第17話 二人は応援する

 三学期初日。

 いつもより十分早く家を出た俺は、早速集合場所でいちゃつく二人を見つける。

 なんでおでこくっ付けあってるの? 風邪なの?

「おっ、おはよー。ちょっと早くね?」

 急いで離れながら、櫂が挨拶する。恥ずかしいならやめとけって。俺以外にも人はいるんだぞ…

「おはよう、保。覚悟は決まった?」

「あ、ああ。もちろん」

 全く決まってない。

「お、なんだなんだ? なんの覚悟だ?」

 くそ、直近の情報を知らないとはいえ、こっちも知ってたんだと思うと…

「愛栖ちゃんのことだよ」

 俺は少し語彙を荒げながら答える。

 それを聞いた二人は、意外そうな顔をする。櫂にいたっては一瞬加奈ちゃんの方を向き、何があったか聞きたそうにするも反応がない。

 それを逆に悟ったのか、櫂は俺の肩をがっと掴み、真剣な眼差しで見つめてきた。

「保…… お前は勘違いしてるかもしれん。けどな、俺は応援してるからな!」

 ……別に、そこは大して疑っていない。

 ただ、黙ってたことへの釈明はしてもらいたいもんだ。

 そうこうしていると、やっと主役が登場する。

「や、おはようみんな」

 ……普通だ。

「よー愛栖! おっはよう」

「おはよ。愛栖ちゃん」

 風邪は治ったのかな。

 熱はないのかな。

 この間の話はどうだったのかな。

「……おはよう」

 悩みながらの挨拶。

「おはよ、う」

 一瞬どもる、声。

 もしかしたら、愛栖ちゃんも?

「んじゃ行くか」

 もういつもの光景になりつつある、櫂たちとの登校風景。

 俺たちの前にて車道側を櫂が歩き、外側を加奈ちゃんが歩く。

 手を繋いで。

 少し前までこんな風景になると思わなかった。

 歩き出す二人を見て俺も歩こうと、ふと愛栖ちゃんを見る。

「!!」

 彼女はびくっと体を強ばらせ、顔を伏せつつ足早に俺と前を行く二人の間に入った。

「ほ、ほら! 早くいかないと送れるよー」

 あ、しまった、話すタイミングを失った……

 位置的にどちら側にも立てなくなったので、俺は仕方なく登校中に約束をこぎつけるのを諦めた。

 ……昼休みがあるさ!


 ◆   ◆ ◆ ◆


 昼休み。

「どうだ、書けたか?」

 どうして俺は生徒指導室に担任といるのか。

 答えは簡単。進路希望調査書を持ってくるのを忘れたからだ!

 ああくそ、ちゃんと書いてあったわけじゃないから何を書いたかなんて覚えてないぞ!

「なんか、お前らしくないな」

「え?」

 担任…… 麻生先生はパイプ椅子を逆に座り、背もたれを抱え込んで俺の方へ顔を向けた。

「クラスで人気者、と言うわけでもないけど、誰もがみんなお前の事を信頼してる。先生はあまり長く教室にはいないが、雰囲気はホームルームだけでも良く分かるつもりだ。何にも動じず、全員にフラットに対応できるやつはそういない。そう言う意味ではお前は良く目立つ生徒だ」

 え、ナニコレ俺褒められてるの?

「その自信の秘密は『即断即決』だと思ってた。素早い判断力。揺るがない決意。将来も見据え、誰の意見をもってしても曲げることのない信念」

「はあ」

 適当な相槌を打つ。

「そんなお前が忘れ物をしただけでも驚きなのに、よりによって進路調査を忘れるととはなぁ」

 麻生先生は苦笑いを浮かべながら話す。

 十年来の謎と恋心をくちゃくちゃにされて、まともにいられる奴なんかいないと思いますよ?

 でも…… 即断即決、か。

 確かに今の俺からは一番縁遠いものかもしれない。

「今は悩む時期だ。人は憧れたもの全部にはなれない。あっちもこっちも叶えるなんて、不可能だ。だから取捨選択は必要だし、憧れを多く持つ生徒は何かを諦めさせるのも大切だ。それを導くのが先生たちの務めだしな」

 あ、俺が迷ってると思ってるのか、麻生先生は。

 確かに迷ってはいるけど…… でも麻生先生がこんなに話をするの珍しいな。

 いつもは先生としての仕事をしてるか怪しいくらいいい加減で、無精ひげも剃らずに伸ばしっぱなしの独身教員のくせして、妙に生徒からは厚い信頼を寄せられている。そうか、こういう側面があったのか。

「でも俺、特に迷ってるとかじゃなくて」

 ちゃんと声優になるため、と言おうとして言葉が詰まった。

「物事には順番がある」

 麻生先生は俺の目を見る。

「直感でまっすぐ行ってもいいし、寄り道してもいい。人によってはどっちがいいとか言い出す奴もいる。先生は寄り道推奨派だ。まっすぐ行くやつは一見かっこいいが、他の経験が未熟だ。それ以外の事柄でつまづきやすくなる。芸能人とか多いよな。仕事にかまけて恋愛や人間関係でくじけるやつ」

 ……刺さるなぁ。

進路希望調査こういうの書かしてる先生が言うのもなんだが、迷ってるなら友達と同じ所へ行け。仲間を作れ。友達を頼れ。金でもらえないアドバイスをしてくる奴を大事にしろ。ただし、大人になってからは逆だ。金が伴わない相談は受けるな。急に友達だと言ってくる奴は注意しろよ。自分が先輩にしてもらったことは、後輩に返せ」

 麻生先生は不意に外を見る。

「悩んだっていいさ。後悔もするだろう。でも、一番しちゃいけないのは『やらなかったという過去の決断に後悔する事』だ」

「……やらなかった、決断?」

 俺の反応に、先生はニヤッと笑う。

「よく聞くだろ。やって後悔、やらずに後悔。これには大きな差がある。前者は経験が残る。後者はただ後悔しか残らない。けど経験は後の人生に絶対に生きる」

 俺は思わずペンを置いた。

「決断力があるってことは、自分にどの経験が必要かを直感的に理解できるってことだ。何が不足していて、何が充足しているかを、だ。そんなお前が迷ってるってことは、決断する材料が不足しているか、全部ほしいかのどっちかだ。迷え。悩め。出来れば全部取っちまえ。時間があるうちに全部試せ。大学はそのためにあるし、そう使うべきだ」

 全部?

 将来も、仕事も、恋も、相手の人生も、……自分のやりたいことも?

「今は、決断に至る情報が足りない、てこともある。時間や経験や色んな要素が存在するのが人生だ。唯一取り戻せないのが時間。……今のお前にはそれがある」

 先生は置いたペンを拾って、俺に持たせた。

「とりあえず覚えてる大学書いとけ。変更やなんかは後でもきく」

「え、そんなのでいいんですか?」

 俺は、とりあえず愛栖ちゃんが書いていた記憶のある大学を書いた。頭に残っていたのはその大学だけだったからだ。

「ああ。書いてある事に意味がある」

「それ、どんな意味ですか?」

「……先生がちゃんと全員分の希望調査を書かせた、って意味だ」


 ◆ ◆  ◆  ◆


 もちろん、昼休みはみんなと時間が合うはずもなく、俺と入れ違いで愛栖ちゃんは教室へ帰ってしまった。

「ドジだな。もう少し早く来れば愛栖とも飯くらい食えたのに」

「うるせぇ。俺も忘れてたなんてうっかりだったよ」

 櫂たちもすっかり食事を終えており、俺も売れ残りのサラダパンを口にねじ込む。たくあんの歯ごたえが今日は妙に柔らかい。

「ま、そんな保に愛栖ちゃんから伝言よ」

「!!?」

 突然の朗報に、乾いたパンが喉を直撃する。

「放課後、部活が終わり次第図書準備室に来てほしい、って」

 図書準備室。

 確か、愛栖ちゃんの所属する文芸部の部室を兼ねてたはず……

「俺さ、夢があるんだ」

「夢? 櫂、頭でも打ったか?」

 軽い俺のイヤミを、笑って返す。

「まあまあ。気持ちはわかる。ちょっと加奈からも聞いたし」

 そう言うと、櫂は加奈ちゃんの手を取る。

「四人でさ、海行こうぜ!」

「……それが夢?」

「の第一歩」

 何が言いたいのかよくわからない。

「俺さ、家族っていう繋がりが好きなんだよ」

「あ、ああ。それはわかる」

「俺たちの子供が結婚すれば、お前も家族になるだろ?」

「……何年かけた仕込みだよ」

「その何年もの間も、ちゃんと付き合っていきたいんだよ、家族として」

 やばい、目が真剣だ。

 こいつの家族愛は、歪んではいないが絶対に揺るがない。脇道ごと包み込んでくる。……加奈ちゃんもそこには多少の鬱陶しさもあるようだが。

「今はぼんやりかもしれないし、今後もしかしたらこの面子じゃなくなってるかもしれない。けど、俺はこの面子が好きだ」

 よくこんな恥ずかしい事を堂々と言うよな。

 まあ、悪い気はしない。

「それに、どっちかっていうとそっちが先だぞ、くっ付くのは」

「は? いやいやどう考えても櫂たちの方が先だったろ?」

 だが、そのセリフには二人がニヤニヤするだけだった。

「とにかくさ、ちゃんと決めてきて。私も応援してるんだからね」

 ……双方からの、かかり方の異なるプレッシャーに、またパンが喉にひっかかりそうになった。

 おかげで味まで分からなくなってくる。

 とにかく、残り数分の昼休みの間に詰め込むべく、俺は急いでパンを咀嚼していった。


 ◆ ◆    ◆◆


 午後16時56分。

 既に生徒の数もまばらで、廊下も静かになった時間帯。

 部活も終わり、俺はある扉の前で立ち尽くしていた。

 ――『図書準備室』

 他の文芸部員が部屋から出たのを確認してから訪れた俺は、まだ愛栖ちゃんがこの部屋にいることを知っている。

 胸が高鳴る。

 怖いからか、嬉しいからか、緊張しているのが分かる。

 言葉にできない感情の渦が、腹の底から湧き上がってくるのを感じる。

 ……やらずに後悔より、やって後悔!!

 俺は、短く扉をノックした。

「……はい?」

「俺、保」

「開いてるよ、どうぞ」

 取っ手に手をかける。

 そして、立て付けの悪い扉が開かれた。

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