ビロードの緞帳。不思議な文字が書かれた掛け軸に、袈裟を被った狸の置物。


 収集家が創り出した奇妙で壮大な世界がそこには広がっていた。


「すごいすごーい! 魔法学校みたい!」


「歴代当主が集めたガラクタばっかりだけどなー。見た目だけは迫力あるんだ、この蔵。掃除がスッゲー大変だけど」


 つもったほこりを払いながら、京くんは蔵のある一ヶ所を目指して収集物をかき分けている。


「ああ、ここだ。まゆ! おいで」


「なになに?」


 周りのものに目移りしながら京くんが示す場所へとたどり着く。そこにはダイヤルキーのかかった桐棚に大切そうにしまわれた、いくつかの古書があった。


「これ、島のあやかし関連の書物な」


「えっ」


「俺も昔読んでみたんだけど古いし難しいしでギブアップしたんだー。興味があるならまゆも読んでみなよ」


「ほ、ほんとにいいの?」


 京くんはポイポイと書物を手渡してくるが、どう見ても貴重なものだから心配になってしまう。


「どーせ誰も気にしないからさ」


 あやかしの本に混じって『世界の占い全集』や『演舞指南書』などといった関係のないものまで腕の中で積み重なっていく。


「あ、ありがとう! 実はね、ちょうど京くんに話そうと思ってたことも、あやかしのことなん――」


「そこでなにをしているのかな」


 突然、冷たい大人の男性の声が、わたしの言葉を断ち切った。


 首すじがひやりとする。悪戯を見られてしまった時のような、それでいてもっと本質的な恐怖のような、巨大な罪悪感が全身を襲う。


「み、みよにい……」


 京くんの家の人だろうか。凛々しい目元をした二十代後半くらいの男性がじっとこちらを見ている。深い灰色の和服が色白な肌をさらに強調して、品があると同時にものすごく威圧感がある。


 蔵に入ることは内緒、と京くんは言っていたから、本当はいけないこと。


 子どもが蔵荒らしをしていると思われても仕方がない状況に、盛大に怒られることを覚悟して目をぎゅっと閉じる。


「京。お友達をこんなほこりだらけのところに連れてきては駄目だろう?」


 沈黙を破ったのは、先ほどとは打って変わった、存外優しい声だった。ゆっくりと目を開けると男性はわたしに問いかけてくる。


「君は?」


「あのっ京くんのクラスメイトの、古御門こみかど繭子です。ええと、珍しい本を貸してもらおうと思って、勝手に蔵に入ってすみません……」


「古御門?」


 男性はなぜか目を丸くして、続いてわたしが抱える本の山、その一番上に乗っていた『世界の占い全集』をちらりと見た。


「ああ、本ね。こんな古いのでよければどうぞ。僕は京の叔父、みよしといいます。京、古御門さんを屋敷へ」


「いえっあのもう帰りますので! お邪魔しましたっ」


「そう? じゃあ京、送ってあげるんだよ」


「は、はーい」


 優しく話しかけられても居心地の悪さは変わらない。わたしと京くんはそそくさと蔵を後にして、盛大に息を吐いた。


「びっ……くりしたあ」


「ごめん! まさかみよ兄が蔵の方まで出てくるなんて思ってなかった」


 挙動不審な子ども二人、まるでこそ泥のようだったと思うと今になって笑えてきた。


「あは。京くん自分の家なのになんであんなにキョドってたの」


「だってさー! 見つかったのがみよ兄だったから良かったものの、他の厳しいやつらに見つかってたらねちねち叱られてただろうからさあ」


 やはりあの蔵自体が部外者は立ち入り禁止だったらしい。中にあった品々を考えれば当然だ。結局本は借りてきてしまったが。


「叔父さん若いんだね」


 どきどきする胸をおさえながら率直な感想を言うと、京は眉を下げて言う。


「先代の後妻の息子さんなんだ。体が弱くてあんまり外に出てこないんだけど……」


 そう言って京くんは黙ってしまった。名家ならではのごたごたがあるのかもしれない。ひとの家族の事情は、外側からじゃ見えないものだ。わたしも色々な事情でここにいるわけだし、京くんだってきっと色々あるのだと思う。


 聞くことは簡単だけれど、踏み込むのは逆に踏み込まれる勇気も必要だ。


 その勇気はわたしにはなかった。


 もう相談できる雰囲気ではなかったし、今日のところは解散することになった。途中まで京くんに本を持ってもらって、山を降りたところでバイバイする。


 両腕に本を抱えたまま、夕暮れにスキップをして海岸を行く。渚はきっとまだ神楽の練習中だ。家に帰ったら早速読書をしよう。あやかしについてなにか分かるかもしれない。そう、渚が元の渚に戻る方法があるかもしれない。


「――もうし、」


 おかしなものが見えなくなる方法が


「もうし、」


 聞こえないはずの声が聞こえなくなる方法も


「太郎さま、」


 変な呼び方で呼ばれなくなる方法だってきっとあるはずだ!


「お待ちください。鼬太郎ゆうたろうさま」


「――ってゆうたろうって誰!?」


 新たな呼び名に思わず振り返り突っ込みを入れてしまった。先程からしつこく聞こえていた声。嫌な予感がして、わざと無視していたのに。


 やってしまった。答えてしまった。さらには振り向いてしまった。そして視線の先にあるモノに愕然とする。


 夕日に伸びるわたしの影を踏むように、そこには、黄緑色の袈裟を被った狸の置物があった。


「たぬき……」


 お店の前によく置いてある狸だ。つやっとしたボディにくるりとした目が愛らしい。編笠を頭にちょこんと乗せて、鮮やかな袈裟をまとっている。


 見まごうことなく狸の置物だ。そしてつい最近、わたしはこれを見たことがある。


「確か、蔵に置いてあった――」


 そう、先程までお邪魔していた京くんの家の蔵にあった狸だ。それがここまでついてきた? まさか手の込んだ悪戯でもあるまいし。ともすれば混乱する頭で考えられることはひとつ。


「あなたは……あやかし?」


 その瞬間、ぶわりと潮風が髪を捲った。わたしは思わず目を瞑る。





 次に目を開けた時、目の前には深く頭を下げた僧侶の姿があった。




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