第11話 二人は探り合う

「どうしたの二人とも」

6時10分前に起きた俺は、顔を洗いに洗面所を訪れた。

 丁度同じくらいに愛栖ちゃんもやって来て、既に歯を磨いていた美鈴さんと鉢合わせたところ、美鈴さんからの第一声を頂いた。

 言われて俺たちはお互いの顔を見合わせると、まあお互いひどい顔。

「ちょっと、小説が気になって、読んでたら寝るのが遅くなったんです」

 半分正解で、半分違う理由を伝える。

「私も似たような感じで」

 愛栖ちゃんも、似たような返事をする。

「朝御飯は行きがけにコンビニで買うから。とりあえず出発の準備しておいて」

 はーい、と眠そうな返事をしつつ準備に取り掛かる。幸い昨日の疲れはなく、スムーズに準備へと取り掛かる。

 今度は車に出店のグッズを手際よく乗せ、忘れ物が無いか確認した後、出発した。

「明日はどうするの?」

 美鈴さんが不意に聞いてくる。

「え、明日?」

「そそ。明日もあるの。文芸フリマ。それも聞いてない?」

 そう、聞いてない。

「え? 今回サークル側で参加だから、一日目だけだと思ってた」

 愛栖ちゃんが言い訳を口にする。

「あー、まあ。いつもはスタッフだから全日出るしね。そこまでは言ってないか」

「そうそう。もともと『男手が欲しい』って保くんに来てもらったんだし」

「最近は文芸に手を染める男子が少なくてさ。手は出すんだけどね」

「伯母さん、言い方」

 くすくす、と笑う二人。……遠目で見てると本当の親子のような気さえする。

「流石に二日連続は親に言ってないですから」

 ここぞとばかり未成年である事を言い訳にする。

「確かに。その年で冒険しすぎたら、大人になったときに大変だ」


 ◆◆   ◆◆


 途中で寄ったコンビニで朝食を買った後、美鈴さんは会場近くの有料駐車場に車を留める。

 俺はやはり荷物持ちで、意外と大きい荷物を持たされて運び込む。B0とかいう聞いたことのないサイズの看板を立てる台だという。

「曲がりなりにも文章でご飯食べてるんだもん、ちょっとくらい派手にしないと」

 さすがに近場とはいえ少し歩かなければいけない距離なので、このサイズは肩に来る。冬の厚着もあいまって、到着した時には軽く汗をかいていた。

「ありがとー。助かった。あ、まだその辺の隅っこに置いておいて」

 先に到着していた美鈴さんは他のスタッフに混じっててきぱきと設営を始めており、みるみるうちにだだっ広い空間に長机と椅子が並んでいった。

 テレビで見た某同人即売会の会場が、あっという間に完成する。

 画面の向こう側の世界が、目の前に広がっているという緊張感が急に実感として湧いて来る。現実の事なのに、アニメの世界のようだ。

「ほらほら。私たちのブースはこっち」

 突っ立っていた俺を美鈴さんは案内する。

「あれ? そういえば愛栖ちゃんは?」

「ああ、もう少し設営の手伝い。こっちくるの久しぶりだから知り合いに質問攻めなの」

 へえ、やっぱりこっちにも友達いるんだな。

「て言っても、ほとんど枯れかけのおっさんおばさんばっかり。物書きって若い人なかなかいないからね。そう言う意味じゃ、私も若いほうなんだけど」

 キメ顔で言われても。

「十分若いと思いますよ」

「でしょ! それなのに和樹さんったら……」

 和樹さんっていうのは、確か愛栖ちゃんのお父さんだったかな?

「そ、そんなことより、そろそろ愛栖ちゃん呼んできて。もうすぐ始まるから。入り口付近のスタッフルームに連れ込まれてるはずだから」

 俺はスタッフルームの場所を簡単に聞いて、そちらへ向かった。

 会場は既に冬だというのに結構な熱気をまとっており、そこそこ動くなら上着はいらないくらいに暖かい。

 資材や商材で道が溢れているため気を付けながらスタッフルームに向かい、扉をノックして声をかける。

「愛栖ちゃん、います?」

 少し経って、俺より少し年上の男性が顔を出した。

「……君、だれ?」

 頭からつま先までジロジロ見たのち、不思議な表情をしながら聞かれた。

「あ、えー押尾さんの連れなんですけど、愛栖…… さんを呼びに」

 愛栖、と名前を言ったところでものすごい形相で睨まれた。が、言い終わるとにこやかな笑顔に変わって「ああ、呼んでくるよ」といったん扉を閉められた。

「ごめん、久しぶりだったからちょっと話し込んじゃった」

 ……あ。

「うん、行こ」

 俺は思わず、彼女の手を取ってその場からそそくさと立ち去った。

「あ、保くん、待ってって」

 言われて、少し強引になった自分に気が付いた。

「ごめん! ちょっと無理やりだった」

 俺は歩幅を落として、愛栖ちゃんが落ち着くのを待つ。

「いいよ。大丈夫。ありがとう」

 声のトーンが少し下がる。そう、この声がいつもの彼女の声。

 なんとなくわかる、『無理をしているときの声』と『いつもの声』

 あの時の『話し込んだ』は、本心からか、あるいは……

「もう、伯母さんの設営終わった?」

「うん、もう始まるからって」

 既に通路も片付けが終わり、直に始まるだろう時間が近づいていた。

「お、どうだった? 久しぶりのみんなは」

「変わってないっていうか、私が色々質問攻めにあった」

「ふふ。高校行って創作やめたとかいったら、あいつら何人か自殺するぞ」

「そんな繊細な人は不倫小説なんか書かないと思うよ」

「察して。あの連中はもう普通の恋愛やファンタジーに居場所がないんだ」

 ところどころでぎょっとする話を聞かされてる内に、館内にアナウンスが流れる。

『それでは第○回、中部文芸フリーマーケットを開催いたします』

 アナウンスが終わると同時に拍手が起き、入り口が開かれるとぽつぽつと人が入ってくる。

 そのうちの数人がこちらへ一直線で歩いてきて、表紙を見ただけで「三冊下さい」と飛ぶように売れる。あれ、設営の時にちらっと見たけどあの本一冊1500円するんだけど。

 俺はとりあえず後ろの方で邪魔にならないように立っていたが、一時間もしないうちにお客さんはほぼ終わり、ちょっと間ができた。

「さて、っと。そろそろ切れてきたし、見て来たら?」

 美鈴さんは売り子の手伝いをしていた愛栖ちゃんに声をかけた。

「え、うん。そうする。保くんはどうする?」

「俺はいいよ。ここで待ってる」

 じゃあ、少しだけ。とバッグだけ持って愛栖ちゃんはイベントの人混みへと消えていった。

「一緒じゃなくていいの?」

「ちょっと、疲れてるっていうか、体は疲れてないんですけど」

 昨日の夜の件や、朝の事も。この数日で愛栖ちゃんの情報が色々増えすぎて処理が追いつかない。

「……あの子、向こうでちゃんとやれてる?」

「え?」

 どういう意味だろう。

「小学校のころ、母親いもうととこっちに来た時はまだよかったけど、一年もしないうちに母親が育児をしなくなって。ほとんど私が世話してたの」

 ああ、以前何となく聞いていた話か。

「今はネグレクトとかいう言葉があるから、伝えやすくはなったよ? でもその渦中にいる本人はそれをうまく伝える術がなくて。ふさぎこんで。泣きたくても泣かないの。ずっと同じ漫画を読んで、そればっかり。『本が好き?』って聞いて、ようやく話をしてくれるようになった」

 それは、俺が聞いていい話なのかな?

「あの、俺が聞いていいんですか、その話」

 美鈴さんは、ニマっと笑って返した。その顔はすごく見覚えがある。

「男手なんとかならない? って聞いて、あの子すぐ君の事言い出したの」

 俺は、視線を逸らそうとしたがうまく行かない。右と左の眼球が別の仕事をしたがるように泳ぐ。

「ちょっと安心した。ちゃんとそう言うことをいえる友達ができたんだ、ってね。しかも異性で。だから、話してもいい子なんじゃないかな? って」

「そ、そうですか。でも、仲がいい異性は俺以外にも櫂、っていうやつがいて、あ、でもそいつはもう付き合ってるやつがいて、それで消去法で俺になったんじゃないですかね」

「ううん。迷いなく君の事が出たよ」

 ……変な汗が出る。

 血流が分かるほどに波打つ。

 ごまかすために深呼吸。

 狭かった視界が広がる気がして、落ち着いたらあることに気が付いた。

「あの、突っ込んだ話ですけど」

「うん?」

「『お母さんとこっちに来た』ってところ。昔は別のところに住んでたんですか? それに愛栖ちゃんは今お父さんと暮らしてるんですよね? 確か」

 美鈴さんはキョトンとこちらを見る。『今更?』とも言いたげだ。だが、突然目を見開いて俺の方を凝視する。そして、再びあの笑顔。

「ははあ。点と点がつながったかな?」

 急に何かを納得された。俺は何もつながってない。


 本当に何もつながっていないのか?


 急に脳が冴えてくる。

 でも、それを美鈴さんから聞いてはいけない気がする。

 だからあえて別の質問を返した。

「あの、漫画は何ていうのをよく読んでたんですか?」

「知らない。大事にしてたみたいだから、今でも持ってるんじゃない?」

 すごい速さで返された。……いや、むしろ。

 だが、この予想が当たっていたとしたら、何故愛栖ちゃんは……

「戻りました」

 考えがまとまらないうちに、愛栖ちゃんが帰ってきた。

「おかえり。何か面白い本あった?」

 美鈴さんが感想を聞く。聞くまでもなく、数冊の本が握られているが。

「うーん、今回は恋愛が多め。現代ものは大体そればっかり。傾向変わったのかなぁ」

「某作家賞が出した、量子論をもっともらしく書いて時間遡行する本が受けたじゃない? あれも結局ボーイミーツガールだから、それ狙ってると思う。うちは違うけどね」

 確かに違った。引き込まれるほどに人を好きになる話だった。……だから今も眠い。

「それ以外だと、あっちのAの柱あたりのサークルさんと、向こうの島全体が面白かった。それがこの辺」

 愛栖ちゃんは戦利品を見せる。どれもが個人制作とは思えないものばかりだ。

「『ケミカルサークルへようこそ』?…… ふうん、オタ小説かしら。ちょっと私も回ってきて良い?」

「うん。どうぞ」

 二人はささっと入れ替わり「じゃあ店番よろしく」と行ってしまった。

 愛栖ちゃんは椅子に座ってから二人きりになったのを思い出したのか、途端に静かになった。

「……あの、さ。今さらだけど、急でごめんね」

「い、いや。新鮮な体験だし、昨日のお鍋も美味しかったよ。それに……」

 いったん、漫画のことは忘れよう。

「愛栖ちゃんが買ってきたの、まず店頭では並ばないタイトルだよね。他にも面白そうなのあった?」

 愛栖ちゃんは少し考えて、

「そうだね、恋愛以外だとあっちのコーナーがSF関係、あっちがファンタジー。どっちも創作畑からは絶滅危惧種だから、興味があるやつは買った方がいいかも。それ以外だと現代もので知識が必要になる建設系とか、薬学系? 私は分からなかったけどケモノ系とかあった。あとは」

「れ、恋愛系で気になるのはあった?」

 ちょっと探りと言うか、ジャブを入れてみる。

「保くん、は、どんな恋愛が好みかな?」

「ほら、ブレイブウイッチみたいな、報われない恋? とか」

「あ、あああー。わかる。悲恋とか三角関係とかだとあっちのコーナーかな?」

 正直、この辺からはあまり覚えていない。途中途中でお客さんが美鈴さんの本を買っていったからだ。

 人によっては差し入れや、事前にサイン入りを予約していた人などが来た。このイベントの常連だとも言っていたし、かなり出店しているのだろう。

 自然と会話が減り、色々と対応したりしていたらお昼になった。

 直前に美鈴さんが戻ってから「入れ替わりでお昼買って食べて」と言われたので近場の喫茶店で食事を取り、再び交代制で休憩と店番を任された。

 結局その後も愛栖ちゃんとは盛り上がった話もなく、肝心な部分を美鈴さんから聞くこともできず、イベントは終わってしまった。

 帰りの車の中では、必死に愛栖ちゃんが美鈴さんと会話をし、俺は設営グッズと戦利品を隣に後ろの座席で会話をただ聞いていた。

 だけど、何故だろうか。

 そういう他愛もない話をしているときの美鈴さんの表情が、とても穏やかに見えた。不思議と、それは俺も嬉しくなる笑顔だった。

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