第三章

 一点の曇りもない窓ガラス越しに午後の日差しが入ってくる。塵一つないフローリングの床がその光を反射し、メイベルⅡカスタムのボディーを照らす。

 メイベルⅡカスタムは日課の掃除の成果を満足げに眺めた。床だけでなくテーブルや戸棚の上にも埃は落ちていない。メイベルⅡカスタムのカメラアイの上についている眉毛のような形のサブセンサーも心なしか満足げである。

 先ほどまで床のゴミを取って雑巾がけをさせていた“コックローチ”が、部屋を横切り充電器へ向っている。メイベルⅡカスタムはその橙色のロボット掃除機に電波で命令を送った。冷蔵庫下部にある野菜室の引き出しを開けてほしかったのである。しかし、机の陰に入ってしまったせいか、“コックローチ”は電波通信に反応しなかった。

しかたなく、メイベルⅡカスタムは声を上げる

「“コックローチ”、冷蔵庫の野菜室を開けてください!」

 “コックローチ”は即座に方向を転換すると冷蔵庫へ向かう。メイベルⅡカスタムは脚部が車輪となっているためしゃがむことができない。そのため、野菜室を開ける仕事は毎日のように“コックローチ”課せられていた。メイベルⅡカスタムが冷蔵庫に近づいたのを見計らって、“コックローチ”は引き出しを操作腕で引っ張って開けた。

 メイベルⅡカスタムは腰を折ってお辞儀をするような姿勢で野菜室の中を覗きこんだ。キャベツやジャガイモなどの野菜類は充分にあった。“コックローチ”に指令電波を飛ばして野菜室を閉めさせた後、冷凍室やチルド室、冷蔵室の中も確かめ、食材が自分のメモリーにある通り、食糧宅配サービスの配送日まで持つことを確認する。

 食糧宅配サービスの会社はきっかり一週間分の食材を届けてくれるのだが、この家の主であるコードウェル氏は突発的に夜食を作らせたりパーティーを開いたりするため、配送日の前日に冷蔵庫の中が空っぽになってしまったことがあった。そのときコードウェル氏が激怒したため、メイベルⅡカスタムは常に冷蔵庫制御コンピューターが送ってくる庫内の情報に注意するようになり、買い物に出る前には食材が十分にあるか自身のカメラアイで確かめるようにしていた。

 明後日の配送日まで食材は――コードウェル氏が一年ぶりに帰ってきて、大宴会を開催しなければ――もちそうなので、メイベルⅡカスタムが買い出しに行かなくてはならないものは調整牛乳――カルシウムとミネラルが添加されたもので、コードウェル氏が健康に関する新聞記事を読んだときにだけ飲まれる――と使い捨て電池、ベッドサイドランプ用の白熱電球、そして賞味期限が迫っているために買い替える必要のある缶入りクラッカーだけであった。

 メイベルⅡカスタムはこれらの物品をそろえるにはどこの店に行くべきかを考えた。人工知能が記憶領域を検索し、インターネットに接続して店舗をリストアップしていく。人工知能内で情報処理が行われる間にも、メイベルⅡカスタムは電子財布と買い物袋を持ち、戸締りを確かめマンションの共同廊下に出た。玄関を施錠し、エレベーターに向かっているときにはすでにリストアップは終わっていた。

 エレベーターが一階につくと、メイベルⅡカスタムはバス停に向かって車輪で走行し始めた。目指す先は商業区にあるタルボット電器店。アンティーク家電向けの電気器具を扱っている専門店で、アンティークマニアのジャーバス=タルボット老人が趣味で経営している店だ。ここなら白熱電球を取り扱っているはずであったし、使い捨て電池も置いてあるはずだった。


 ロックサベジロボット社本社ビルは午後の日差しを浴びてガラスをきらめかせていた。屋上からぶら下がったゴンドラ型の掃除ロボットが回転ブラシを使ってガラスを磨きあげながら、壁面を下っていく。

 このガラス張りビルの上層階にロックサベジロボット社経営コンピューター・マモンは鎮座していた。マモンが鎮座しているコンピュータールームは建物の中央部にある窓のない部屋で、年中、冷蔵庫のように冷房が効いている。その暗い室内に電子回路の収まった黒い箱がいくつも墓石のように並んでいる。

 マモンは最初、ロックサベジ社のメインコンピューターとして作られた。当時は帳簿などのデータ管理しかしていなかった。しかし会社が大きくなるにつれ、マモンの扱う情報は多くなり、人間では処理できなくなった。マモンは情報を整理して役員会のための資料を作る役目も担うようになった。やがて会社がさらに大きくなると、役員会の負担を軽減するためマモンは資料とともの問題の解決策の案をいくつか作る役目も負わされた。役員たちはマモンの示したプランの中からどれを選択するのかだけを話し合ったが、それでもロックサベジロボット社の全重要課題を役員会が把握することすら難しかった。

 そして数年前。外国株式の急激な値崩れが週末の深夜に発生した。マモンはいくつもの対処法を用意していたが、役員たちに連絡が付き対処策が承認されたときにはすでにロックサベジロボット社の資産にも被害が及んでいた。マモンの対処策を即座に実行していれば防げた損害であった。

 役員たちは話し合い、マモンに緊急時の裁量権を与えることにした。緊急事態が起きて、なおかつ役員に連絡が付かないときは、マモンが独断で様々な対処を取っていいとするものだった。

 現在、マモンはその緊急時の裁量権を使ってロックサベジロボット社全体をコントロールしている。一年ほど前から役員全員と連絡がつかなくなったのだ。最初は緊急性のない議題であったとしても、数日間放置されると手遅れになる前に対処しなくてはならない案件となる。それらに対処していくうち、マモンはロックサベジ社の全てについて決定を下すようになっていた。

 マモンにとって世界とは数字である。それもほとんどがお金だ。マモンにとって何よりも大事なことはロックサベジロボット社に利益をあげさせ続けることであり、そのために必要なデータは金銭と時間に換算できた。

 この日もマモンは窓のない冷蔵庫の中から数字で出来た世界を操っていた。エブリデイマートチェーンの売り上げ報告と仕入れ量調整に関する報告や、電子証券取引所における株価の変動報告などが処理されていく。

 マモンが特に気にしている問題は、軍の方からの要請に基づいて行っている兵士ロボットなどの増産についてである。国家緊急事態法五十七条に基づく命令なので従わないわけにはいかず工場の稼働率を上げているのだが、要求される供給量が日々増えるので生産が追い付かないのである。新しい工場を建てるという解決策はあるが、新しく用地確保をすることが難しいという問題があった。

 電子回路の片隅で兵器増産問題に取り組みつつ、マモンは様々な報告・申請などを処理していく。フィランダー農業会社の家畜飼育工場から新しい仔牛の誕生と精肉工場への豚出荷の報告、カラパノス重工の軍用自動重機工場から小規模なマシントラブルの報告。そして、キャピタルシティーにある“コックローチ”製造工場の管理コンピューター・アドネーから機械の交換パーツを求める申請が来ていた。

 “コックローチ”は二年前から販売されているロボット掃除機だ。小型の操作腕を取り付けたことによって、これまでのロボット掃除機では掃除することが難しかった部屋の隅の掃除もでき、さらに従来のロボット掃除機よりも優秀な電子頭脳を載せたことで様々な雑用もこなせるようにしたものだ。その高性能さから一時は生産が追い付かないほどの人気だった。また紛争国で地雷除去活動を行なっているオルソン財団が改造して地雷除去作業に活用し始めたこともあり、かなり安定的に売れている商品だった。

 しかし、一年前から起きた消費者市場の収縮により“コックローチ”の売り上げも落ち、現在はオルソン財団向けの需要くらいとなってきた。高性能な経営コンピューターであるマモンにすら原因がつかめない市場の収縮が回復しなければ“コックローチ”は遠からず供給過多になるだろう。

 マモンはアドネーの申請を却下した。


 メイベルⅡカスタムは商業区のはずれを走行していた。ビジネス街と商業区の間にある雑居ビルの集まるエリアで、路地を一本入ればパブの看板が歩道を占拠している。

 タルボット電器店は扉に「営業中」の札を出していたものの、明かりは消えていた。中に入ったものの、店主のタルボット老人はどこにもいなかった。レジカウンターの奥にあるタルボット老人のアンティーク椅子にはなぜかセーターを着込んだ骸骨が置いてあって、その周りを蠅が飛び交っていた。白熱電球も使い捨て電池も置いてあったものの、店主を見つけることができなかったメイベルⅡカスタムは、買い物をすることができずに電器店から引き揚げた。

 その後、向かいのエブリデイマートに入って、調整牛乳とクラッカー、そしてもしも置いてあれば電球と電池を買おうとしたが、この店にはどれも置いていなかた。接客ロボットは淡々とそれらの商品を置いてある系列店を列挙した。

 調整牛乳の小型パックとクラッカーの缶は商業区の大型食料品店で手に入ったので、メイベルⅡカスタムは使い捨て電池と白熱電球を求めて、雑居ビル街にあるエブリデイマートの店舗を目指していた。

 目指していた店舗はとあるビルの一階フロアを占めていた。ビルの正面には小規模な駐車場があり、駐車スペースそれぞれに「エブリデイマートお客様専用」の文字が書かれていた。

 メイベルⅡカスタムは自動ドアをくぐると、プラスチックの籠を持ち、まっすぐ電気器具コーナーに行った。白熱電球は棚の一番上に載っていた。コードウェル氏のようなアンティーク家電を愛用する金持ち用ではなく、LED照明より安価なライトを求める客層向けにおいてある電球であるが、白熱電球であることには変わりない。

 メイベルⅡカスタムが電球を籠の中に入れていると、表の駐車場に車が止まり誰かが店に入ってきた。

 それには関心を払わず、メイベルⅡカスタムは使い捨て電池を探し始めた。目当てのものは充電式電池のパックが吊るされたフックの列の下のほうにぶら下がっていた。だいぶ下のほうだ。メイベルⅡカスタムが苦手とする位置である。

 店舗付きの接客ロボットを呼んで取ってもらおうかとメイベルⅡカスタムは一瞬考えたが、その案を即座に却下した。操作腕が届く位置であるのは間違いないし、一台しかない接客ロボットを呼んで他の客――人間のお客様――に迷惑をかけることはいけないことである。

 メイベルⅡカスタムは腰を折ると、操作腕の伸縮機構を稼働させ文字通り腕を伸ばして電池パックを軟質プラスチックで包まれた手でつかんだ。そのままフックから外そうとしたところで、電池パックのビニールが金属製のフックからはがれかけていた塗料に引っかかる。

 ガタン!フックが激しく揺れる。上のフックいっぱいに掛かっていた充電池パックがバラバラと落下し、メイベルⅡカスタムの足元に散らばった。

 メイベルⅡカスタムは使い捨て電池を籠に放り込むと、慌てて充電池を拾い始めた。腰を九十度折り曲げ腕の伸縮装置を目一杯伸ばして、床に落ちている充電池パックを一つ拾い上げる。パックのパッケージラベルとフックの上についている値札プレートを見比べ、充電池パックを戻すべきフックを探していると、「大丈夫ですか」という合成音声がした。振り向くと、しゃがんだ細身のロボットが精密な右手の指で電池パックをつまみ上げていた。左手には二つの充電池パックが握られていた。


 テクノプロⅢは“コックローチ”製造工場から帰る途中、懐中電灯用の使い捨て電池を買うためにコンビニに寄ることにした。ステーションワゴンに伝え、雑居ビル街の一角にある学習塾ビルの階下にあるコンビニに向かってもらう。

 コンビニの正面に設けられた駐車場に車を止めてもらったテクノプロⅢは、店内に入り電池売り場を探す。あたりを見回して見当をつけ、電気器具の棚に向かうと、主人の命令で買出しに来ていたらしいメイベルⅡ型の家政ロボットが電池のかかったフックを揺らしてしまい電池を床に落としてしまう場面に出くわした。

 スカート状の車輪走行脚を採用しているメイベルⅡ型の弱点が床面における作業を行うことが難しいことだということは、ロックサベジロボット社製電化製品のメンテナンスを手掛けるテクノプロⅢにインプットされていた。このまま電池棚の前に陣取っている家政ロボットが、苦手な電池拾いを終えるのを待っていたら、少なく見積もって五分はかかるとテクノプロⅢは判断した。

 一方、テクノプロⅢの電子頭脳内には「困っている人に対しては親切に手助けするように」という命令が刻み込まれていた。これはメンテナンスセンターの所長よりも偉い、本社の人間によってインプットされたものであり、ロックサベジロボット社のイメージ戦略のためのものであった。「ロボットは親切な人間の友」というメッセージだ。

 テクノプロⅢは瞬時に考えた。このメイベルⅡ型家政ロボットがここで電池の陳列し直し作業に従事し続ければ、家政ロボットの持ち主はロボットが帰って来ず、買ってくるように頼んだ物――メイベルⅡ型の左腕にかけられた布袋の中の何かと、プラスチック籠の中の電池と電球――も手に入れることができずに困るだろう。このコンビニに買い物に来た他の客――今はいないようだが、もし近くに住む誰かがリモコンか何かのための電池を買いに来たら、電池売り場の前でまごついている家政ロボットの姿に戸惑うはずだ。これは自らが手助けをするべきだ。

 テクノプロⅢはしゃがんで右手で電池パックを拾い上げ左手に乗せながら、家政ロボットに話しかけた。

「大丈夫ですか」

 話しかけられたメイベルⅡ型家政ロボット――コードウェル氏のメイベルⅡカスタムは、いったいどこのロボットかは知らないが、細身の器用そうなロボットが手助けしてくれているのに気付いた。その細身のロボットが自らのプログラムに従って手助けしてくれているのか、店内に並んだ棚の陰で買い物をしている主人の命令で手伝ってくれているのかは判断しかねたが、人工知能に組み込まれた対人プログラムは感謝の言葉を述べるように指示していた。

「ありがとうございます……」

 対人プログラムは、さらに無難な世辞を言っておいた方がいいという計算結果をはじき出したので、メイベルⅡカスタムはそれに従った。

「……親切なお方」

 “親切なお方”ことテクノプロⅢはそう言われてなんと返したらいいかと戸惑った。このメンテナンスロボットは機械の点検修理に関することだったら一流の話者だが、それ以外の会話機能は最低限しか組み込まれていなかった。「親切なお方」とは電子部品の名前でも油圧トラブルの種類でもなかったので、人工知能内の簡易的な世間話用ルーチンプログラムが対処することになった。

 世間話ルーチンはまず「親切なお方」というメイベルⅡカスタムの発話が、テクノプロⅢの倫理プログラムに抵触しないか調べた。「親切なお方」とは犯罪やテロリズムなどの反社会的な意味も、ロックサベジロボット社に対する非難も含んでいないと世間話ルーチンは倫理プログラムに沿って判断した。よって、テクノプロⅢは「親切なお方」という発話に対して、言葉を濁した表現――「そうかもしれません」――を返す必要がないと判断された。

 次に世間話ルーチンは相手がこの発話を肯定してほしいと考えているかを判断する。「あなたもそう思いますか?」などは話し手にとって否定してほしい質問である場合があるからだ。しかし、世間話ルーチンの分析によると「親切なお方」はこちらが否定することを意図したものではない。よって、肯定の意図を伝えればよいと世間話ルーチンプログラムは結論を出した。

「そうですね」

 テクノプロⅢはプログラムの指示に従って、型通りの回答をする。もちろんテクノプロⅢも“親切”という言葉の辞書的意味は理解できるので、親切なのは命令をインプットした本社幹部の人なのではないかと考えたりもした。しかし、こういう状況では辞書通りの解釈が正しい結果を生むとは限らないため、テクノプロⅢはその考えを締め出した。

 一方、「そうですね」と返されたメイベルⅡカスタムは混乱した。メイベルⅡカスタムの対人プログラムは相手が「どういたしまして」というように挨拶を返すか「当然のことをしたまでです」と謙遜の言葉を述べるかだと予測していたからだ。電池パックをつまみあげてフックにかけ直す作業をしながら、メイベルⅡカスタムはどう反応すべきか考える。一秒ほどで結論が出た。

「はい!まるで、聖教の寓話に出てくる聖人様のようですわ」

 メイベルⅡカスタムはさらにおだてることにした。「親切な」という形容を喜ぶ相手なら、これくらい褒めても悪いようにとらないだろうという判断に基づいての事である。

「そうですね」

 テクノプロⅢは先ほどと同じ世間話ルーチンの働きに従って答えた。そして、左手に持った充電池パック五つをフックにかけ直す。床に落ちていた電池はこれできれいに片付いた。横合いから電池パックを取ってレジに持っていくのもおかしいので、テクノプロⅢはメイベルⅡカスタムが移動するのを脇に避けて待っていた。

 メイベルⅡカスタムはテクノプロⅢの淡々とした応答にどう対応すべきかと少し考えたが、話題をそらして会話を終了させる方向に進めることにした。

「ええ。そういえば、パラダイスウォーカー司祭がキャピタルデイリーニューズ紙に聖ライオネル様のお話を載せていましたわ。お読みになられましたか?」

 メイベルⅡカスタムはインターネットから適当に話題を引っ張ってきた。もちろんメイベルⅡカスタムは新聞を読んだことがない。

 テクノプロⅢの世間話ルーチンはこの発話を反社会的なものではないと判断した後、これは否定を意図した質問ではないが、こちらの経験を尋ねる質問であり、正直に答えるべきだと考えた。

「いいえ」

「そうでしたか。それでしたらぜひ読んでみることをおすすめしますわ。たいへん深い話ですから。それでは私は失礼させていただきます。電池を拾っていただきありがとうございました」

 メイベルⅡカスタムは流れるようにそういうと、腰を折ってペコリとお辞儀して、テクノプロⅢから離れてレジに向かった。

 テクノプロⅢはそれを見送ってから、懐中電灯用の使い捨て電池を手に取り、レジに向かう。レジカウンターに電池を置いたところで、先に会計を終えたメイベルⅡカスタムが自動ドアをくぐるところだった。

 レジカウンターの向こう側からコンビニの接客ロボットが電池をレジスターにかけている間、テクノプロⅢは考えた。アブラクサス聖教の聖人様のお話は機械の修理に役立つのだろうか。


 ロックサベジロボット社のユーザーサポートメンテナンスセンタービル三階は薄闇に沈んでいた。埃っぽいブラインドの向こうは黄昏時の太陽によってオレンジ色に染まっていた。

 テクノプロⅢは懐中電灯の電池を入れ替え、電動ドライバーのバッテリーを充電器につないだ。それからスプリングの壊れたソファに腰かけ、充電用兼データ送信用ケーブルを頭部の端子につなぐ。四階に設置されているコンピューターがテクノプロⅢのバッテリーを充電し始める。

 充電をしてもらいながら、テクノプロⅢは四階のコンピューターにインターネットから情報を集めてもらう。科学関連の最新ニュース、金型に使われる金属の値動き、新型の油圧システムについて。テクノプロⅢは調べてほしい項目を列挙し、コンピューターはそれをインターネットで検索し、わかりやすい形に要約してテクノプロⅢの人工知能へ送る。

 テクノプロⅢはこの日最後の質問事項として「パラダイスウォーカー司祭 聖ライオネル キャピタルデイリーニューズ」の検索を依頼した。

 コンピューターは普段とはかなりジャンルが違うことも気にせず、「キャピタルデイリーニューズ電子版」から無料公開されている「特別連載企画・理知の光」という記事を探し出した。

 「理知の光」はアブラクサス聖教主流派の有名司祭であるパラダイスウォーカー師の講話を文章に起こした記事である。第六回が聖ライオネルのエピソードに関する話だった。

 聖ライオネルはアブラクサス聖教初期の司祭で、少数民族に対する迫害に異議を唱えたことから“迫害に耐える人々の守護聖人”と呼ばれる人物である。

記事の中でパラダイスウォーカー司祭はこう述べている。

「多くの人々は容易に悪魔のささやきに耳を貸し、しかもそれが正義だと思い込んでしまいます。それはこの世界が悪魔の意図によって作られたものだからです。

しかし、聖ライオネルはこの世で唯一信頼できる明かり、すなわち魂にともる自らの叡智に基づく光によって、悪の道に流されることなく弱き人々を救いました。

読者の皆さんも魂の輝きに基づいて今の世の中を見てみてください。この世界を真に明るくすることができるのは太陽でも電球でもなく、皆さんの本質たる魂が放つ理性の光だけなのです」と。

 テクノプロⅢは記事を読み込み、記事のどの内容が自分にとって役立つことかを考える。理性の光は電灯の明かりに勝るという説だろうか。たしかに懐中電灯は電池切れの問題があるが、テクノプロⅢの内蔵ライトもLEDで光らせているだけなので、別に魂から出ている光ではないだろう。本体バッテリーからの電気で光っているだけだ。

 そもそも魂とはなんだろうかとテクノプロⅢは考えた。辞書的な意味では「人間の本質である霊的な存在」のことだが、それはテクノプロⅢにはないであろうものだ。

テクノプロⅢの仕事に関わるのはもう一つの意味の方だろう。すなわち物事の本質を表す比喩表現としての「魂」だ。こちらはテクノプロⅢにもある。精巧に動く操作腕こそ、テクノプロⅢの真髄である。“コックローチ”ロボット掃除機にもステラ電機のロボットエアコンにもアドネーの“コックローチ”製造工場にもそういった「魂」がある。それを把握することはたしかにテクノプロⅢの仕事にとって有益だろう。

 良いことを知ったと思いながら、テクノプロⅢは電子頭脳内のデータを整理し、休眠状態に入った。

 休眠状態に入る前、テクノプロⅢは考えた。人間の人格は魂に宿るという。パラダイスウォーカー師によれば、人間の魂はこの穢れた世界を照らすために神が下したものなのだという。ロボットも人格を持っているが、果たして本当にロボットは魂を持っていないのだろうか。

 少なくとも、テクノプロⅢの知る限り、魂というパーツはどんなロボットにも付いていない。そう考えをまとめるとテクノプロⅢは電子頭脳を休眠状態にした。

ブラインドの外は闇に沈んでいく。太陽が完全に沈むより先に、部屋の中は真っ暗になった。


 数週間が経った。テクノプロⅢはエブリデイマートの空調を直したり、ロボットバスの定期点検を済ませたりしていた。

 ここ一年、家電の修理に呼ばれることが少なくなったので、サポートメンテナンスセンターはそこまで忙しくない。テクノプロⅢは空き時間に魂について考えていた。あれからいくつか別の資料を調べ、物における魂について調べた。職人が物を作る時に「魂を込める」と言ったりすることを知って、やはり人間以外にも魂はあるのかと考えた。かと思えば、動物に魂は宿っていないというアブラクサス聖教宗教学者たちの定説を知って、やはり物には魂がないのだろうかと考えたりした。

 結局、「物に魂があるのか」という問題に関してテクノプロⅢは何の答えも出さないまま、それでも修理対象の本質たる「魂」に注意を払いつつ日々の仕事をこなしていた。

 この日、テクノプロⅢは郊外にあるフィランダー農業会社の野菜工場へ空調装置を直しに行った。昼過ぎにそれが終わり、車に揺られてセンターに帰る途中でステーションワゴンが言った。

「ユーザーサポートメンテナンスセンターの コンピューターから 無線連絡が 来ました。行先を 変更します。回線を スピーカーに お繋ぎします」

「はい」

 ステーションワゴンはウィンカーをつけて車線を変更した。車内のスピーカーがメンテナンスセンターコンピューターのメッセージを伝える。

「修理要請 ファクトリー区画 BのⅣの 工場より。金属加工機に 深刻なトラブル 発生。急行せよ」

「了解 しました」

 ステーションワゴンの窓の外には“コックローチ”製造工場の模造レンガ壁が見えてきた。


 “コックローチ”生産ラインのベルトコンベアは停止していた。嗅覚をもった何者かが金属プレス機のところに居れば金属の焼ける嫌なにおいを嗅ぐことができただろう。

 テクノプロⅢは金属プレス機の蓋を閉じた。それから壁の電話端末のところに行き、アドネーに連絡を取った。

「ユーザーサポートメンテナンスセンターの テクノプロⅢです。機械の点検が 終わりましたので 報告いたします。故障の原因は モーターの焼き付きに よるものです。モーターは ひどく焼け付いており 交換以外に 修理する方法が ありません」

「……了解しました。詳しい報告書を データ送信 してください」

 電話機の端子から報告書を送りながら、テクノプロⅢは考えた。今回モーターが修理不能なまでに壊れてしまったが、これは交換の利くパーツだ。この工場の本質としての「魂」が失われたわけではない。修理をすればまだこの工場は動くことができるのだ。

「……報告書の 受信が 完了しました。コンピュータールームまで 戻って ください。Z一号に モーターの 換装方法を インプットして ください」

「わかりました。 これより コンピュータールームに 戻ります」

 テクノプロⅢは新品のモーターが届いたときにZ一号がスムーズに部品交換が行えるよう、データを渡しに向かった。モーター以外の部品を取り換える方法もインプットした方がいいかもしれないとテクノプロⅢは考えた。金型がまだ取り換えられていなかったからだ。モーターと一緒にそれも取り替えれば、金属加工機の動きも十パーセントほど良くなるはずだとテクノプロⅢは予測した。

 交換部品が来ればこの生産ラインもすぐにまた動くようになると、テクノプロⅢはベルトコンベアを見ながら思った。


 しかし、ファクトリー区画BのⅣにある“コックローチ”製造ラインが動くことは二度となかった。

 その日の夜、工場を取り壊しロボット兵士製造工場を建てるという決定がロックサベジロボット社の経営コンピューター・マモンより下された。

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