第5話・・・泣きたいときは泣けばいい
「僕は本気だよ……本当に……」
私を見つめるショウジさんの目は真剣そのものだった。
彼のことはまだほとんど知らないけど、私だって彼について行きたい。
「でも、うちの両親、厳しいから……ショウジさんとは出会ったばかりだから、絶対、許してくれないです」
私の涙を拭ってくれたショウジさんも、いつの間にか泣いていた。
この涙は演技なんかじゃない。本当に悲しくて、泣いてくれている。
「今日、うちに泊まっていきますか? 何も、朝ごはんとか用意出来ないですけど……」
「ううん、ありがとう。明日、朝から用事があるから、チサコちゃんを送ってから帰るよ」
「そんな、逆方向なのに──」
「送らせて。無事に家に入るまで」
私はそれ以上、反論しなかった。一緒にいたい気持ちは、私だって同じだ。
部屋の前でショウジさんと別れて、私はすぐに携帯電話を取り出した。
ショウジさんにもらったメモを見ながら、アドレス帳に登録した。
それからメールをした。
『チサコです。送っていただいてありがとうございました。ショウジさんも無事に帰ってくださいね。デートの日ですが、その前に電車で会うかもですが……クリスマス前の連休23(日)・24(月)はどうですか? 無理なら違う日でも、ショウジさんに合わせます。楽しみにしてます』
ショウジさんからの返事は、次の日の朝に受け取った。
『おはよう。昨日は帰ってそのまま寝ちゃったよ……。連休、空いてるよ。確かに電車で会うかも? 行きたい所あったら連絡して。とりあえず僕は、出かけてきます』
携帯電話の画面を閉じながら、心の中で「行ってらっしゃい」と呟いた。
まだ実感は湧いてないけど、ショウジさんは私の彼氏。って思って良いのかはわからない。もしかしたら私の早とちりで、1日デートするだけかもしれない。終わりかもしれない。
それでも良かった。
知らない人と結婚する前に、好きな人が出来た。これはすぐに終わってしまうけど──それでも私は幸せだった。
予想していた通り、ショウジさんとはいつもの終電で一緒になった。
私が座って揺られていたところに、途中の駅で乗ってきて、隣に座った。
「今日は起きてるね」
「……っ、そんなに私、寝てますか?」
「寝てるよ。気持ち良さそうに。あの時は迂闊だったな。僕も寝ちゃって……でも、だからチサコちゃんと知り合えたのか。また寝過してみる?」
「嫌ですよ……寒くなるのに……夏は変な虫も飛んでるし」
「ははは。冗談」
私はまだ、ショウジさんのフルネームを聞いたことがない。
「聞いたらたぶん、もっと気になってしまうから……今のままにしよう。僕は出ないだろうけど、インターネットで名前検索したらけっこう出るから、危ないよ」
ショウジさんほどのかっこいい人だったら、噂はいくつか出ると思う。
私はきっと、ショウジさんを検索してしまう。カメラマンというのを聞いただけでも、実は『カメラマン ショウジ』で何回かやってみた。何も出なくて、良かったのかな。
「僕も──携帯は古いけど、パソコンは得意だから……」
私のフルネームを知ったところで、何も出ないのは自分で検証済み。
こんな平凡な私の人生、お医者さんの妻になって──変わるのかな。
12月23日(日)は、お昼前に地元の駅で待ち合わせた。
いつも電車通勤で出会ったきっかけも電車──だけど、デートはショウジさんの車です。
助手席に座るのも、運転している人の横顔を見るのも、ナビを見ながら話すのも、何もかもが久しぶりだった。
何回か昔の彼氏を思い出して、その度に、ショウジさんのほうが断然かっこいい、と頭を振って記憶をふり飛ばした。
「ねぇ、チサコちゃん、今更だけど──僕って、彼氏?」
真剣な顔をして聞いてくるショウジさんに、私は思わず照れてしまった。
「は……、はい……そうです……たぶん……」
「たぶん、ってなに? ははは、たぶんって。まぁ、しょうがないか……」
複雑な顔をしてハンドルを握るショウジさんを、私はじっと見つめた。
「──私は、彼女ですか?」
「んー……僕はそう思ってるけど。彼女以外とは、デートしないから」
それじゃ、私も、ショウジさんが彼氏です。
なんて言葉は、私は言わずにとっておいた。その代わりに車を降りて歩くとき、私はショウジさんにくっついて離れなかった。
手を繋ぐのも、腕を組むのも、遊んで飛びつくのも。全部思いっきり、ショウジさんにぶつかった。
夜、家に戻るかどこかに泊まるかは、ギリギリまで悩んでいて。
「僕の本心は、泊まりたいけど……無理は言わない」
初対面でキスをしてきたショウジさんは──きっとベッドに誘ってくる。
もちろん、嫌じゃないし、それなりに準備はしてきたけど、やっぱり、決められない。
終着駅でのときみたいに、流されました、で済まないかもしれない。いくらなんでも、こればっかりは、遊びでしたくはない。
もちろん、ショウジさんのことは好きで、今後も関係が続くなら絶対に抱かれるほうを選ぶ──だけど、私は来月、違う人と結婚する。
「僕が手を出さないって約束したら、一緒にいてくれる?」
そういえばそんな話、前にもしたな、と思った。
駅で過ごすことになったとき、ショウジさんは何もしないと言っておいて、私にキスをした。
ショウジさんもそのことを思い出したのか、「信じられないか……」と笑っていた。
「私、ショウジさんと一緒にいます。ショウジさんに、今度いつ会えるかわからないから……」
今まで働いていた会社は、土曜日付けで退職した。
だからもう、終電に乗ることはないし、電車でショウジさんに会う可能性もない。
「わかった──それじゃ、乗って。今日のメインイベントに案内するよ」
カーナビはテレビになっていて外も真っ暗だから、どこを走ったかはわからない。
30分……1時間? もっと?
車は都会に近付いて、やがてどこかのホテルの地下駐車場に入った。
「ここ、ですか?」
「そう。こっちだよ」
ショウジさんに案内されてロビーに入り、フロントでキーを受け取った。
エレベータに乗って驚いた──ボタンがたくさんあって、しかもショウジさんが押したのは、結構、上層階。
「何があるんですか?」
「着いてからのお楽しみ」
ショウジさんは笑顔で──初めて会ったときのような、眩しいくらいの笑顔。
エレベータを降りてクラシック曲が静かに流れる通路を歩き、一番奥にある扉の前でショウジさんは立ち止まった。
「チサコちゃんが来てくれて、良かったよ」
カードキーを差し込んで、ランプの色が変わったところで私はドアを開けた。
「──?! す、すごい……スイート、ですか?!」
今まで泊まったホテルの部屋は、せいぜい、多くて3つ。
だけどここは、いくつあるんですか、っていうくらい、あっちにこっちに、2人で使うには勿体ないくらいの家具があるんですけど……!!
それ以上に驚いたのが、窓から見える夜景だった。
クリスマスの輝き……はさすがに見えないけど、街の灯りが綺麗すぎて、思わず窓に貼りついてしまった。
「最初が田舎だったら、最後は都会。この景色、どうしても見せたかったんだ」
夜景もすごく綺麗だけど、この方角の向こうはたぶん海。
大海原で見るようにはいかないかもしれないけど、きっと昼間の景色も良いに違いない。
こんなに良いものを見せてもらって、嬉しすぎて、申し訳なくて。
ソファに座ってタバコをくわえていたショウジさんに抱きついて、見つめて、タバコを抜いてそっと口づけた。
でも感謝と同時に悲しくて、涙をこらえることはできなかった。
「泣きたいときは、泣けばいい……だから、今度もし会うときは、笑顔でいて?」
ショウジさんの大きな手が私の頭を撫でた。それがあまりに優しくて、私はショウジさんの着ていた服を涙でいっぱい濡らしてしまった。
数日後、私は荷物をまとめて電車に乗った。
もう会うことのない人を想いながら、心の中で何度も『タケルさん』と言ってみた。
違う名前を言わないように、何回も呟いて、馴染んだ名前は、封印した。
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