第三話
「へび?」
どれだけ突飛な話でも、京くんは真剣に聞いてくれる。
「うん。渚はそう言うんだけど……」
教室の掃除をしながら昨日出会った男子のことをやんわりと伝えた。そしてそれに対する渚の反応も。
きっと京くんならわたしの話を信じてくれる。どれだけ怖かったかを分かってくれる。そんな期待を込めて。
けれど京くんは神妙な顔をしてじっと考え込んでしまった。
わたしはなんだか悪いことをしてしまった気分になって、やっぱりなんでもないと言おうとしたのだけれど、それよりも先に京くんが顔を上げて口を開く。
「今日家まで送る」
「え、でも京くんちとうち正反対……」
「へーきへーき! 変なやつがいたら俺がスパイクでぶっとばしてやるからさ!」
確かに京くんと一緒なら安心できる。京くんは遠回りになってしまうけれど、ここはお言葉に甘えよう。
「京くん。あの、いつもありがとう」
「いいってことよ!」
同級生の男子というのはこんなに頼もしいものだっただろうか。東京にいた頃はあまりそんな感じはしなかった。きっと京くんが特別兄貴肌で頼り甲斐があるからに違いない。
「蛇の道は蛇ってな」
「え?」
「いーや、なんでもない」
京くんは誤魔化したけれど、わたしはことわざの好きな京くんのことだからきっとなにか意味があるんだろうなと思いながら一日を過ごした。
東京者と言われて好奇な目で見られていた時も京くんだけは友達になってくれた。スポーツばっかりしているけれどテスト前はいっぱい勉強しているし、明るくて優しいから島の人気者。そんな京くんは本当に自慢の友達なのだ。
流されるがままのちっぽけなわたしはわたしなりに京くんの人間性に感心させられっぱなしで、もしかしたら人間二回目なのかもしれないとさえ思う。
京くんの前世は徳を積んだお坊さんだったりして。わたしの前世は多分ありんこ。
午後の授業も終わったことだし、ごみ出し当番の仕事が終わったら渚を起こして三人で帰ろう。そう、なにも心配はいらない。先ほどからひやりとする背筋など気にすることはないのだ。
ごみ捨て場にたどり着くと、なぜだか胸がどきどきした。この感じはなにかが見える前ぶれで、わたしは身構える。
わたし達に見えるものは幽霊じゃない。
もっとはっきりとした生命体で、明確な自我と目的を持つ。
そんななにかだということは漠然と理解していた。
生徒の待ち望む放課後だというのに、ここではわたしの呼吸しか聞こえなくなっていて身がすくむ。
「なんで……?」
棒立ちになっていると、突然、ぞろりとした気配とともに視界に揺らめく影が映り込んだ。
これまでアレは校舎にまで入ってきたことはなかった。外で渚が一人になるのを待ち構えるように現れていた。
今回は違う。放課後の学校で、あの細い影は紛れもなくわたしをめがけて伸びてきていた。
いつものようにわたしの影を避ける様子がない。なにかが本質的に違う。
悪い予感がし、一所懸命に走って逃げた。階段を一段抜かしで駆け上るが、影はものすごい速さで追いかけてくる。
わたしは足が速くない。徒競走ではクラスで一番遅い。対して影が伸びるのは一瞬で、とうとうわたしは影に捕まり、片足がまるで沼を踏んだようにずぼりと影にめり込んでしまう。
「やだやだ! なにこれ抜けない!」
「逃げないでよ」
愉快げな声が床の底から響く。
昼間だというのに妙に薄暗い廊下。後ろを振り返っても誰もいない。
背筋がどんどん寒くなる。この場から離れようと足を動かそうとするが、一歩が鉛のように重い。
またどこかから笑い声が響く。
辺りがどんどん暗くなる。それにつられるように、わたしは呼吸を止めた。
ズル、ズルッ……
耳をすますと音だけがする。
大きな何かが床の中を移動する音。
明らかに近付いてきているそれだが、視認できない。逃げようにもどこに逃げればいいのか分からなかった。
そしてとうとうそれが姿を現した。
一拍後、足元の影の中からぬるりと這い出てきたのは、きらきらとうろこがきらめく
「やあ、太郎」
この白蛇は口をきく。そしてその声に聞き覚えがあった。
「あ、あなたは昨日の? 本当にへびだったの?」
思わず口をついた言葉に、目の前の白蛇はちろりと小さな舌を出して応える。
「そうだよ、よく分かったね? まあ次王の姉なんだから気配に鋭いのは当然か」
楽しげに床を這う白蛇はくるくるとその身を丸め始めた。長い等身がひとつのかたまりになったその時、ぶわりとそのかたまりが裏返り、ボロボロの羽織に学帽を合わせた金色の瞳を持つ男子の姿が現れた。
「僕は『
「ど、どうなって――」
蛇が人になった。それとも人が蛇になっていた? どちらにせよ目の前で信じられないことが起こっている。
「汐野の者に邪魔されそうだったから、早めに会いにきたよ。鼬ノ太郎、君がどうするつもりか聞いておきたくて」
親しげではあるがどこか淡々としているその話ぶりに、わたしは逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのだけれど、足はまだ影に囚われていて動かせない。
意を決して口を開く。
「蛇の……えっと、六郎くん? だからわたし、太郎じゃないし。
「フハハッ。六郎くんて! なにも知らないんだね!」
一体なにが面白かったのか、お腹を抱えて笑い出す彼――六郎くんは目に涙までためてわたしに近づいてきた。
「太郎とか次郎っていうのは名前じゃなくて、いわゆる序列さ。僕らって意外と年功序列があるんだよ。その種族の長子が太郎、続いて次郎、三郎……って具合にね。力の強さに関係なく生まれた順だから、君んとこのように次郎の方が力が強かったりもする」
「な、なんの話?」
まつ毛が触れそうなほどの距離で、金色の目が瞬く。
「『鼬』のくせになにも知らないのはもはや罪じゃない?」
「いたち……?」
「君たちには大事なお役目があるのに」
「さっきから意味がわからないよ! あなたは一体なんなの?」
六郎くんのもったいぶるようなからかうような態度に気持ちが逸り、至近距離にもかかわらず勢いよく問いただしてしまった。
六郎くんはそんなわたしに動じることなくゆっくりと口を開く。
「僕は――人間に『あやかし』って呼ばれてる存在」
あやかし。その単語に目を見開く。
人間ではないかも、とは思っていたがまさかそのとおりだったなんて。おばけとか、妖怪とか、そういう類のものには詳しくないけれど、目の前の彼はそのどれとも違う気がして頭の混乱が進む。
「そして君たちは『鼬』のあやかしだ。フフッ、あやかし同士仲良くしよう?」
そして、当然のように続いたその言葉に、わたしの思考はついに止まってしまった。
「わたしはその、あやかし? じゃないよ」
「人間ぶったって僕には分かるよ」
「ちがうってば!」
六郎くんが人間じゃないのは蛇の姿を見て理解した。でもわたしは人間だ。六郎くんのような存在ではない。
「じゃあ自分が人間だっていう証拠はある?」
わたしの心を読んだかのように、六郎くんが囁く。
「わ、わたしは人間のお母さんから産まれた!」
「君のお母さんが人間だという証拠は?」
「お母さんはおばあちゃんから……」
「おばあちゃんが人間だという証拠は?」
「か、からかわないでよ!」
このままではひいひいひいおばあちゃんにまでさかのぼってしまいそうで、必死にやめさせる。なぜこんなにしつこくされないといけないのか。六郎くんはニタニタと笑っている。
「ほうら、証拠なんてなにもない! 当然だよ。太郎にいいことを教えてあげる。この島に真の人間は
大袈裟に両手を広げて、六郎くんは一人舞台で演じるようにゆっくりとその場を歩き回って高らかに言い放った。
みんな人間じゃない?
わたしも?
汐野――京くんたちの家以外、みんな?
「そんな、そんなわけ、ない……!」
かぶりを振って両耳を塞いだ。しかし六郎くんの言葉と笑い声は頭に直接響いてくる。
「だから汐野の本家の者には近づかない方がいいよ。結局相容れないんだからさ。次郎も苦しそうだ」
頭の内側から聞こえる声にわたしはとうとうしゃがみ込んだ。
「なぎさが苦しそう……?」
「そうさ。人間とあやかし。ふたつの存在の間で揺れている。君と汐野に挟まれて、天秤がグラグラしている。様子がおかしいとは思わなかった?」
「それは、影が追いかけてくるから! さっきみたいに、あなたがなぎさを追いかけてたんじゃないの!?」
「僕のせいにしないでよ。それにあれは影じゃない。『
「わけわかんない……」
いきなり道だのあちら側だのと言われてもさっぱりだ。渚の様子についてもっと知りたい気持ちはあるのに、心が追いつかない。
塞いだ耳がズキズキと痛む。
「もうすぐ迎えが来るよ」
迎えってなに?
「その時が来るまでにちゃんと決めるんだ」
決めるってなにを?
「君が人間なのか、あやかしなのか」
どうすれば渚は元に戻るの?
なにもわからないまま、けらけらけらけら、六郎くんの笑い声がどんどん遠くなっていって。
「まゆ!」
遠くから京くんの声が響く。
その瞬間、わたしの視界は真っ暗になった。
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