猛虎王の鎧

ふゆ

第1話

 かつて大陸にある九つの国を一つにした偉大な王がいた。

 戦場では自ら先陣を切り、その戦いぶりは千人の兵隊に値するほど。

 薙ぎ払っては突進する姿はまさに猛獣のようだと畏れられ、亡き後は猛虎王の遺品としてその鎧を大切に保管された。

 薄暗い宝物庫の中で僅かな光でも燦然と輝きを返すその金色の鎧には、三日月のように切れ味の良い虎の縞模様が施され、兜には虎の牙が頬を穿つように数本ずつ嵌め込められている。

 美しい金色の鎧は年に一度統一記念日に披露された。多くの人は猛虎王の権威をその心に刻んで、伝説を語り継いでいった。

 祖国を愛した猛虎王の魂は、やがて国の統一が端から崩れ始めたことで再び目を覚ました。

 誰も着ていないはずの鎧が動き出し、共に収められていた槍で宝物庫を突き破ったのである。

 そもそもその鎧は稀代の職人が猛虎王の世が永久に続くようにと祈りながら彫ったものだ。

 そして多くの人が、戦争が始まった時に猛虎王の再来があればと心に願った。

 多くの祈りが重なり、王の魂を鎧に引き寄せる奇跡となったのだ。

 連戦連敗を続ける兵士たちの前に王の鎧は颯爽と現れる。

 伝説と同じように先陣を切って戦うその姿に兵士たちは狂喜し喝采をあげた。時の王は最初こそ戸惑ってはいたが最終的に前線の一部隊の指揮権を猛虎王に渡した。国民の絶大な人気を誇る猛虎王を排除することは戦時中において不利益しか生まれなかったし、何よりも敗けることがあれば責任を猛虎王に負わせることができる。

 発端は東の国の反乱で始まった戦争だが、真の敵は海の向こうのヤーグ教を信仰する異国人たちた。鳥頭を兜にした狂信的なヤーグ人が背後にいることで猛虎軍は苦戦を強いられていたのである。

 王は己一人では足りぬと更に力を求める。

 兵士たちの中で、愛国心溢れる優秀な者を見染めては、その槍の餌食にし、魂を王の鎧に引きずり込んだのである。

 英霊として選ばれることは名誉ではあるが死への恐怖は消えない。ほとんどの者は王に選ばれることはなかったが、兵士たちは密かに心中で天秤にかけるようになった。

 ある日のこと、一人の青年が馬上の猛虎王の前に立ち塞がった。

「猛虎王! どうか共に戦わせてください!」

 健康的な肌に爛々と輝く瞳。まだ十代と思しき青年は迷いもなく腕を広げた。

 青年の父はかつて戦場で散った兵士だった。猛虎王に心酔していた父はタイガと名付け、戦死後は祖母がタイガに猛虎王の英雄譚を寝物語として聞かせて育てた。

「猛虎王はね。強いだけではなくて優しいのよ。あなたもそうありなさい」

 自然と自身も父のように戦場で散る運命だと、タイガは思うようになったのだ。

 望み通り、首を刎ねられたタイガは、誰よりもその情熱が優っていたのか、たちまち英霊たちを凌駕する存在となる。王が握っていた主導権はいつの間にかタイガの手に移っていた。

 弓の名手であった英霊はタイガの思う方へと必ず矢を導いた。槍を使えば力ある英霊数名が大量の敵を薙ぎ払い、反撃にあう前に勘の鋭い英霊が盾で防いだ。

 猛虎王の鎧は手のつけられないほど強さを増した。一万人に値するその脅威に、やがて敵は民間人に紛れるという禁じ手を使うようになる。

 それは民間人全てが敵兵と見做される危険性のある卑劣な戦い方だった。

 しかし虎王の容赦ない攻撃は止まることはなかった。

 タイガは憧れていた猛虎王となって戦える喜びに酔いしれていた。

 彼の中で、猛虎王は無慈悲で残酷な男なのである。

 民間人、兵士関係なく剣を振るった。

 たとえ相手が女子供でもあっても、味方の兵士の命を危険に晒すよりはいいと槍を振るい続けたのである。

 ある日のこと。倒れた親の前で泣く少女にタイガが槍を振りかぶったその時、庇うように飛び出してくる人影があった。確かめもせずに振り下ろす。直線と重なったその顔を見てタイガは言葉を失った。

 仰向けになった顔は血まみれで、潰れた頭部は顔貌を崩しててはいたけれど、それでもその人はタイガがよく見知っていた人だったから。

「婆ちゃん」

 そう言えばここは故郷の近くだったと、思い出しながら馬から降り、痙攣している祖母の前でタイガは少し考えた。

 肉親に手をかけたとしても、猛虎王ならば平然としているだろう。猛虎王ならばとっくに戦場に駆けているに違いない。

 しかしタイガは叫んだ。

「婆ちゃあん」

 崩れて兜の視界から落ちた。肩からは斜めになって外れた。

 小さく溶けるようにタイガは鎧の暗黒に沈んでいった。

 入れ替わるようにゆっくりと浮上したのは猛虎王の魂。

「なんという脆弱」

 兜の顎を片手で掴み、位置を直した王は深く落胆の息をつく。鎧の隙間からどす黒い怒りが吹き出しているかのようだった。

 鎧が一回り大きくなったように見えて周りの兵士たちは震えあがった。

「ようやく我が後ろで控えていられる者が現れたと、期待させておいてこれか。この老いぼれめ! 育てた責任をとれい!」

 老婆の体に、とどめとなる剣を突き刺したのだった。



「あらあら、あなた、随分と青い顔をしているのねえ。ちゃんと眠れてるのかしら? ええと、お名前は……確か……」

「あ、あの、ハンです。眠れています」

 金色の鎧の手が馬上から兵士の頬を撫でると、ひっと喉の奥で小さく声がした。

「そうなの、ハンさん。それなら食べ物の問題かしら。ねえ、ちょっとあなた」

 貝のように合わせた手を牙が嵌め込まれた頬に添え、傍で控えていた兵士に鎧を軋ませながら振り向く。

「梅の塩漬けを皆さんに配ってほしいの。アレは疲れにきくの。ええと、お名前は……」

「シンです。承知いたしました!」

「うふふ。いいお返事。それにしてもタイガったら。いつまで鎧の底で拗ねてるのかしら。ちょっとお仕事中の様子を見に来ただけじゃない。お婆ちゃんが職場に来るのってそんなに嫌なもの? ねえ、ハン……じゃなかったシンさん」

「いえ、自分は、その」

 どう答えていいか分からないのか、シンと呼ばれた兵士は目を彷徨わせる。そんな彼を不思議そうに見ながら、王の鎧は何か思いついたように小さく金属の指を絡み合わせた。

「ああ、そうだわ。民間人と敵兵のことなんだけどね。私見分けがつくから号令をだすまで手を出しちゃ駄目よ?」

「なんと、見分けがつくのですか? それはすごい」

「ええ、私ね、その人の目を見ればどんな人か分かるのよ。伊達に年をとってないんだから。あら、疑ってるの? 本当よ。あなたもいい人よね?」

 ぎしぎしと金属音を鳴らしながら口に手を当てて笑うその王の姿は、不気味としか言いようのない。

 鎧は馬の手綱を弾きながら、うっとりと遠くの空へと目を馳せる。タイガの父である亡き息子の姿を重ねながら。

「私はもう老い先短いから英霊になっても良かったけれど、タイガには早まったことをさせてしまったわね。せめてあの子が猛虎王の再来として一人前になるまで、私頑張るわね」

「敵襲!」

「あらあら、皆さん、なんか硬いわよー。これ以上負けたら国民に許してもらえなくなるわ。リラックスよ、リラックスー。そうだ、昔話をしてあげましょうね」

 話に集中して手足が留守になっている老婆を補うべく、全身鎧中の英霊が動きだす。なかには渋々動くタイガの魂も。

 それは偶然にも最大限の力を引きす究極のリラックス状態となった。

 兵士たちも、放っておくと危なっかしくなった王を助けるべく猛然と動き出す。

「むかしむかし」

「ぐがっ」

「あるところに」

「ほごおっ」

「おじいさんと」

 かき集めた敵の頭を両手で叩き潰し、猛虎王の兜を小さく横に傾けた。

「おばあさんがいましたとさ」

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