第一章 鈴玉、青雲の志を立てる⑤
四
瞬く間に
その前途を祝福するような青空のもとで、王妃の殿舎である
彼女たちの眼前には
この日を迎えるまでの鈴玉は、一時の反抗的な態度を引っ込め、おとなしく
だが、彼女の努力が伝わらないのか、それとも一度広まった悪評は容易に消えないのか、鈴玉を見る楊女官の眉間の
加えて、成績順である今日の新米女官の配列でも、鈴玉は後方に入れられてしまっていた。しかし、失望したのは一瞬で、配属先次第で
──そうね。もし配属されるなら、
彼女はここ数日、手に入れられるだけの情報を集めていた。その結果、現在もっとも後宮で王の
呂氏は正妻である王妃の下、側室の最高位である「嬪」の一人で、その出身の呂家は「四大権門」の一角を占める、いわば権門中の権門である。しかも彼女は既に二人の公子と一人の公主を挙げており、君寵は並々ならぬものと聞いている。
また、彼女は召し抱える
──王さまの訪れも多く、権勢ある敬嬪さまの
鈴玉がそんな未来を無邪気に思い描いていたその時、鴛鴦殿の一角がざわついたかと思うと、宝座の
新米たちの緊張は極限に達しているようだったが、鈴玉一人だけが、冷めた目で後宮の統轄者である王妃を眺めていた。
王妃は
──王妃さまにしては
歳は二十代前半といったところで、
王は節度をもって丁重に王妃を遇してはいるものの、王自身が「路傍に咲く花のごとし」と評されたとの噂もある。
たとえ王妃といえども、後ろ盾がなければ権勢のある側室に、いや、そのお付きの女官にすら圧倒されてしまうものなのだ。
王妃が宝座につくのを見計らってその場の者は一斉に
「王妃さま。これから新しい女官を振り分けますれば、名簿をお目通しになり、もしお気に召す女官がいればどうぞお取り上げあそばすよう」
そうは言っても、あらかじめ高位の女官と宦官たちの手で、振り分けはほぼ済まされているのである。答える代わりに王妃が微笑むと、宦官長は新米女官たちに向き直る。
「ではまず、鴛鴦殿づきの女官の名を呼ぶ。呼ばれた者は前に出よ」
進み出たのはあの杜香菱と薛明月、すなわち最も優秀な見習いたちだったが、鈴玉は全くの
「以上でよろしいでしょうか? 特にご指名がなければ、後宮の他の殿舎づきを……」
宦官長の問いに、林氏はにっこりして名簿の下のほうを指さした。
「この者はいずこに?」
宦官長には想定外の成り行きなのか、困惑顔になった。そのまま彼は女官長のもとに行って耳打ちする。彼女も眉根を寄せてともに王妃の指した名簿を
──王妃さまは、直々に誰かをお選びになるおつもりかしら?
あまりに長引くので、鈴玉も
「鄭鈴玉は御前に出でよ!」
「ええっ!」
はしたなくも、思わず鈴玉は声を上げてしまった。新米女官たちの「なぜあの娘が?」という怒りと
「早く参れ!」
宦官長の
「王妃さまの御前である、さっさと拝礼せぬか!」
また𠮟られて、ぎこちなく鈴玉は拝跪した。いっぽう王妃は柔らかな表情で
「そなたが鄭鈴玉か。私はこの後宮に上がって七年にならんとするが、いまだかつて、『振り分け』前にこれほど噂になった女官見習いは知らない」
悪意は感じられなかったものの、その率直な物言いにさすがの鈴玉も恥ずかしくて真下を向いた。
「名簿を見る前から、鄭鈴玉という見習い女官の噂はこの鴛鴦殿にまで聞こえてきた。上に口答えをしたとか、反抗的であるとか、生意気だとか、数々の噂が。しかし、かえって私は興味を持ったのです。噂は本当であろうか、どのような少女なのだろうかと。見たところ、このような成績と悪評を得るようには見えぬがのう」
ふふふ、と笑いを漏らす王妃に、女官長が「恐れながら」と声をひそめた。
「この者は大いに難があると報告があったゆえ、私が宦官長に相談して名簿の下位に入れたのでございます。ご不審であれば教導担当の女官を……」
林氏は「良い」と女官長の言葉を遮り、鈴玉に顔を上げるよう命じた。
「鈴玉とやら。そなたが私に興味があるかどうかは知らぬが、私はそなたに興味がある。したがって、鄭鈴玉は我が殿舎に仕えさせることとする」
──何ですって?
思いもかけぬ成り行きに、鈴玉の大きな
「いえ、王妃さま。彼女は『
女官長と宦官長の反対の合唱にも、王妃は澄ました顔を崩さなかった。
「そなたたちの決めた配分以外に、私も名簿から好きに選べと申したのでは?」
──私が! 王妃さまの御殿づきに?
それは困る、と正直に鈴玉は思った。王の寵愛も形ばかりで何の力もない王妃づきでは、自分が浮かび上がれる瀬もないではないか。となれば、目指す家門再興も──。
鈴玉のそんな焦燥を知らない王妃は、彼女に向かって頷く。
「我が身に過ぎる恩沢でございます」
脇の香菱にこづかれ、我に返った鈴玉は型通りの謝辞を言上するのが精一杯だった。
こうした次第で、鈴玉ははからずも鴛鴦殿づきの女官となってしまった。先輩女官や宦官の居並ぶなか、あらためて香菱ら三人の新入りは、王妃の御前に拝跪して忠誠を誓った。だが、鈴玉の失望の念はその拝礼にも現れていたと見え、この殿舎の女官を取り仕切る
──睨まれたって構うもんですか。それにしても、困ったわね。
鈴玉の女官勤めはこのように、波乱含みの幕開けとなった。
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