第15話 二人は再会する
「お、お邪魔します」
最後に異性…… 加奈ちゃんの部屋に入ったのが中学一年の頃だから、三年近く同年代の女子が暮らす部屋には入っていない。
「ど、どうぞ…… 掃除できてないから、あまり見ないで」
居間では暖房が弱いということで愛栖ちゃんの部屋に通された俺は、ガチガチに緊張した面持ちで部屋に入った。
なんというか、年頃の女の子の部屋にしては少し…… いや、かなり殺風景に感じた。何故なら、部屋の壁二面が本棚になっており、びっしりと本が並べられていたからだ。
本棚がない壁は窓ガラスと机が置かれている。その机の上半分に本棚が追加されて、これまた壁が見えないほどに本が並んでいる。
よくよく見ると、これらの本は大きさがまちまちで、漫画もあれば小説もある。そして、二割は書店の本ではない。……同人誌だ。それも文庫サイズ、小説である。
「適当に座って」
「ああ、うん」
さっきコーヒーを飲んだばかりなのにもう喉がカラカラだ。
部屋の中央に置かれた少し大きなテーブルに添えられらクッションに腰を下ろす。モフッという空気が抜ける音に逆に緊張する。
近くに置かれたファンヒーターが送り出す熱風が、より体内の熱を上げてくる。
「その、ありがとう。お買い物」
愛栖ちゃんはベッドに腰かけて、うつむき加減で話しかける。その声は風邪を引いていたからか、少しかすれていた。
「いや、大丈夫だって。暇だったし、その、聞きたいこともあったし」
「聞きたいこと?」
「あ、ごめん。その風邪だって知らなくてさ。メッセージ読んでない? ちょっと休み明けに提出する進路希望調査、何書いたかなー、って」
そこまで言うと、すごい勢いで枕元にダイブし、スマホを手にする。
「ごめん、ぜんぜん見てなかった!」
「いいっていいって! その、風邪は大丈夫?」
あの動きを見るにそこそこ元気そうではあるが。
「うん、まあ。……私も悩んでたところあるし、むしろそれで風邪引いちゃったっていうか」
愛栖ちゃんは、視線を勉強机に向ける。俺もつられてそちらを見ると、一枚のB5サイズくらいの紙が置かれている。
……進路希望調査の記入用紙だろうか。
「ぼんやり、何になりたいか考えてえたら机で寝ちゃったみたいなの。そしたらファンヒーターの灯油が切れて、起きたら喉はガラガラ、鼻水ダラダラ。くしゃみは止まらないし熱は出るし…… あ、これ昨日の朝の話ね」
俺は立ち上がり、机の用紙を見る。第一志望は、どこかで聞いた大学が書かれていた。
しかし、その大学がある場所は俺の記憶違いでなければ……
「私は、保くんがうらやましくて。でも、自分ができることってそんなにないし。成績もみんなに比べれば、高い方じゃないし。要領もよくないから」
「……そんなことないよ。俺だって、今の今になって、声優になりたいのかどうなのか、分かんなくなってる」
俺は自分に確認するようにぽつりと呟いた。
驚くほど、素直に。
きっとメッセージのやりとりだと、言わなかった言葉を。
何故なら、それはきっと愛栖ちゃんにこそ伝えるのをためらったであろう言葉だから。
そしてふと彼女の顔を見たとき、言うべきではなかったと激しく後悔した。
「……え?」
彼女の発した言葉は、俺の言葉への反応ではなく、自分が流したであろう頬の滴に反応したものだった。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
俺は思わず近くに行き、俯いてしまった彼女の顔を覗き込む。しかし、溢れてしまった大量の滴が、覆った両手からこぼれ落ちる。
声も出さずにただただ震える愛栖ちゃんを何とかしようと焦っていると、ふとそのシーンがある場面と重なった。
泣いている女の子。
それを見ている自分。
あの時、自分はどうしたか。
ただ、泣き止んでほしくて。
ああ、そうか。
こうしたかったんだ。
俺はゆっくり彼女のとなりに座り、優しく肩を抱き締めた。
◆ ◆ ◆◆
愛栖ちゃんは泣き止んだが、俺はそこから離れられなくなっていた。
彼女がずっと俺の服の裾を掴んで離さないからだ。
「諦めたの?」
ぽつりと愛栖ちゃんは聞く。
まだ彼女にとって先程の会話の延長なのだろう。
「諦めたっていうか、元々が思い違いっていうか、根本的なのは多分、変わってない」
俺は自分が理解している範囲で答える。自分のことなのに、自分がまだ全て理解していないのもおかしな話だ。
「よく、わからない」
「……笑わない?」
眼鏡のない愛栖ちゃんは、少し顔をしかめたまま上目使いに見つめつつ、小さく頷いた。
「たぶん、自分でそれが恋だって気がつかなかったんだと思う。たぶん、だけどね」
俺は、自分にいいきかせるように言葉にする。櫂に言われたように。美鈴さんに言われたように。
「前に愛栖ちゃんに話してたときは、やっぱり昔のことだからって思いこんでて、ちゃんと考えて決めた訳じゃなかったし。それで、はっきりと決めなくちゃいけなくなった今頃になって迷ってるって言うことは『どこか違うかも』って思ってる自分がいるからなんだと思うんだ」
ゆっくり、ゆっくりと言葉を選ぶ。
愛栖ちゃんは俺の言葉の一つ一つを頷いて答える。
「色んな事が分かって、色んな事に気がついて。そしたら…… このままだと『違うんじゃないか』って思うようになったんだ」
……待てよ?
俺はとんでもない事を話してるんではないだろうか?
何故俺は異性の友達に、自分の初恋体験を熱く語ってるんだ!?
しまった、帰りたい。
でも、まだ服を捕まれたままなのでここから動けない。
せ、せめて話題を変えたい。
「あ、愛栖ちゃんは初恋、いつだった?」
つい出た言葉がこれだ……
だが、意外にも愛栖ちゃんはすっと立ち上がり、机に向かって歩きだした。
「……私ね、小さいときお父さんとお母さんがよく喧嘩してて、それ見てずっと泣いてた」
お、別の話になったっぽい。
「泣いて、泣いて、ずーっと泣いてて」
机の引き出しを開け、ガサガサと何かを漁る。
「それは、幼稚園にいる間も続いた」
…-あれ? 確か愛栖ちゃんは保育園だったはずでは?
「離婚が決まる前の日まで、私は幼稚園に行ってもずっと愚図ってた」
何かを見つけたのか、それを後ろ手に持って、また俺の隣に座る。
「そしたらある日、男の子が目の前で泣いてる私をどうにかして泣き止ませようとしてきたの」
「……ははは、まるで」
俺、みたいな……
突然、背筋にとてつもない大きな氷が貼りついたような冷気を感じた。
愛栖ちゃんが、まっすぐこっちを見ている。黒に一滴の金色の絵の具を垂らしたような、ミステリアスな瞳が俺を射貫くような視線を。
「離婚が決まって、私はお母さんに引き取られることになった。引っ越さなきゃいけないことになって、その幼稚園を離れることになったんだけど、直前にその男の子から一冊の漫画をもらったの。その時はお父さんと離れて暮らすことになった悲しみで全然読めなかったんだけど、ある日その本を読んだら…… 最後のページにメッセージが書かれてあったの」
俺は立ち上がろうと足に力を入れる。が、いつの間にか愛栖ちゃんは俺の手を強く握っている。あれ、病人の握力ってこんなに強かったっけ?
「だめ」
愛栖ちゃんは手にぐっと力を入れる。
だが俺は気づいてしまった。
その手が震えていることに。
俺は観念して、座り直して彼女の話を聞く体制を整えた。
「私はそのメッセージを読んで、すごく元気をもらったんだ。だから今でも宝物」
後ろ手に持っていたものを取り出す。
それは、あの単行本。『魔女騎士ブレイブウィッチ』の2巻だった。
俺の心臓が跳ね上がる。
年末の安心はなんだったのか。
いや、どこか望んでいたはず。
俺は気を紛らわすために、彼女の取り出した単行本へ視線を移した。
……既に表紙の印刷が指の形に剥げており、何度も何度も繰り返し読まれたであろう事がわかる。ページの横っ面も真ん中が異様に茶色く、幾度も捲られたであろう様子が見てとれた。
そして、表紙の隅っこに見覚えのあるシール。
「さくらのシール……!」
つい、言葉が漏れる。
間違いない。俺の蝶々のと同じ種類の『もちものシール』だ。
でも、それをどうして今?
「私ね…… 嬉しかった」
愛栖ちゃんは愛しそうに漫画を見る。
「その男の子が、ずっとずっと私の事を忘れずにいてくれて、自分の目標だ、っていってくれてたこと」
帰りたい。
あるいは穴に入りたい。
「でも、ちょっと寂しかった。好きじゃないって言われたから」
いなくなりたい。
今すぐ箱かなんかになりたい。
俯いたまま愛栖ちゃんを見る。
……目が、あってしまった。
いつもの、あの笑顔だ。
「へ、へえ。そうなんだ」
声が震えている。
分かり切っているのに。
ここまで言われて俺じゃないって言われる方がより苦しいのに。
「今でも『がんばって』ってメッセージは大切な言葉」
……あれ?
「なかないで、だったような……」
さすがにそれは覚えている。
自分が一生懸命、考えて考えて書いたものだ。
しかも、親に黙って鞄に入れて持ってきた本に、わざわざ幼稚園のおゆうぎセットからクレヨンをこっそり出して書いたんだから。
じゃあ、もしかして本当に別の?
頭から血が引いていくのを感じる。
冷静になる、というより酔いが醒めるような。
しかし、愛栖ちゃんの笑顔は止まない。俺の手を握っていた手を離して本を開く。パラパラと捲られるページの最後。
見やすいように、愛栖ちゃんが目の高さに本を掲げた。
そこには、水色のクレヨンの汚い文字が殴り書きされていた。
『なかないで』
……
「ほら、あってるじゃ……」
凍り付く時間。
そう、あってる。
ってことは。
うわああああああああああああーーーーーーーーーーーーー!
俺だ!
俺だよ!
決定的だよ! 間違いない!
え? え? えええええ!?
冷汗が止まらない。もう体は一ミリも動かない。視線ももうメッセージ以外を見向きもしない。
やられた。
ハメられた。
いや、こうなるであろうことは予想していた。
だけどそれがこんな誘導尋問じみた展開になるなんて、考えもしていない。
真っ白だ。
言葉の続きに戸惑っている俺に、愛栖ちゃんがとどめの一撃を放った。
「中尾保くん。……好きです」
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