第10話 二人は連れ出される
帰りの電車で。
「ねえ、保くんは年末年始どうするの?」
櫂たちがうまく行ったのか、不安であまり喋らなかった空気に耐えかねた愛栖ちゃんが、ふいに話しかけてきた。
「年末年始? いや…… いつも通りかな」
クリスマスが過ぎると、世間につられて我が家も正月モードになる。
地元では別にこれといったイベントをするような神社もないし、わざわざ初詣に行くような家でもないので、適当に注文したおせちをつつきつつ、寝正月だ。
さすがに櫂たちと年末年始に遊んだりはしない。一応、家族の付き合いがあることくらいは小学校中学年くらいから理解はしている。田舎は親戚付き合いが大変なのだ。
とはいえ、今年は別に「いついつに親戚の家に行くぞ」という話が無い。ウチの両親はそういう予定を直前で振ると不機嫌になるので、めったなことで親戚たちは直前に連絡してこないからだ。
そう言う意味では珍しく時間の有る冬休みを迎えられそうなのだ。
「忙しい?」
「例年よりは暇かも。特に年末は」
「あー、そうなんだ。じゃあさ、年末 ……文芸フリマ、一緒に行かない?」
「文芸フリマ?」
「うん、引っ越し前によくしてくれてた伯母さん…… 母さんのお姉さんなんだけど、よく連れていってくれてたんだ。今年、店を出すからおいでって。自作の小説なんかを販売するイベントなんだけど」
「それは、愛栖ちゃんが小説を書くきっかけになったルーツ、みたいな?」
気になる。今の愛栖ちゃんを作り上げたイベントだというなら、一見の価値ありだ。
「行く! 行ってみたい! それ、いつから?」
「あ、じゃあ帰ったら伯母さんと連絡とって確認してから、メッセージで送るね」
◆ ◆ ◆◆
「ただいま…… あ、母さん」
「お帰り。ちょーっと遅かったんじゃない?」
時計の針は十時過ぎ。電車がなかったとはいえ高校生には少し遅い時間。
「少しアクシデントがあって、さ」
俺はバッグを食堂のテーブルにおいてうがいをしに洗面所へ向かう。
「まったく、誰に似たんだ…… あら」
うがいを終えた俺はバッグをしまうべく食堂に戻ると、母さんがバッグを漁っていた。
「ちょ、なにすんだよ」
「バッグ開けっぱなしで本が落ちそうになっってたのよ。ほら」
母さんが持っていたのは愛栖ちゃんがくれた本だ。明るいところで見ると、フィルムが本をくるりと囲み、小さなシールで留められている。
「わー、懐かしい」
「そりゃそうだよ。俺が幼稚園の時の漫画だから」
「違う違う。このシール。『もちものシール』じゃないの。あんたが幼稚園のときに使ってたやつ。名前の代わりに持ち物に貼ってたのよ。確か、あんたは蝶々のシールだったっけ」
……え?
「確か、年少さんの時によく一緒にいた女の子に、このシール付けた本をあんたがあげたの覚えてるわ」
それって、もしかして。
「母さんは、その子の名前覚えてる?」
確か以前聞いたときは覚えてない、って言ってたような。
「連絡網に載る前に引っ越したでしょう? 覚えてな…… あ、『はな』かな?」
「花?」
「何の花かは忘れたけど、花の名前をあんたが言ってたような…… ひまわり? チューリップ?」
「……『さくら』?」
俺は、もしかして、と思った花の名前を口にした。
「あ! それそれ! 何だ覚えてるじゃないの! あーすっきりした」
……マジか。
俺が、あの時思い出した記憶。
さくら、ちゃん……? 名前、か?
でも、それが何だというんだろう。
たまたま、漫画を手にしたから思い出した。
きっとその程度の繋がり。
深く考えても仕方ない。俺はさっさと本を片づけて寝る準備にかかる。
風呂に浸かって汗を流し、部屋に帰るとスマホにメッセージが来ているのに気が付いた。
『ごめん、明日の朝出発なんだけど、間に合うかな?』
◆◆ ◆ ◆
「急な話でごめんねー。まさかこんな流れになるなんてさー」
今俺は、愛栖ちゃんの伯母さんが運転する車に乗っている。
とある用事で、こちらに来ていたらしいのだ。
「でも話が通っててよかったわ。下手したら彼氏くんだけあとから向かってもらうことになったかもしれないから」
「「か、彼氏じゃないです!」」
思わず、助手席に座る愛栖ちゃんと声がハモる。
「えー、そう? でもちょっと安心した」
「な、なにが?」
「愛栖ちゃんから、あっちでもちゃんと友達できてるって聞いてたけど、本当かどうか心配だったから」
「し、失礼な。ちゃんとメッセージでは順調だよって送ってるでしょ!」
「文才ある者は、けっして読み手に伝えたくない情報をうまく隠ぺいすることができる。文字の奥に眠る本当の思いを組み取らなければ、読者は表現者の本質を知ることはできない」
「じゃあ、伯母さんは私のメッセージから何を読み取ったっていうの?」
「寂しいよー、たまには構って欲しいよー」
「それ、伯母さんのほうでしょ」
「いかん、熟練の文芸作家のほうが一枚上手だった」
「良く言うわ。新進気鋭の作家さんが」
……加奈ちゃん相手でもこれだけ話す愛栖ちゃんは見たことが無い。
「そうそう、私は
「あ、聞いてます」
「本名よりもペンネームの方が有名なんじゃないの?」
「ペンネーム?」
「ああ、私ね、ちょっと前に趣味で書いた小説が当たって、出版されたの。今はコラムなんかを書く仕事とかもらっててね。本業は自営業なんだけど」
残念ながら、俺はアニメ雑誌などしか見ない。文芸雑誌はおろか、小説も原作アニメのノベライズがほとんどだから、多分聞いても分からないだろう。
「
「……いや、知らないです」
「ほらね」
「ダメだよ保くん。アニメ誌よりもっと文芸誌読まないと」
「いや、別にそっちには……」
その後愛栖ちゃんは、美鈴さんがいかにすごいかを延々語られてしまった。
だが、俺はそれを素直に聞いていた。
いわく、美鈴さんがいつ文才に目覚めたか。
いわく、美鈴さんがいくつの賞をもらったか。
いわく、なぜ一度筆を折ったか。
いわく、また筆を持ったのはなぜか。
それをさも自分の事のように語る。その語り口調は、普段の愛栖ちゃんからは想像もできないほどに流暢で、聞きやすかった。
美鈴さんは、それを止めるでも、内容を訂正することもなく、ただ聞いてただまっすぐ運転していた。
ざっくり到着までの二時間に及ぶ乗り心地は、これが意外と快適だった。
愛栖ちゃんのスペシャルトークがあったことが理由であることは言うまでもないが、美鈴さんの運転が上手である事と道が特に込んでいなかったのも理由だろう。なにせ、通常とは逆の方向が混んでいたからだ。
年末は田舎への道が混むもの。ということは、少なくとも俺たちが住んでいるところより都会と言うことになる。
A県N市。二つ隣の県とはいえ、途中からビルが多く見えるようになり、明らかに都会な場所。
「お疲れ様。あ、愛栖ちゃん。お客様用の部屋準備してきて」
「はーい」
……ん?
「あの、イベントって今日じゃないんですか?」
「あら、愛栖ちゃんったら言ってないの? 明日よ」
はい!?
「え、っと俺泊まる用意とか、してないんですけど……」
「あら、どうしよ。親御さんは外泊厳しい人?」
「いえ、ちゃんと言っておけば大丈夫だと思いますけど」
「じゃあ、服やなんかはこっちで用意するね。一言連絡入れておいて」
え、そんだけでいいの? 年頃の男女が一緒っていうの、まずくないのか?
とはいえ、ここがどこでどうやったら帰れるかなど、一高校生の俺では確認に時間がかかる。……と自分に言い聞かせ、背徳的な誘惑に負けた俺は母さんに連絡を入れる。
「……あ、母さん? ちょっとさ、泊まっていくことになっちゃって…… うん…… うん…… あ、それは大丈夫。……うん。……分かってる。……はいはい。……それはこっち次第かな? 分かってるって。はいはい。……それじゃ」
通話中に気が付いたが、美鈴さんはずっとこっちを見ていた。というより、聞いていた。
「君が、あの愛栖ちゃんの『お気に入り』か」
聞こえるか聞こえないかの大きさで呟く。しっかり聞こえましたよ。
「俺の『声』がお気に入りですけどね」
「おやおや? 声だけがお気に入りなのが物足りないとか?」
「そ、んなんじゃないです」
美鈴さんはいたずらっぽく笑う。
「いいね。若いっていうのはサ。分からないことが分からない。どう言葉にしていいか分からなくて、知っている言葉で補おうとすると、突拍子もない表現になってさ。グラデーションの段階がすっごいデジタルで」
美鈴さんは車から荷物を降ろしながら話す。言いたいことはなんとなく分かるが、話し言葉というよりも文芸小説の一節を読み上げているような難解さがある。小説家ってこんなもんなんだろうか。
「ま、私もそういう話に刺激をもらってるのも事実だし、めいっぱい青春してくれ少年!」
手伝おうと近づいた俺に、縛られた大きな本の束を渡しながら、美鈴さんは車のドアを閉め、背面の扉に手をかける。そこからも、相当量の本が見えている。
「
ああなるほど。何故俺が呼ばれたのか謎だったのがようやく合点がいった。
理由が分かれば、あとは頑張るだけだ。
◆ ◆ ◆◆
美鈴さんは、数日前から愛栖ちゃんの家にいたらしい。
なんでも愛栖ちゃんのお父さんである和樹さんから、要らなくなった本をもらいに行く話だったのだが、その量が意外に多く、男手を探していたとか。
俺に白羽の矢が立った理由までは不明だが、恐らく一番の安全株だから、というのが妥当だろう。変に遠くもなく、近すぎず。
軽のワンボックスに所狭しと積み込まれた本の山は、ある部屋のスペースをほぼ埋め尽くした。どれだけ乗ってたんだ……
家に到着したのが昼前で、昼食を軽く食べた後はひたすら運び込み。
最初に置いてあった本棚はあっという間に埋め尽くされ、結局半分以上が床置きになってしまった。とりあえず、車と玄関にあった分は部屋に入れることには成功したが。
「さ、お礼のお鍋! たくさん食べてね~」
「料理ができないだけでしょ。まったく……」
運び込みが終わると、既に夕食の準備がされていた。冬らしく鍋、というと豪勢だが、愛栖ちゃんの一言でちょっとありがたみが薄れる。
いや、タダ飯いただけるだけで文句を言うもんじゃあない。ありがたく頂戴いたします!
「えっと、保くんは本を読んだりしないわけ?」
「ラノベはちょっと読んだりします。漫画と半々くらい」
「へー。最近の『セイクリッド・ブレイバーズ』とか読んだ?」
「ああ、それは読みました。主人公とライバルが熱いっていうの見て」
「あの作者、私の知り合いでさ。下読みした時絶対売れると思ったの」
「え、お知り合いなんですか!」
「遠い、ね。あまりラノベ得意じゃないんだけど、ヒロインに感情移入できないって言われて、つい読ませて~ ってお願いして。まあ、君の言う通り主眼の戦闘シーンにファンが付いて。私のアドバイスは蛇足だったわ」
「いや、やっぱり男女の駆け引きがあったからライバルとの戦闘が引き立つわけで。主人公の攻撃にヒロインへの思いが乗っかってたと思います」
「わかる? わかるかー。うんうん。それならアドバイスのしがいがあったね。でー……」
「あ、保くんごはん無くなってる。おかわりいれようか?」
その会話に、少々わざとらしく愛栖ちゃんが俺の茶碗を見ながら声をかけてきた。普段よりも少し、大きめの声で。
「あ、ああ。ありがとう」
その迫力にビビった俺は、おずおずと茶碗を差し出す。
「あ! 明日なんだけど、ちょっと運営さんとお話がしたいから、ここを7時には出るわね」
「あ、はい。わかりました」
「え? 開始って9時でしょ? 車で向かっても30分かからないと思うけど」
「ほら、今回スタッフじゃないから。いつもの会館駐車場使えなくて。本の搬入はもうしてあるから、机の設置も手伝わないと」
「あー、そうか。じゃあ、明日は6時起きね、保くん」
「そうだ、これ、今回出す本。よかったら読んでみて。それで感想も欲しいな。出来れば明日の朝に」
「伯母さん! 明日6時って言ったばかり!」
◆◆ ◆ ◆
「ふぅ……」
肉体労働者にはいたわりを! ってことで一番風呂を頂いた俺は、愛栖ちゃんが用意した和室の、既に敷いてあった布団の上で、頂いた本を眺めていた。
『幼恋』
ようこい? おさなごい?
幼馴染の恋バナだろうか。最近目の前でいろいろと繰り広げられている幼馴染同士の恋模様なら知ってるが。
身近な題材と言うことで、ぱらりとめくる。
「お、本格的」
個人制作された小説…… これも同人誌、と言うらしいが、いろいろと「らしくない」作りになっている。普通の文庫サイズで表紙がカラー。めくったすぐの紙が薄紙になっていて、「らしさ」が際立っている。
イラストが無いせいかすぐに目次に入り、章のタイトルが並ぶ。まあ、良くも悪くも見たことあるものばかり。つまり、興味がそそられる単語が並んでいるわけで。
「まあ、読んでませんというよりは……」
微妙に目が冴えていた俺は、とりあえず言い訳のためと眠気呼びに読み始めた。
物心つき始める頃、二人は一緒だった。
だが、周囲のワガママに振り回されて、離れ離れになる。
知らず、いつの間にか距離が近くなるも、お互いがお互いを覚えていない。
しかし幼い頃の記憶が、仕草が、徐々に確信に変わり……
「え? いきなり付き合い始めるのか?」
俺は唐突な展開に、つい声を漏らす。
その声が聞こえたのか、トントン、と部屋のふすまを叩く音がした。
「保くん? もしかして伯母さんの小説、読んでる?」
閉じたまま叩かれたふすまの向こうから、愛栖ちゃんのくぐもった声がした。
「え、あ、うん。ちょっとね」
「ダメだよ。もう11時過ぎてるから、早く寝なきゃ」
そんな馬鹿な、とスマホを確認する。確かに10時54分を表示している。手元の小説はもう半分以上進んでいた。おかしい。風呂から上がったのは8時前くらいだったのに。
「私はもう寝るよ。おやすみ」
愛栖ちゃんの声と共に、布が擦れる音に続いて、空気が大きく漏れる音。
……もしかして、隣で寝てる?
小説の内容と、突然の外泊と、まさかの隣接で、俺はまだ眠れないことを悟った。
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