第五話

「元気になってよかったなあ」


「あ……京くんおはよ」


 一週間ぶりに登校して早々笑顔の京くんに出くわして、わたしは少しほっとする。いつもどおりの京くんだ。渚もいつもどおり、教室に入るとすぐに居眠りモード。


 いつもどおりじゃないのはわたしの心のほうかもしれない。


 渚はあれから大人しく学校に行って日が暮れるまで神楽の練習をして、家でも普通に過ごしていた。と思う。具合が悪くておばあちゃんの部屋に隔離されていたからイマイチ様子が分からないのだ。


 渚のことを誰かに相談したい。


 一応休んでいる間におじいちゃんとおばあちゃんにあやかしについて聞いてはみたのだが、


「あやかし? 島の昔話にはよう出てくるけど、見たことはないねえ」


「はっはっは。繭子は幽霊とか妖怪とかに興味を持つ年頃かい?」


 と普通に返されてしまった。


 島のみんながあやかしかその子孫だなんて、やはり六郎くんにからかわれただけだったのだろうか。でも、それならなぜ汐野の家だけ特別だなんて言ったのだろう。意味が分からないことだらけだ。


 ずっと胸がざわざわする。前の席に座る京くんに頼ってしまいたくなる。


「あのさ、京くん」


「ん?」


 きっと、京くんだけはわたしのことを分かってくれる。そんなすがるような思いで京くんの日に焼けた耳にそっと顔を寄せた。


「あやかしっていると思う?」


 京くんはわたしを見てきょとんとする。


「あやかし?」


「あ、えと。うん、いまそういう本読んでて」


 言ってすぐに唐突すぎて不自然な話題だと気づき、慌ててごまかした。それでも京くんは笑ったりせずにいてくれる。


「いるよ」


「え?」


 ふと京くんが真剣な顔でわたしを指さした。


 その瞬間、ひっくり返りそうなくらい全身が硬直する。


 いるって、まさか、わたしのこと?


 やっぱりわたしってあやかしなの?


 京くんにはあやかしが分かるの?


 動悸が止まらない。全身が燃え上がるかのようにびりびりしている。人間驚きすぎると息ができなくなるということを知った。わたしが人間かどうか、もはや自信がないけれど。


「あれとか」


 はらはらどきどきしているわたしをよそに、京くんはそのままついーっと指をわたしの後ろの方へと向けた。錆びた部品をむりやり動かすように、ぎこちなく首をひねる。


 背後の窓の外には、枝にちょこんととまる雀の姿があった。


「へ?」


「それとか」


 続いて真横の壁にとまる小さな虫を指さして、京くんはぽかんとするわたしにいたずらに微笑んでみせた。


「こう見えて、もしかしたらあやかしかもしれないぜ!」


「な、な、びっくりさせないでよう!」


「ははっほんとにうしろにいると思った?」


 なんて心臓に悪い冗談なんだ!


 うしろにいるどころか、京くんにまでわたしがあやかしだと言われたのかと思った。なんて言えずに頬を膨らませるとすぐに京くんにつつかれる。


「まあでも実際、この島にはいるよ。そういうの。島の伝承とか昔話によく出てくるんだ。『すぐそばに妖の者がいると思え』って、家でも言われるし」


「家……」


 六郎くんいわく、この島の唯一の真人間である汐野家。信じるがどうかは別としても特別な響きを感じる。


「京くんのお家のこと聞いてもいい……?」


「家のこと? 別に面白くもなんともないけど――」


 京くんはそう言ってゆっくりと目線を上に向けた。


 それから京くんの口から語られたことは、正直なじみのないものばかりだった。


 四方を海に囲まれた島の中央にある深緑ふかみの山。この山で毎年祭事を行い、平和を祈る風習がこの島にはあるのだそうだ。


 その祭事を取り仕切り、山を管理する役目を持つのが汐野家――京くんの家ということらしい。


「まゆは都会育ちだから分からないかもしれないけど、祭事っていうのはどんちゃん騒ぎするよーなお祭りじゃなくて、結構まじめにやるやつな。かがり火をたいて島の住人が一人ずつ神酒を飲んで行って、島の平穏を祈るって感じ」


「へえ……」


「で、最後に山の頂上にある神社で奉納神楽をやって終了」


「あっ神楽ってもしかして」


「そう、なぎさが今年舞うやつ」


 地元のお祭りで踊る感覚で応援していたが全然違った。渚はどうやら大役を任されているらしい。少し心配になって渚の方をちらりと見るが、あいかわらず寝ていてどうしようもない。


「大丈夫だって。なぎさはちゃんと練習してるし、おととしは俺が舞ったけど、ちょっとくらいミスしても怒られたりしないからさ」


「う、うん」


「でな、この祭事。実は島に住む人間とあやかしが争わないための誓いの場だって言い伝えられてるんだ」


「ぅえ!?」


 驚きすぎてもはやあやかしという言葉にアレルギー反応が出てしまいそうだ。思いもしなかった話のつながりにわたしは身を乗り出して京くんの話に聞き入ってしまう。


「祭事には、酒につられたあやかしが人間に化けてやってくる。で、一緒に酒を飲む以上、人間もあやかしもみなお友達、ケンカすんなよって話だな。なんでもかんでも酒で解決しようとするの、昔話でよくあるパターンだよなあ」


「そ、そうなんだ」


 楽しそうな京くんとは対照的に、わたしは内心焦っていた。


 渚とわたしが人間かあやかしかどうかはこの際置いておいて、実際にあやかしが存在していることは六郎くんに出会って認めざるを得なくなった。


 京くんの話が真実ならば、山で行われる祭事には人間に化けたあやかしが参加するのではないか?


 六郎くんのような『ザ・あやかし』がわたしに絡んできて、「よっ太郎。元気?」なんて話しかけられようものなら?


 そしてそれを知り合いに見られでもしたら?


「わ、わたしお祭りいかない」


「え? どした急に。なぎさのお神楽見に行くって言ってただろ。もしかして怖くなった? あれはただの言い伝え――」


「いかない!」


「まてまてまゆ」


 パーカーのフードをすっぽり被って、さらに耳を塞ぐ。困らせてるって分かっているけれど、いやな想像で頭がいっぱいになってもうそれどころじゃない。


 もしも六郎くんと話しているところを京くんに見られたら?


 なんて説明する?


 なにも思いつかない。


「まゆこ、お祭り来ないの?」


 すぐ隣からささやくような声が聞こえた。目を開けると渚が虚ろな表情でわたしの席の真横に立って、静かにわたしを見下ろしている。


「あ」


「僕の舞、見に来なきゃダメだよ」


「――はい」


 口から滑り落ちた肯定の言葉。本能が従っているとしか思えない。


 わたしの中のなにかが、渚の中のなにかに逆らえない。


「はいってお前な。なぎさには甘々かよ」


「あ、あはは……なぎさがどうしてもって言うならお神楽だけ、見に、行こうかな」


 渚はわたしの答えに満足したのか、口元だけで笑った後無言で席に戻りまた机に伏せた。


 目が笑ってなかった。今のだってわたしの知っている渚じゃない。あれは渚のあやかしの部分だ。


 渚の中のなにかは意識が半々だと言っていたが、それもいつまでか分からない。


 これからその割合がどんどん変わっていって、そして最終的には元の渚は帰ってこないかもしれない。


 そんな言い知れぬ不安に身を縮ませていると、京くんが不思議そうな視線をよこしてくる。


「なぎさとなにかあった?」


「うん……ちょっと」


 すぐに説明できず言いよどんでいるうちに、予鈴が鳴ってしまった。京くんは先生が来る前にわたしにこっそり耳打ちをする。


「放課後うち来る? 話くらい聞くからさ」


「――! う、うん!」


 やっぱり京くんはわたしの救世主だ。頼れるヒーローだ。いつもわたしのほしい言葉をくれる。


『まゆこは京のこと好きじゃないよね?』


 そう、たとえ渚がどんなに京くんのことが嫌いでも。


 『汐野家の者には近づかない方がいいよ。結局相容れないんだからさ』


 たとえ京くんの家がどんな家でも。



 わたしは京くんのことが好き。


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