第一章 鈴玉、青雲の志を立てる⑨

     七


「ねえ、『ほうおうが桐の上に宿り』……って本当はどんな状態なの?」

「はい?」

 ある日の昼下がり、鈴玉はこうえんで、艶本の一節を指さしながら真面目な顔で問うた。かんがん二人は顔を見合わせて絶句したが、次の瞬間には腹を抱えて笑い転げ、つられて鸚哥もふき出した。

「何だ、肝心の場面を知識もないまま読んで興奮していたのかい?」

「ませている振りをして、鈴玉はお子さまだな。ああ、おかしい」

「なっ、何も知らないで読んでいるわけないじゃない!」

 こうしように囲まれ、鈴玉は顔を真っ赤にして怒声を上げた。謝朗朗は、笑いすぎてまなじりににじんだ涙を手でぬぐった。

「ごめんごめん、きちんと読んでくれるのは嬉しいよ。……うん、俺たちも考えなきゃな。読者が想像しにくいのは、説明や描写に何か問題があるからかも」

 それを聞いてもむすっとしていた鈴玉だが、突然いいことを思いついたと言わんばかりに手を叩いた。

「そうだ。せっかくだから実地でやって見せてよ、その鳳凰の何とかっていうのを。あなたたちも実際に演じてみれば、次作を書く時の描写の手がかりになるでしょ?」

 そんなわけで、彼女たちは宮中の規則を犯して秋烟と朗朗の宦官部屋に忍び込み、実践することになった。

「実演」が始まり、女性的な顔立ちの秋烟が愛麗役となって寝台に横たわり、右脚を高く上げている。秋烟が着ている女ものの服は、鸚哥が主君である呂氏の服をひそかに持ち出したものだった。一方、柳子良役の朗朗は相棒の両脚の間でひざ立ちとなっている。

「ええと、『鳳凰が桐の上に宿り、翼を広げて片脚を上げ打ち震えれば』……」

 艶本を読み上げる役は鸚哥で、観察して気が付いた点を書き留めるのは鈴玉である。

 秋烟は初めこそ恥ずかしがっていたものの、いざ寝台に上がると覚悟を決めたのか、演技もなかなか堂に入っている。彼は読み上げられる描写に従いようえんに微笑むと、覆いかぶさる朗朗の背にするりと腕を回した。朗朗は掲げられた相方の脚を左脇に抱え込み、右手で衣の合わせ目を開いた。それに合わせて、女官二人ののどがごくりと鳴る。

「で、どうだったっけ?」

「『せいりゆうは雲から降りてとぐろを巻き、舌を伸ばして』よ、朗朗」

「この体勢のままでいたら俺の腕も脚もつりそうだよ。こうした場面を書く時は、宮中に伝わる古い房中術の書物もこっそり拝借して参照したけど、あれを書いた人って本当にこんな姿勢を取ったことあるんだろうか?」

 ぼやく朗朗に、鈴玉と鸚哥は顔を見合わせてくすくす笑った。それからまた、鸚哥は続きを読み始めて宦官たちは芝居を続けた。

「『龍は尾を絡ませて』……秋烟、もうちょっと寄らないと朗朗が苦しいと思うわ。姿勢が崩れてしまいそう」

 鈴玉が注意するそばから、朗朗は「わあっ」と声を上げざまひっくり返り、秋烟は「むふっ」とうめき声をあげて、あえなく相方につぶされてしまった。

「うう、痛いなあ」

「大丈夫か? 悪いな秋烟。だんだん腕がしびれてきて、頭も回らなくなってきたりしたもんで。ふう」

「ふふ、お疲れ様でした」

 そう言ってにやにや笑っていた鈴玉だが、朗朗がうっすらと額に浮かんだ汗を手の甲でさっとぬぐう仕草、そして秋烟がはだけた胸元を合わせる手つきにどきりとし、頰を染めてうつむく。鸚哥は自分のしゆきんを朗朗に渡してやった。

「いい眺めだったわよ、才子佳人のお二人さん」

「お褒めに預かり、恐縮至極に存じます。張女官」

 寝台を降り、大仰に拝礼した秋烟はくすりと笑った。

「冗談抜きにとても素敵だったから、いっそ口を吸い合っても良かったわねえ」

「そんな……」

 突拍子もない鈴玉の言葉に秋烟が絶句する一方、朗朗は「ははは」と声を上げ、挑むような目つきになった。

「よくも我が相棒に恥ずかしい思いをさせたな、じゃあ敵討ちだ。今度は、鸚哥と鈴玉で実演してみたらどうだい?」

「私たちで?」

「女官と女官が、という設定の小説だって書けるんじゃないかな。実際、この宮中ではたまに『そうしたこと』もあるしね」

「噓、そんなことが?」

 仰天した鈴玉を前に、宦官二人は頰を寄せ合うようにして笑っている。

「やっぱり鈴玉は世間知らずのお子さまだ。お疑いなら先輩女官たちに聞いてみたら?」

「子ども扱いなんてひどいわ、歳だってあなた達とそれほど違わないのに」

 鈴玉は顔を真っ赤にして朗朗と秋烟を軽くはたき、笑って逃げる二人を追いかける。ひとしきり三人でふざけ合った後、鈴玉はふと思いついたように言った。

「ねえ、女官同士の恋があるなら、宦官と宦官の恋だって書けるじゃないの」

「そうか、でも読む人がいるかな?」

「女官の何割かは、その手の話だって好きだと思うけど。書いてくれれば私も読むわ」

「鈴玉が?」

 ふうん、と朗朗は何かを考えているかのようだった。

「ともかく、実際にやってみてわかることもあるものだね。いままで見聞したことを作品に落とし込んだと思っていたけど、結局は従来の描写を踏襲したに過ぎなかった」

 相棒の言葉に、秋烟もうなずく。

「そうだね。でも露骨に書いては品格を落とすことにもなるし、さじ加減が難しいや。それはそうと鈴玉、提案してくれてありがとう」

「ううん、そんなこと……」

「あら、あたしには礼もなし? せっかく苦労してしようを調達してきてあげたのに」

 不機嫌そうな鸚哥の抗議に、秋烟は「ごめん」と舌で唇をめる。鈴玉は、鸚哥の口調のうちに戯れでない、小さなとげを感じたようでひやりとした。そういえば、先ほどは鸚哥を置き去りにして、三人だけで盛り上がってしまっていた。

 ──そもそも彼等との出会いも鸚哥あってのことだから、彼女は私が出しゃばっているように思っているのかしら。

 何となくぎこちない雰囲気となった女官二人は、秋烟が女装を解いて服を返すのを待ち、礼を述べて引きとった。それぞれの殿舎への帰途、互いに黙りこくったままだったが、やがて鈴玉はせきばらいを一つして、鸚哥に話しかけた。

「変なことを言うようだけど、私はあなた方の間に割り込むつもりはないのよ」

「あらそう? まあ、あたしだって別に気にしていないから」

 その言葉とは裏腹に、鸚哥のいらちを感じた鈴玉は再び無言の行に戻った。

 ──こんなつまらないこと、言うんじゃなかった。

 背徳的でわくめいて楽しかった、せっかくのひと時にけちがついたようで、鴛鴦殿に戻ったあとも鈴玉の表情は晴れなかった。

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