第4話・・・もっと早く出会いたかった

 私が実家に帰ることは、会社には伝えた。

 もちろん、引きとめられたけど、私には帰る以外に道はない。

 会社に決められた仕事より、親に決められた暮らしのほうが、まだマシだ。



「堀井さん、本当に、今年で終わり?」


 今更になって私に話しかけてくる独身男性がいるなんて。

 性格が良いのは知ってるけど、顔は正直、好みじゃない。

 なんて言ったら、また『高望みしすぎ』って言われそうだ。


「はい。お世話になりました」

「まさかそんなことになるとはなぁ。彼氏いないのも知らなかったよ。知ってたら、立候補したんだけどな」

「ははは。ありがとうございます」


 喜んでみたけど、そんなことになったら今の暮らしは変わらない。

 社内恋愛したところでどうせ仕事は変わらないし、この状況も絶対変わらない。

 今まで通り仕事に追われて、結婚したって、家では寝るだけだ。



「それで、相手はどんな人? 実家の近くに住んでる人?」

 仲良くしている先輩がこんなことを聞いてきた。

「名前と年齢と、あと、お医者さんってだけ聞いてます」

「なにそれ、良いなー! 私もそれだったら、会社辞める!!」


 うちのお母さんも、詳しくは知らないみたいだったけど。

 実家の近くの内科の先生で年齢は38。優しくて丁寧で、みんなから『タケル先生』と呼ばれている。

 性格と同じくらい、顔も良い。病気じゃなくても毎日診てもらいたい。らしい。

 聞いただけでは判断できないけど、私もこれは良いんじゃないかと思う。



 だけど、私が実家で暮らしていた時、そんな先生はいなかった。

 だから、急に好きになれるのか、心配はもちろんある。

 怖くて聞けなかったけど、38歳で未婚なのか……その辺も、すごく気になる。

 初婚相手が子連れ──なんとなく、嫌だ。



 年末はいろいろ忙しいから、12月中旬の週末に、私の送別会兼忘年会が開かれた。

 私は相変わらず仕事が山積みでそんな余裕はなかったけど、みんなから「今日だけは仕事は良いから!」、「堀井さんが主役だから!!」と言われ、引っ張られて引きずられて居酒屋に到着。


「私のこと、忘れないでね」

「俺のことも忘れんなよ?」


 みんないろんなことを言ってくれたけど、私の耳には届いていない。

 もちろん、もうすぐこの会社とは縁が無くなる。仕事のことも考えなくなる。

 そんな暮らしをする私に、忘れないでと言うのは、きっと無理だ。


 送別してくれるのは嬉しいけど、まだ少しだけ残ってるし、それに──


「すみません、電車がなくなるので、帰ります!」

 ここから家まではそんなに遠くないけど、もうすぐ24時。

 早く電車に乗らないと、本当に、また帰れなくなってしまう……!!!


 まだ盛り上がっている人たちの間を縫うように抜け出して、仕事帰りと同じように、私は終電に飛び乗った。

「またかぁ。この電車も、もうすぐ終わりかな……」


 そしたら本当に、ショウジさんとは、会うことはない。



・・・☆



「降りるよ、着いたよ」

「──は、はい!」

 耳元で聞こえた声に導かれ、その人に手を引かれ、私は電車から降りた。

 私が住んでいる町の最寄り駅。

 いつものパターンなら、このまま改札を出て、コンビニへ行く。


 この後の行動を考えながら、私はようやく目を覚ました。

 冷たい風が吹き付ける駅のホームで、私の手を握っているのは──。

「え……、どうして……?!」

「どうしてって、チサコちゃんがいつもここで降りてるから」


 笑顔でそう言ったのは、紛れもなくショウジさんだった。

「で、でも……、ショウジさんは、ここじゃないですよね?」

「僕もここなんだよ、実は。チサコちゃんとは、逆方向だけどね」



 このタイミングで会うって、どういうことですか。

 言いたいことはたくさんあるのに、言葉が全然出てこない。


「とりあえず、出よう。このまま真っすぐ帰る?」

「はい……」

 いつもはコンビニに寄って行くけど、今日は買いたいものはない。

「それじゃ、送るよ」



 ショウジさんは、カメラマンをしていると言った。

「へぇ……どんな写真ですか?」

「主に風景かな。日本が多いけど、ときどき海外にも行ってる。今回も──あの朝からずっと、仕事で回ってたんだ」

「……だから、会わなかったんですね」

「もしかして、探したりした?」

「い、いえ……」

 本当は、探したけど。

 言ったところでどうにもならないし、喜ばれても、関係は変わらない。


「前の約束、覚えてる?」

「約束……あ、はい。覚えてます」


 言いながら私は携帯電話を取り出して、赤外線通信でショウジさんに送ろうとしたけれど。

「ごめん、僕の古くて……赤外線、ないんだ。ごめんね、面倒くさい?」

 ショウジさんは照れながら、私にメモを渡した。

「これ、僕のアドレスと番号。登録しといてもらえるかな」


 赤外線がついていない携帯電話──確かに、相当古いかもしれない。

 でも、そんなに長く使いこんでいるのは、物を大切にしている証拠かな。


「でも、私……もう、ショウジさんに会わないかもしれないです」

「え? どうして?」

「今の会社、辞めるんです。この町を出て行きます──結婚するんです。親が決めた、お見合い、なんですけど」


 私がそう言った瞬間、ショウジさんの表情がかたくなった。

 どうして……?

 ショウジさんのことは忘れるって決めたのに、辛いのはどうして……?


「嫌なの?」

「嫌ではないですけど──」

「じゃ、泣かないで」

 ショウジさんは私の涙を拭ってくれていた。

 久しぶりに触れた手が、私の涙腺をまた緩める……。


「デート、しようか」

「……え?」

「お見合いは決まってても、まだ、チサコちゃんは彼氏はいない。だったら、僕とデートしても誰にも怒られないよね?」

「そう、ですけど……」

「だったら、行ってしまう前に、ダメかな。それとも、僕が、軽い気持ちで言ってると思ってる?」

「本当に、本気なんですか?」

「出来るなら、今からでもチサコちゃんを連れてどこかに行って、2人で暮らしたい。チサコちゃんの実家に行って、お見合いを中止してもらいたい──それくらい、本気だよ」


 私の手を握っているショウジさんの手が小刻みに震えていた。

 この人は本当に、私のことを好きでいてくれたんだ──。


「もっと早く、ショウジさんに出会いたかったです……今頃、好きになっちゃった……」

 不意にショウジさんに抱きしめられて、私の髪は少し乱れた。

 それを直しながら寄せられた唇は、前より優しくて、温かかった。

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