第16話 二人は前を向く

 耳鳴りがする。

 いや、ファンヒーターと時計の秒針が俺の鼓膜を支配している。

 時折する心臓の鼓動さえ、一拍一拍の感覚を愛おしいほどに長く感じる。

 どう返していいかわからない。

 小心者チキンと言われても仕方がない。

 変な言葉で返したくない。

 それこそ、『こちらこそよろしくお願いします』って言えばいいだろう。

 だけど、そんなコテコテのテンプレ言葉を選べて許されるほどに、この告白は軽くない。

 加奈ちゃんは八年も待った。

 俺はどれだけ待たせたことになる?

 ぐるぐると堂々巡りの思考に入る前に突破口を探すために視線を上げる。

 無論、そこには告白の返事を待つ愛栖ちゃんの顔があった。

 風邪のせいだろうか。仄かに顔が赤い。

 目も多少潤んでいる。不安そうにこちらを見つめては、今にも倒れそうになっている。

 言わなきゃ。

 今ちゃんと返事を返さないと。

 気持ちは決まってる。

 ハイ。

 イエス。

 俺も好きです。

 お願いします。

 ……それが何故出てこない?

 勇気が足りない?

 言葉が違う?

 ああくそ、何でなんだ!

「……愛栖、ちゃん」

 俺はフリーになった両手で彼女を肩を掴んだ。

 一瞬強張った彼女の体は、それもすぐに解ける。むしろ、軽く体重を預けてきた。

 俺の思いは、ずっとずっと前から伝わっていた。

 けど、それは過去の愛栖ちゃんへ向けられていた好意ものだ。

 今の彼女へ注がれていたわけでは無い。

 だが、すれ違っていた時間軸が今、交差し、重なり、ひとつになった。

 ああそうだ。分かっている。あとはつむぐだけなんだ。

「俺も」

 口をすぼめ、次の言葉を出すために呼吸を整える。僅か数瞬のはず。

 だけど無限の待ち時間にすら感じるのは、それだけこの瞬間が自分にとって大切なものなのだと実感する。

「好き…… です」

 言い切ると同時に、肺にある空気がすべてなくなった感覚に襲われた。

 今にも倒れそうな、酸素が体から抜けていくような脱力感。

 誰かが聞いたら腰を抜かして笑いそうだが、当の俺はそれどころではない。

 愛栖ちゃんは、強張っていた表情を少しずつ柔らかいものへと変化させていった。

 ……両想い、になるのか?

 おかしいな、数か月前は櫂たちのカップル誕生の瞬間を一緒に目撃しあった仲なのに、今はその二人がカップルにならんとしている。

 ……あれ?

 俺は思考がとっちらかっていく中で、腕への負担がどんどん増していくのに気が付いた。

 ぐらり、と愛栖ちゃんの体が大きく揺らいだ。

 後ろへ倒してしまうわけにもいかず、あまりに軽いその上半身を俺は自分の胸で受け止めた。

「!!」

 とすんと額から倒れ込んだ瞬間、胸にものすごい熱を感じた。

「愛栖ちゃん!?」

 ひどい熱だ!

 俺は慌てて彼女をベッドへ寝かせる。

 ……本は、机に置いておこう。

「あ、ご、ごめん…… ね」

 何かうわ言のように呟く愛栖ちゃんの布団をぽんぽんと叩き、ニコッと笑う。

「まずは元気になって。それから」

 愛栖ちゃんは僅かに微笑むと、そのまま眠りについた。少し苦しそうだが、一応は大丈夫だろう。

 とはいえ。

 あの、俺の告白はちゃんと届いたんだろうか……


 ◆ ◆  ◆ ◆


 あの後、ほどなくして美鈴さんが戻ってきたので俺は愛栖ちゃんの状況を話し、帰宅した。

 既に夕方を過ぎて薄暗くなった外を歩いているうちに、妙な気分になった。

 ちゃんと告白は聞いてもらえたのか。

 そもそも、どうして愛栖ちゃんは自分があの時の女の子であることを黙っていたのか。

「その前に、顔を忘れてた俺にも責任はあるよな……」

 一生懸命思い出す。が、出てくるのは泣き顔ばかり。

 家に帰ると、連絡を忘れていた事を咎められ母さんと少し口論に。いや、確かに連絡は忘れてたけども!

 さっと夕食を食べて風呂に入り、その日は寝ることにした。色々考えても仕方ない。

 ……とはいうものの、気にはなる。

 ここで誰かに相談するべきかを考える。

 候補は二つ。

 櫂、そして加奈ちゃん。

 とはいえ、この話題を櫂に振るのはどうだろうか。

 理由はわからないが、俺はスマホを操作して加奈ちゃんへメッセージを飛ばす。

「知ってたら、教えてほしいんだけど」

「どしたの?」

「愛栖ちゃんって、俺の幼稚園の時のあの女の子だったって知ってた?」

 我ながらストレート。

「うん」

 えーーー……

「知らなかったの、保だけだよ」

 なに! ってことは櫂もかよ! 親友だと思ってたのに!

「口止めされてたんだー」

「え? 愛栖ちゃんに?」

「そりゃ、ね。『ちゃんと自分で言うから、保くんが気が付くかどっちかまで待って』って」

 ……くそ、そう言われるとこっちからは何も言えないじゃねえか。

「いいタイミングで聞けた?」

「ある意味、最悪のタイミングだった」

「え、どゆこと?」

 俺は簡単に今日あったことを説明した。

「あはは。いや、笑っちゃだめだね。ごめん」

「いや、笑ってくれた方がまだいいや。憐れまれてもどうすることもできないし」

「保は、どうしたいの?」

「どうしたい? どうしたいって?」

「恋人になりたいの? まあ、だからオッケーしたんだと思うけど」

 む、改めて言われるとなんだかムズ痒い……

 でも、言われてみればそうだ。

 俺はどうしたいんだろう。

 引っ掛かっていた大きなつっかけがとれた。

 これはいいことだ。

 俺を好きになってくれた人に出会えた。

 これもいいことだ。

 気になっていた人が告白してくれた。

 うん、いいことだ。

 で? ってなってる。

 これらが一気に一本の線に繋がって、気持ちの整理に大渋滞が起こってる。

 過去の初恋? が叶う。

 気になっている人と恋人同士になれる。

 自分は……

「保?」

「ごめん。ちょっと考えてた」

「いいじゃんいいじゃん。悩め若者!」

 同い年だろ。

「悩んでるってことはさ、大事に思ってるんでしょ?」

「もちろん」

「好きなんでしょ?」

 相手がちゃんと聞いたかわからない答えを、先に他人に言うかぁ……

 言うけど。

「うん」

「まず付き合えば?」

 え、軽くない?

「いや、そんな軽く付き合えないよ」

「こないだの初詣の時、櫂の家にいったじゃん? お姉さんもいたから挨拶してさ。お互いまあ幼稚園の時からの知り合いだけど弟と付き合ってるって聞いてたのかその時すっごいグイグイ来たの。いくら付き合うようになったからって、そんな簡単に言う? しかもあの着物、結構前に用意してたみたいで断ろうにも断れなかったの! あんな高級な和服怖くて脱ぐまで気が気じゃなかったわけ! だけど、彼氏のお姉さんってことは今後も付き合うし何なら義理のお姉さんじゃない? 繋がりとしては味方にしておきたいし応援して欲しいから私も頑張ったけど」

 長い長い!

「つまり、付き合ったからっていって全部が全部許せたりできるわけじゃないの!」

「ああ、なるほどね」

 それはわかる。……加奈ちゃん結構うっぷんが溜まってるのかな?

「軽くでいいのよ。話をしてさ。これは嫌い、あれが好き。そういうのを埋めていって、絆を深めていくの。そうして、それでも好きなら結婚とか考えればいいのよ。幼馴染みはそういうのをすっ飛ばすから危なっかしくって」

 ……何かあったのかな?

 これは、別の意味で櫂に相談しなくて良かったかもしれない。

「『俺は知ってるぜ』って顔されるより、『君のこと知りたいからもっと教えてよ』ってこられる方が、私は好きかな」

「それは、櫂にいっておいた方がいいやつ?」

「んー……、ビミョー。ていうか今は保たちのことでしょ」

 くっ、探り失敗か。

「私たちの八年はずっと地続きだからいいけど、そっちの十年は途中にぽっかり穴が開いてるわけでしょ。溝も、堀も。埋めてけ埋めてけー」

 溝、か。もしかしたら気がつかないうちに別の存在として扱っていたものが、実は一緒だった衝撃で混乱してるだけなのかも。

 溝を埋めて。

 認める。整理する。

 それから堀を埋めて……

「ねえ、加奈ちゃん」

「どした?」

「溝を埋めてから改めて告白するのと、先に告白するのとするのとだとどっちがいい?」

「先」

 早っ。コンマ秒で帰って来た。

「絶対先。間違いなく先。後回しにして取られても知らないぞ」

 取られる?

「どゆこと?」

「文化祭の時、私たちを尾けてたでしょ」

 げ、バレてる。

「まあ、それはいいんだけど、他にも私たちを尾行してた男子がいて、愛栖ちゃんが保と一緒にいるの見られてたみたい。何人かから愛栖ちゃんが『あれは誰か』って聞かれてたわ」

「愛栖ちゃんは何て答えてた?」

 つい食いぎみでメッセージを打ち込む。

「忘れちゃった(ハート)」

 嘘だ! 絶対嘘だ!

 だが…… 

 それに何と答えられていても、俺の混乱の材料にしかならない。

 ともあれ、いまのところ愛栖ちゃんは体調が思わしくない。かといってもうすぐ学校が始まる。ぐぬぬ……

「冬休み明け…… 愛栖ちゃんが学校来れるくらいに回復してたら、やる」

「うん! どこで?」

「いや、場所の公開必要?」

「心配じゃない? 親友たちの告白状況」

「いやいや大丈夫だって!」

「ふーん…… まあ、保『からは』聞かないでおくね」

 ううう、なまじ自分達は覗いてたもんだから強く止めることができない。

「そうしてくれ」

「あ、いっこだけ」

 なんだろう?

「絶対うまくいく。頑張れ。応援してるから! 」

 ……参ったな。

 茶化すだけ茶化して、最後にこれだ。

 頑張らないとな!

 俺は決意新たに布団に入り、告白場所と呼び出しのセリフを考えながら眠りについた。

 そして、最終的に進路希望調査を仕上げることなく新学期を迎えるのであった。

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