6.小さな幸せ
「ちょっとーっ! 弘樹ーっ! ひ──もうっ!」
教室前の廊下で膨れる私を無視して、弘樹は隣のクラスの友人と話をしていた。
本当に、なんなんだろう。まだ出会って2日目なのに。
「ねぇ、高野さんって言ったっけ?」
突然話しかけてきたのは、クラスの男の子。顔は知ってるけど名前は知らない。
「……そうだけど?」
男の子は何も言わず、視線を私の進行方向に変え、再び私を見た。
「なに?」
「あいつのこと好きなの?」
「え?」
その声はとても大きかったらしく、半径5メートルくらいにいた人はみんな振り返った。
「あいつって誰?」
「木良」
「……って、弘樹? 私が? なんで?」
あまりに驚いて、また叫んでしまった。私と男の子の会話はやっぱり弘樹にも聞こえていて、自分が関わっていると知ってからこっちに戻ってきた。
「なになに? 俺がなに?」
弘樹は私と男の子を交互に見る。当然、野次馬もいる。
「な、何もないよ。行こう。遅くなっちゃった」
それでも弘樹はしつこく聞くけど、私はただ弘樹を引っ張ってそこから逃げ出すことしか考え付かなかった。
奈緒は、保健室の椅子に座って私と弘樹を待っていた。
「ごめんね奈緒、掃除で遅くなっちゃった」
「ううん。私こそ迷惑かけて……夕菜、どうかしたの?」
「え? あ……ちょっと……疲れただけ」
さっき何があったか、なんて、絶対に言えない。明日になれば噂くらいは立ってるかもしれないけど、今は──この2人には知らせたくない。
「忙しかったからな。奈緒ちゃん休んでて正解だったよ」
そう言う弘樹は笑ってたけど、さっきのことを知ってか知らずか、あまり元気はなかった。
今日もクラブ活動はしていないから、また3人で帰ることになった。靴を履き変えて外に出て、弘樹はたまに友人を見つけて喋りに行く。その中には朝保健室前で出会った先輩や、おそらくその友人たちもいた。
あ──……。
「どうかしたの?」
偶然見つけたその姿に私はつい立ち止まる。
「ん? あ……ううん。なんでもない」
あれは確かに……さっきの変なクラスメイト。しかも彼は、弘樹と楽しそうに話をしている。
友達……?
「夕菜、ほんとに大丈夫なの? なんかおかしいよ?」
ダメだ──落ち着かない──。
「私……今日も電車で帰るね」
「うん、そのほうがいいよ。私は大丈夫だから。……寝不足だったの」
私は返事をせず、どこを見ればいいのかもわからなかった。
「昨日からずっと考えてて……なかなか決められなくて……気づいたら徹夜」
奈緒は笑っていた。
「良かったね。大丈夫だよ、弘樹君なら」
昨日と同じように、奈緒と弘樹とは駅前で別れた。途端、先ほどのクラスメイトの言葉が耳の奥で何度もこだまする。
だから違う──!
と言っても嫌いと言えば嘘になる。でも好きでもない。
それに、私は弘樹を好きになってはいけない。奈緒のためにも。
『私、やっぱり男の子とも遊びたいよ……』
奈緒の家、殊に父親が厳しいため、奈緒は男の子と遊んだことがほとんどなかった。女の子でも浮いてる子はダメ。過去に仲良くなった男の子は何人もいたけど、一緒に遊ぶということを奈緒の父親は許さなかった。
弘樹は……もしかすると本当はダメ男なのかも知れない。昨日の帰りに奈緒と弘樹に何があったのか詳しくは知らないけど、奈緒は弘樹の本当の姿を見ていないのかもしれない。もしくは、教室での弘樹がツクリモノなのかもしれない。
ううん、なにが嘘でもいい。どれだけ嘘でもいい。奈緒への気持ちが本当ならそれでいい。ただ私は、奈緒の目の前の扉を開けてあげたいだけなんだから──。
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