第13話 二人は思い悩む
年始の初詣以降は特に大きな用事もなく、残りの冬休みは『進路希望調査』とかかれた紙を前に、自分たちの進学先をぼんやりと考えていた。
櫂はあれでできるやつだ。加奈ちゃんというブレーンがいる限り道を外すことはない。それは当の加奈ちゃんにも言えることで、二人がああして付き合っているうちは大きな心配はないだろう。
せいぜい二人で行ける大学をどうするか、くらいだ。
愛栖ちゃんはどうするんだろうか。
文系の大学に行って、在学中に何かしらの賞を取り、学生作家としてデビューとか。
クラスメイトの中にはもう企業案件を受けているやつもいる。学校の機材を使いながら自分の武器を磨く様は、どこか自分も似ているなと思いつつも、自分にはそんな話が来ていない現状に、少し焦りを覚える。
……将来の夢。
なりたいもの。
ほんの少し前までは『声優』と言い切っていた。なれる力量もあると思っていた。専門学校に行き、養成所に通い、はしっこの役から成り上がる。
その道筋が、今は少しぼやけつつある。
不安や、焦りからか、分からない。
ただ自分のなかに原因があり、ふと自分が自分で蓋をしていた感情に、たまたま目があってしまった。
自覚するのが嫌なのか、それとも表現する言葉が分からないからか。どういう答えなのか未だに言葉にならない。
俺はなんとなく、櫂にボイスチャットのコールをいれた。
数秒後、櫂のアイコンが表示され、通話が始まる。
「あ、すまん。空いてる?」
「珍しいな。こっちの都合聞くなんて」
そりゃ、加奈ちゃんがいたら悪いだろ。
「なんかあったか? 話せよ」
櫂はいつも通りだ。俺がむしろいつも通りじゃない。
「あのさぁ、進路希望調査、書いたか?」
「ああ、あれな。一応大学進学するつもり」
だよな。
「どっちに行くか迷ったけどさ」
……どっち?
「加奈とも話して、普通の四大出てから社会福祉士になろうって」
え、ちょ、めちゃくちゃ具体的じゃね?
「櫂ってそんなキャラだったっけ?」
「ばーか。これでも結構真剣に悩んでんだよ。早く就職して、姉貴に早く結婚してもらわねーとさ」
櫂の家の家事は、お姉さんの
何故なら、母親の
俺はその時、当時の記憶がフラッシュバックした。
(みんなと、なかよくしなきゃいけない)
そう、あの時の櫂の言葉。
(かあさんとの、やくそくだから)
泣いて、落ち込んで、それでも学校に来て。
……もしかして、加奈ちゃんの告白のタイミングは、櫂のお母さんが亡くなった後だとしたら?
だから櫂は、みんなと仲良くすることを、お母さんの言葉を守るために?
「……保?」
「あ、ああ。悪い。ちょっと思い出したことがあってさ」
「うん? 例の幼稚園のときの事か?」
「ははは。当たらずとも遠からず、かな」
「何だよ、歯切れ悪いなぁ」
「でも、櫂はそれでよかったのか? 専門学校なら卒業してすぐ働けるだろ?」
「あーそれな。加奈にも言われたけど、四大出たときと専門学校出た時じゃ、後々の給料が変わるらしいんだよ。子供一人ぶん育てられなくなるくらいなら、四年しっかり勉強して、それから実地訓練受けてなればいい。ってさ」
わぁ…… なんという未来設計。
「もうすっかり奥さんじゃね?」
「結婚式には友人代表頼むぞ」
「はは、今から考えておかないとな」
尻にしかれる未来が見えるが、こいつはその方が幸せな未来に見えるからいいか。
「で?」
「で、って?」
「お前はどうするんだよ。もしかして、声優の専門学校行くのやめるるのか?」
「いや、第一志望はそうなんだけどさ。迷ってるっていうと、変だけど」
「なんかあったな?」
どうする? 正直に言うか?
相手は櫂だ。下手に隠したり嘘をついてもすぐバレる。
「俺が本当にやりたいのは、本当に声優なのかな、って」
……言ってしまった。
「知らん」
「おい! 結構言うのためらったんだぞ!」
「ははは。悪い。けどさ、保らしいよ」
「俺らしい、ってなんでだよ」
「お前はさ、いつも『他人ありき』だからさ」
他人ありき?
考えたことなかったぞ。
「それ、どういうことだよ?」
「声優になりたいっていう夢? ていうか仕事ってさ、お前がなりたいっていうわけではなくて、なることによって発生する何かのために、なりたいって思ってたろ?」
「遠いよ」
「ん、つまりさ、保自身のやりたいことの根っこってさ、『誰かのため』なんだよ」
誰かのため、だから他人ありき、か。
「たぶんだけど、お前が声優になりたいっていう最初の思いがぶれてきてるのは、もう声優になることで得られる目的をもう手に入れたんじゃないか?」
「もう、手に入れた? そんなバカな」
そういう俺の声は、若干乾いていた。
「ビビるな。焦るな。たぶん、小さい時からの記憶だから、大人になるにつれて自分がなりたい本当の将来像っていうのが明確になってきてるんだよ。お医者さんがすごいから医者になりたいっていう願望が、実は研究者だったとか、そういうやつだと思う」
「……そう、そんなやつかな」
「いいんだよ。まだ俺たち高校生だぜ? 分からないことはまだあるし、大人になってから方向性を変える人だっている。俺はたまたまお前や、加奈や、愛栖がいるからこうして安心して自分のやりたいことをやってるわけだしさ」
櫂が言わんとしていることは分かる。
何なら、少しぼやけた道がうっすら晴れた気さえする。
でも、それだけだ。決定的な何かにはなり得ない。
「聞いておいてすまん。もうちょっと悩んでみるわ」
「……保」
急に櫂のテンションが
こんな声は久しぶりだ。
「なに選んでもいい。応援するし、背中も押してやる。でも、後悔はするな。お前のことだから人のせいにはしないだろうけど、自分を悪者にするな。お前自身が、お前自身のためになる進路を選べ」
「わ、わかった」
「それじゃ、俺用事あるから。頑張れよ」
それだけいうと、通話は切れた。
「後悔、ねぇ」
高校生には縁の遠い言葉だ。
俺はもう一度用紙を見る。
「……深く考えないなら」
第一志望から第三志望まで空白の用紙に、ペンを入れていく。
声優養成専門学校。
S大学……
だめだ、学部なんか知らない。
手持ちぶさたになった俺はたまたま机にあった本に手を伸ばす。
先日、美鈴さんにもらった『幼恋』だ。
あの夜、ほとんど読んだがラストの方数ページが未読だったのを思いだした。
「確か、付き合うは付き合うんだけど、その後どうなるかがまだ読んでなかったっけ」
俺は本の開き目を見ながら、どこまで読んだかをパラパラと探す。
いくつか見覚えのあるシーンを流し読みして、ようやく目的の箇所に到達すると、そのまま読みだした。
幼い恋は、叶わない。
幼い恋には、敵わない。
思い出と、その時の情緒は、その時でしか味わえない。
何だったのか分からないから、それは恋かもしれないし、違う物かもしれない。
大人になって、恋と言う言葉を知って、勝手に恋と決めつけて。
恋と言う言葉に逃げて。恋に当てはめた思い出に変えてしまって。
もっとそれは深く。もっとそれは豊かで。もっとそれは色鮮やかで。
もっと時間をかけて。もっとたくさん混ぜ込んで。もっと、育ててあげてほしい。
きっとそれは、恋を超えた
「恋の先ってなんだよ、愛? じゃあ愛ってなんだよ」
独特の文章に、自分が理解できないことを認めたくなくて一人で文句をいう。
わかる。わかるんだけど認めたくない。認めたら、今までの自分の頑張りが違うものになる。
……けど。
俺は何となく、愛栖ちゃんにメッセージで質問を投げてみた。
「愛栖ちゃんはどうするの…… と」
打ち込んで、暫し待つ。
だが、返事が一向に帰ってこない。
珍しいなと思って画面を見ると、既読マークもつかない。どうやら手元にスマホがないのかもしれない。
と思ったら、加奈ちゃんからボイスチャットの着信が。
「もしもし?」
「早っ。櫂もこれくらいの速度で出てくれたらいいのに。……じゃなかった」
「どうしたの? ボイスチャットで呼び出しなんて珍しい」
「ごめんね、保は今、空いてる?」
「まあ、それなりに」
「じゃあさ、お願いがあるんだけど」
……俺に? 櫂じゃなくて?
「ちょっと前に愛栖ちゃんから連絡があって、風邪引いて買い物いけないから買ってきてほしいものあるんだって」
「え、マジで!?」
そうか、それで既読がつかないのか。
「私に頼まれたんだけど、ちょっと母方のお爺ちゃんが倒れたとかで行かなきゃいけなくて、頼めるかな?」
「そっちも方も大変じゃん! わかった、買うものメッセージで送っといて」
わかった、と加奈ちゃんは通話を切る。
風邪…… か。
病気であることに不思議な安堵感を得た俺は、その感情をすぐ否定する。
「大変なことに喜ぶとか、なに考えてんだ」
数秒後に届いた画像を確認しつつ、俺はドラッグストアへ自転車を漕ぎだした。
◆◆ ◆ ◆
「こんだけでいいのか?」
風邪薬、経口補水液、フルーツの缶詰、冷やしシートにレトルトのお粥パックを2日ぶん。
風邪薬は一番安い1週間ぶんでも1500円。しかし高校生の小遣いで買える物の中では一番高かった。他の買い物もある以上は妥協が必要だったのだ。
そして重要なのは、家の場所。
何だかんだ付き合いは長いものの、今まで愛栖ちゃんの家には行ったことがない。初訪問だ。
この間 、美鈴さんの車に乗ったときも俺の家の玄関横付けだったし。
加奈ちゃんからもらったメモを便りに道を辿る。
「……あれかな」
メモにある「黒い板屋根の家」を見つけた。
近づいて表札を確認しようとしたが、堂々と玄関に横付けされた車が邪魔で見えない。
「なんだこの車…… ん?」
見覚えのある車種。
正面に回り、ナンバーを見る。
「これ、美鈴さんの車じゃん……」
N市のナンバーを見て確信する。と、突然玄関が開いた。
「あ」
「あら、君は……」
美鈴さんが出てきた。ということはこの家が愛栖ちゃんの家で間違いないようだ。
だが、どうして美鈴さんが……?
「君はたしか、保くんだったっけ?」
「あ、はい。これ、頼まれてたやつ買ってきたんです」
俺は加奈ちゃんに頼まれたものを差し出しながら答える。
「あれ? 女の子に頼んだって今聞いたんだけど……」
「加奈ちゃんかな? 俺、その子から頼まれたんです。加奈ちゃんがちょっと行けなくなったって」
美鈴さんは不思議そうにしていたが、何かを納得して頷いた。
「まあいいわ。とりあえず上がって」
俺は住人でない人の誘いを受けて、初めて入る家の敷居を跨いだ。
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