二、あやかし
第六話
「やあ、太郎。元気?」
放課後。神楽の練習に向かう渚を送ってから校庭で京くんと待ち合わせをしていると、足元から聞き覚えのある声がした。影からひょっこりと顔を出すのは白蛇姿の六郎くんだ。
熱にうなされながら何度も夢であれと念じたのはムダだったらしい。
するするとわたしの足を伝い、気さくに肩にまで乗ってくる彼に重いため息をつく。もしも本物の蛇にそんなことをされたら大声で泣きわめいていただろう。あやかしだったらいいのかと言われると悩んでしまうけれど。
わたしはむっと口を突き出しながら、六郎くんをつまんで地面に降ろす。
「なぎさにもこうやってちょっかい出してるの?」
「してないさ。次郎には嫌われているから。あれから近づかせてもくれないよ」
「もー! じゃあなんでわたしには!」
「太郎が悪いんだよ。汐野と仲良くしちゃってさ。もう平衡が取れてないって知らせてあげようと思って。感謝してほしいね」
「平衡?」
六郎くんは地面をぐるりと回って、魔法のように人型になった。そして校庭の隅にある鉄棒を指さす。
「鉄棒がどうかした?」
「ちがう、その下だよ」
鉄棒の下には当然鉄棒の影がある。しかし、それに加えて妙ななにかがうごめいていた。それはいつも渚を追い回していた細い影のひとつで、行き場をなくしたようにあっちこっちの地面をうろうろしている。
「あれは……?」
「次郎に拒絶された『鼬の道』さ。ここにきてようやく次郎が力を強めてきているから、近づけなくなってああしてウロウロしている。恐らく次郎に
「この前も道がどうとか言ってたけど、結局なんなの?」
地面に揺らめく影のそばに寄っても、わたしには反応しない。この影たちは渚にしか興味がないのだ。それが渚にも近づけなくなったということは、今は迷子のようなものだろうか。
「『鼬の道』はあちら側とこちら側を繋ぐ道だってば」
「だからそれが分からないよ。あちら側って?」
「あちら側はあやかしの棲む世界のこと」
あやかしの棲む世界。それだけを聞くとおどろおどろしい想像をしてしまった。身震いするわたしを無視して六郎くんは続ける。
「こちら側は人間の住む世界。で、二つの世界は独立している。自然に交わることはほぼ無いと言っていい。『鼬の道』はその二つの世界を繋ぐことができる
「特殊……」
ちょろちょろと動き回る影を見下ろす。これが道には到底見えないけれど、確かに出口を探しているような動きをしている気がしてきた。
多分これは掘っている途中のトンネルのようなものなのかもしれない。
入り口はあちら側の世界、そしてこちら側に出口を開けようとしている?
ふとそこまで考えて気づく。
「それって、『鼬の道』が繋がっちゃったら向こうにいるあやかしがこちら側に来ちゃうってこと?」
人ならざる者たちが狭い道を通って押し寄せてくる様が脳裏をよぎる。
「そう、そして逆もまた然り。人間があちら側に迷い込んでしまうこともある。だから鼬は不要な道をちゃんと【道切り】して、世界の繋がりを断たないといけないんだよ。それが君たちのお役目なんだから。しっかりしてよね」
まるでわたしが仕事をサボっているような言い草だ。
あちら側とこちら側を繋ぎ、そして切る。
単純に聞こえて想像もつかないお役目とやらに頭がくらくらしてきた。
「いやいや、そもそもわたし達あやかしだとは限らないし!」
「まだそんなこと言ってンの? まあ次郎はそうは思ってないみたいだけど」
「なぎさが? どうして?」
六郎くんは地面を這う影を指でなぞりながら言った。
「これはね。次郎に切られて行き場をなくした道だ。鼬に切られた道はいずれ消える。そういう仕組みなんだ。次郎はもう鼬として目覚めている。太郎がいやいや言っている間にも、もう次郎は自分のお役目を果たそうとしているんだ。鼬として、王として」
地面から隣に視線を移すと、六郎くんは白蛇の姿に戻っていた。
「ねえ、その王っていうのは?」
その問いには六郎くんはにやりと笑っただけで、まるで水面を跳ねるかのように影の中へと消えて行ってしまった。
「あー逃げたな。もう」
わたしをからかいたいのかおどかしたいのか、なにか重要なことを伝えたいのか。分からないのは彼の気質だろうから仕方がない。
渚が『鼬』として目覚めたということは、六郎くんに言われなくても分かっている。どう考えたって渚の中にいるもうひとりの渚のことだ。
京くんがやってくるまでの間、取り残された鼬の道をぼんやりと眺めていると、六郎くんの言うとおりそれはすぐ蒸発するように消えた。
なら、これからわたしはどうしよう。どうすればいい?
▽
「遅くなってごめんなー」
「ううん、大丈夫」
京くんの家は山の中にあるから、お邪魔するのが少し大変だ。この山道を毎日登下校している京くんはえらい。さすがスポーツ少年。わたしが息を切らせて苦戦している緩やかな坂も、京くんにかかればほんの数秒だ。
「まゆはほんと体力ないな!」
「うう、どうせ体力テスト最下位だもん」
「仕方ないなー。ほら!」
なんの気なしに差し出される手にどきりとする。京くんは多分なにも考えてない。恐る恐るその手を取ると、強い力で手を引かれてぐんぐん前に前にと進まされる。
「わあ、まってよ!」
「ダメダメ! 日が暮れちまうって!」
繋いだ手が気になってもうなにも考えられない。京くんの手は渚よりも少し大きくて、暖かい。東京にいた頃は男の子と遊ぶことなんてなかったのに、今のわたしには京くんしかいない。きっと錯覚なんかじゃない。
ぎゅーっと胸が押しつぶされるように苦しくなる。
「京くん」
「うん?」
「――なんでもない」
京くんだけが、どうしても特別なんだよ。
だからお願い。お願い。わたしは人間だって言って。
誰にでもなく、わたしは心の中で祈り続けた。
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