18.アザラシ

「その日は二人と会いたくなかったから、夏子さんに車で送ってもらって、ずっと部屋にこもってた」

 顔を上げると史が見ていた。

「で、どうなったん?」

「次の日、朝は二人より先にご飯食べて、無事に部屋に帰れてんけど……しばらくしたら海輝が一人で入ってきた」

「ほんで?」

「まず、ラジオのこと謝られた」

「次は?」

「――いろいろ、話して……で……」

 叶依は鞄の中から小さな包みを取り出した。

「何それ?」

「貰ってん……」

「あいつに?」

「うん」

 小さな包みの中から現れたのは、ガラス細工の小さなオルゴールだった。

 その曲は――。

 叶依はゼンマイを回した。

「──sealやん」

 それはOCEAN TREEのデビュー曲で、今でもちょっとした街に行けば必ずどこかで流れている、超流行曲だった。

 意味は『封印』と、もう一つ、『アザラシ』。夏をイメージして創った曲だ、と冬樹がラジオで言っていたけれど、封印かアザラシかどちらの意味とは教えてくれなかった。

「――ってことは、今おまえ……」

 史が言いたいことは一つしかない。叶依は今、海輝と遠距離恋愛をしている。

「そうか……ま、会えてよかったやん」

「よかったけど……」

「けど?」

 史は怖い顔をしていた。いつものサボテンみたいな顔が、ハリネズミに見えた。

「だって、そんなに会われへんやん。会っててもマスコミとかいたら、ややこしいことになるし」

「それもそうやな。日本中、大騒ぎやな」

 何となく史が優しいライオンに見えた。

(――ライオン?)

「伸尋……どうするかな?」

「さぁ。おまえらのこと知っても諦めへんとは思うけど」

 ちょうどその時、時計が三時を告げた。叶依はもう、五時間もここにいる。


 ふと、史は携帯電話を取り出した。

「今から海帆に電話するけど、出る?」

「いいよ。言うなら言っといて」

「んじゃ……」

 史は海帆に電話をかけ、しばらくしてから叶依のことを話し始めた。

 二人が付き合い始めたのは今年の春、叶依と伸尋が噂になり始めた頃だった。一年の時、叶依と海帆はそろって史が好きだったし、史も二人が好きだった。だから三人はずっと友達でいようと決めていたけれど、二年になって状況が変わった。

 伸尋が現れた。

 始業式の帰り、伸尋は史に、はっきりではないけれど『叶依が好き』な発言をしたらしい。それで史は叶依をやめて、海帆を選んだ。

 それからもう五ヵ月になるけれど、二人は仲良く、叶依が文句を言ったこともない。

(海帆、幸せモノやな……こんな良い奴いて……良すぎやな……)

 それなのに――。

「あんまり気にすんなよ」

 史はもう電話を切っていた。

 オルゴールのsealはまだ止まっていなかった。アザラシが力の封印を解かれたかのように、史の部屋で泳ぎまわっていた。

「事実は変わらんからよ。それより、あいつ元気にしてやってくれよ」

(あいつって伸尋?)

「朝からずっと心配してたで。おまえが元気やったらあいつも元気やし。朝おまえ……病人みたいやったで」

 そのとき、

「史ー。お友達よー」

 史の母親の声が階下で響き、その数十秒後には伸尋が部屋の入り口に立っていた。

「よう伸尋。ちょうどいい時に来たわ。座れ座れ」

 史は伸尋を叶依の前に座らせて、「ちょっと待っとけよ」と言うと再び部屋から姿を消した。

 伸尋と叶依を残して。

 アザラシは少しずつ泳ぐスピードを落としていた。

「なんで──まだ制服なん?」

 叶依は学校からここへ直行したので制服だったけれど、何故か伸尋も制服だった。

 しかもシャツが少し乱れている。

「ちょっと、バスケやっててん」

「今日ってクラブない日じゃなかった?」

 一週間後に宿題テストが控えているからだ。

「――ちょっと気晴らしに……。もうすぐ試合あるし」

「また?」

「うん。なんか、それで俺が良い戦績残したら……JBLの会長に……プロ入りしてくれって言われてOKしてもてんけど」

 体を捻りながら、伸尋は溜息をついた。

「嫌なん?」

「時間に縛られんの嫌やん」

 不意に叶依が笑った。

「なに?」

 伸尋は怪訝な顔をする。

「似てるなーと思って」

「何が?」

「え、だって、私――今はZippin’入ってよかったと思ってるけど、入る前に何回も断ってたのって、ただでも時間ないのに余計なくなりそうで嫌やったからやもん」

 叶依は立ち上がった。

「帰んの?」

「ちゃう、ストレッチ。ずっと座ってたから疲れた」

 ん――ん……と、上やら横やら、いろんな方向に叶依は体を伸ばした。

 気付けばアザラシはもう、泳ぐのをやめていた。

 ふぅーっ、と肩の力を抜いた時、

「元気そうやな」

「――ゴメンな。朝、心配かけてたみたいで」

「いいって。安心したわ」

 ガチャ――

 史が戻ってきた。今度は何も持っていない。

「叶依、元気やろ。おまえ静かやったらみんな心配するんやからよ。特にこいつやけど」

 史は笑いながら肘で伸尋をつついた。

「これ、何?」

 伸尋は机に置かれたままのオルゴールを指差した。

「それなぁ……。こいつのやけど……」

 史は叶依に目配せした。

 叶依は、首を縦に振った。

「おまえの負けや」

 史は伸尋にすべてを話した。

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