序章―4:恋愛とは説明がつかない

*後半の視点は武義です


和風の屋敷の畳部屋で一人の男性は広い敷地にある庭を静かに鹿威しと水の音を聞きながら縁側に座っている。けれど彼は目に見えて病弱で背もたれがある椅子に座っており、膝にも夏に差し掛かる天気にも関わらず毛布も掛けている。


たまに彼は手元にあるタブレット端末を確認したりノートを書き込んだりする以外動かず庭を見渡している。


「兄様っ!」


屋敷の中で急にドタドタと騒々しく走る音が鳴り響いてから男性の隣に栗色のショートカットの小学生が滑るように座った。その目は崇拝にも近い色でブラコンとも言える程兄を慕っているのがわかる。


「やあ、花梨。学校にはもう慣れたかい?」


「うん!皆本国から来たから珍しいって色々と質問されたけど、優しい人ばかりですよ、兄様!面白い人達もいるし、新しい友達も出来たよ!」


「それは良かったよ。転校ばかりで大変だったけど、友達が出来て兄として嬉しいよ」


「...兄様も友達に会わせたいのに」


花梨の明るい表情は少し陰りが見え、膝の上の拳は握られていた。


「花梨、兄上を困らせては駄目です。今は重要な仕事の最中」


縁側に新しく表れたのは無表情にまで近い竜宮学院の制服をきっちり着こなしている女子高生だった。姿かたちも花梨の姉としてうなずける容姿で可愛いと言うより美人系である。その容姿は表情の無さで引き立てられているとも言えて高等部では深窓の紫令嬢とも言われているが、本人は無関心である。


「う、ごめんなさい、紫苑姉上」


明るい花梨は対照的な姉は少し苦手らしく、姉の言う事は素直に聞く傾向がある。


「別に気にしていないよ、紫苑。あまり根を詰めすぎるのは体に答えてしまうから、丁度よかったよ。母上は話があると言っていたけど、会えたかい?」


「授業内容はもう知っていたから途中で抜けた。弘毅...じゃなかった、武義について今後どうするかの話だった」


紫苑が何気なく言った名前で兄妹の雰囲気が変わる。総志は妹たちに見せていた優しい表情から真剣な雰囲気になり、花梨は見て不機嫌なのがわかる。


「母上はなんて?」


「彼を養子とするって言ってた。彼は兄上の言う通り神祟りになっているし、先月の事も考えてこっちで養護しておいた方がいいでしょうって言ってた」


「なるほど、ね。...やはり母上は彼を」

総志は最近母で辰の上家の長である辰の上紫雨が先月連れてきた少年を思い出す。


普段は本国で龍神学院の副理事長、そして辰の上の長として仕事をしている母は珍しく長期休暇でもないのに急に別荘に訪れた。元々は総志の療養、そして妹の紫苑が近くにある竜宮学院に通う為の別荘はヤマトが誇る海上浮遊都市の一つにあり、本国とはかけ離れている。そこで本国で起きたテロ事件の報道が流れたと思ったら急に母が花梨と以前家族の集まりであったはとこの弘毅を連れてきた。


本国にまだ用事があるからと戻る前に母は彼に関する重要な事項をいくつか紫苑と総志に伝えた。一つは辰の上弘毅とその両親は死んだ事になっていると言う事、一つははとこを瀧川武義と今後呼ぶこと、そして最後に彼の異常な魔力量と魔法の才能の無さを調べる事だった。その上、本国の小学校に通っていた妹の花梨も急にこの別荘に移る事になった。


と、考えにふけていると不機嫌だった花梨の怒声で現実に戻る。


「何で?!なんであいつばっかなの?!お兄ちゃんもいつもあいつのお話ばっかりで、お姉ちゃんもなんであんな奴の稽古だったら付き合うの?あいつなんかいなくなってしまえばよかったのに!」


「花梨!それはっ!」


パチンッ


縁側で庭の音を突き刺す様な音が走る。元は表情一つ変えず花梨をひっぱたいた紫苑だった。


花梨は一瞬唖然とし、直ぐに反抗するかのように紫苑を睨みつける。


それに対し紫苑はただ冷静に言葉を突きつける。


「花梨、言い過ぎ。辰の上の娘である以上、軽率な言葉はいけない。しかも相手はあなたのはとこ、家族の分家もいなくなったばかり。...私がそれ以上許さない」


「う...お姉ちゃんのばかっ!!お兄ちゃんのバカッ!!」

と、言い残し、花梨は走り去っていく。


縁側に静寂が満ち、鹿威しの音が空気を割くように鳴り響く。


「...言い過ぎた」


思いつめた表情で紫苑は花梨が走り去った後を見つめている。


「...いや、私が彼女の気持ちを考慮しなかったもある。...でも今のうちに彼の問題をどうにかしないと、ゲホッ」


「兄上っ!」

突然咳き込み、痙攣し始めた総志を見て紫苑は駆け寄るがしてやれることが無い事に初めて表情が微かに変わる。


彼の介護しようと動いた彼女は急に縁側に現れた少年が持ってきた物に気が付き、一歩下がる。少年も紫苑と似た無表情ではあるが、彼女とは違って周りに無関心としか思えない。目立つのは一か月前の事件で負った右目があったところにある酷い裂傷。


そして、色が抜け落ちたような白い髪と魔法の才能が欠如したにも関わらず、抑え込んでも溢れ出る魔力量だ。


「総志様、お薬とお茶をお持ちしました」


「ああ、ゲホッ、すまないね、武義」


総志は薬を飲んだら症状が落ち着き、顔色も回復し始めた。


「さて、今日は私は体調が少しすぐれないから紫苑、今日もまた武義の稽古を見てくれないか?」


「...わかった。今日は魔術の練習?それとも居合?どっちにする?」


「魔術の練習でお願いします、紫苑様」


庭で敷き詰められた岩で二人は稽古を始め、総志は縁側でそれを観察する。基本の魔術陣やその理論と応用方法、魔力を扱えない武義でも魔術が使えるように紫苑が考えた授業内容が聞こえてくる。


多彩な魔法や魔術を別次元で扱える才能を持っている辰の上本家だが、分家の方はともいわれる天恵魔法の類を代々受け継いでいていた。分家の生き残りとなってしまった今の武義にはその気配が全くなく、事件のせいなのか変わりに天恵魔法持ちでさえ超え、霊力と呼ばれるに近い魔力量を保有している。


「そ~う~し~くんっ!」


声の元に振り返った先には誰もおらず、急に後ろからほっぺをつつかれた総志は呆れた表情で反対側に視線を向ける。予想通りそこには総志達の母であり、辰の上本家の現当主、辰の上紫雨がドヤ顔で縁側に腰を掛けていた。


「母上、お帰りなさい。本国でのお仕事はひと段落したのですか?」


「もう~総志ももうちょっと驚いたふりでもしてくれれば、お母さん嬉しいんだけどなぁ~」


ぶりっ子の様なふりをする母に対し、総志は慣れた表情で愛想笑いをしている。


けれど急用はあるみたいで母は武義の方を真剣な表情で見る。


「ん、あの子、私に気が付いていたわね。やっぱり祟られているから何かしら恩恵をもらっているのかしら?」


「しかしそのかわり分家の特有魔法も常人が扱える魔法でさえ使えなくなってしまっています。恐らくはあの膨大な魔力を許容するために回路が全て焼かれたか別の何かに書き換えられてしまったと思います」


「そう言えばお父様、じゃなくて御隠居から強く念を押されたわ。分家が使っていた魔法の数々を失ってはならぬ!とね...あの老いぼれめ」


母上の表情を見てからあまり宜しくない話だったのだろう。しかし、もうこういう話には関わる事さえ阻まれてしまっている、この病のせいで。


「今日は彼の祟りを解決するためにこちらに?」


「そうね、残念だけど明後日には本国に戻らないといけないから今日中に済ませましょう。用意はしてあるのよね?」


「はい、準備は先週送られた資料を私なりに改良して用意しています。言われた通り彼には目の治療としか伝えていませんが、本当に宜しいのですか?」


「...ええ、彼の未来の為だもの」


武義を見る母上の目は別の遠い場所を見ている。あの目は、母は武義を自分と重ねているのだろうか、家柄と言う枷から逃れられない自分と。


「ひろた、じゃなかった、武義、紫苑!そろそろ目の治療をするから訓練はそこまでにして体を清めてきなさい」



―――


気づいた時には、もう手遅れだった。俺の手から、しっかりもしていない指の間からまた零れ落ちていく。


「ああっ...うぅああ...」


引きはがされていく、預けられた魂が。言葉にもならない悲鳴が感じ取れるけど、またも無力だ。


<全く、未知を恐れるべき対象として排除しようとするのは今も昔も人間は相変わらずね。こんな事でへこたれているんじゃないわよ?>


陣の外では総志さんと紫雨さんが不測の事態だのと騒いでいるのがわかる。けれど前に引きずり出されている少女に目が惹かれてしまう。あの日、女神様に託された魂が今目の前で顕現し、朝日の前の霧の様に消えそうになっている。


けれどへこたれるなと言われた。


だから信じて、待つ。



「私の騎士に、手を出すな」



そこには彫刻の様に綺麗な女性が立っていた。もし女神様が獲物を知らずとも篭絡してしまう美女だとしたら目の前に立ちはだかっている女性は手が届かないような場所にいる深窓の美女だ。


彼女が纏うのは森林の霧を思わせるヴェールと魔法使いのローブ。ヴェールには隠されているけど少しだけ見える髪はウェーブがあり、神木の深い茶色でほのかに森林の土と大樹の安らぐ匂いがする。


彼女は総志さんと紫雨さんの前に凛とたちはだかり、魔術陣の真ん中にいる俺達を守ってくれている。彼女の手には漂白したリンゴの杖があり、それを横に片手で王笏の如く地面に突き刺している。秋風の様に夏の思い残しみたいな優しい日差しを残しながら冬の無慈悲な寒さの様な魔力が周りで渦巻き、魔術陣を無効化していく。


陣が破壊された反動で総志さんは血を吐きながら倒れる。けれどその姿には目の前の魔女は目もくれない、まるで吹き飛ばされた蝶を取りすぎるかのように。


「聞いているのだろう、女神?今後の干渉はもうには無理だ、何とかしろ、さもなくば盟約はなかった事にするぞ」


<はいはい、分かっているわ。そこの死にかけ、命を捧げなさい、武義の為に。私の邪魔をしたからには命を持って償いなさい>


「ちょっと何を言っているの!?何故その様な」

「母上、構いません。先ほどの術式でもう長く持たないのは分かっていた事です。...檻の中の人生でしたが、せめて最後ぐらいは家族孝行でもさせてください」


後から知ったけど、正当な跡継ぎにはなれなかった総志さんには現当主が腹いせで十数年も自宅謹慎させた。その上病弱な総志さんには何も出来ないように監視され続け、ただ死ぬのを待つような日々を過ごしていた。


その時は事情をあまり知らなかった俺はただ皮肉を言い放った。

「お願いします、総志


「ははっ、可愛くない弟が出来てしまったな」

そうは言いつつも総志さん、いや、総志兄上の表情はやけに落ち着いていて穏やかだった。


傍による気配を感じて見上げるとそこには守ってくれた女性が凛と立っている。表情は硬いけど目が合うと微かに微笑み、薔薇とは違う静かな花が咲いた様な笑顔を見せてくる。


「そなたはこんなに可愛のだな」

彼女は手を伸ばして緊張しながらも俺の頬に触れる。真っ白な手袋をしている手は冷たいけど心地いい。


「そなたに私は過酷な運命を背負わせてしまうのだな...謝りはしない、だが責を問うのならいずれ応えよう。だから...私の夢を、私の国を滅ぼしてくれ、我が騎士よ」

哀しく、美しく微笑みながら彼女は俺の手を包み込む。見上げるとそこにはヴェールに隠れていた彼女の瞳がそこにある、まるで深海を思わせる様な深い蒼が微かに目を細めながら見つめてくる。


その時、前世のいつからか空っぽだった心が撃ち抜かれた。


その瞳が綺麗だと思った。

その佇まいが美しいと思った。


その日から愛という奇妙で不可解な感情に苛まれることになった。けれど彼女を愛してしまった事を後悔する事はこの先転生してもない。

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