第6話 二人は取材する
待ち合わせは近くの公園に朝の10時。
バスで15分ほど乗った先の水族館が今日の目的地。
今日は、朝から落ち着かない。
おかげで集合時間の20分前に到着してしまった。
『下見だよ、下見』
うまい言い回しをされたような気もしたが、やはり第一印象を固定されてしまったのが緊張の理由だろう。
(デート…… か)
実は愛栖ちゃんも昨日、同じような相談を加奈ちゃんから受けていたらしい。
だったらちょうど同じ市内に水族館があるんだから行けばいいのに、と返したところ、「どういう雰囲気の場所か分からないところへいきなり行くのはチャレンジが過ぎる」と言われたらしい。
つまり、行ったはいいが微妙な雰囲気になって帰ることは避けたい。という加奈ちゃんのために、事前調査をしに自分たちでリサーチをしたいのだ、と言うことだ。
理由はどうあれ、女の子と二人で水族館というシチュエーションは中学からの友達とは言え多少は期待もするわけで。
いや、期待という表現もおかしいな。緊張する、もそぐわない。気を使う…… うん、そうだな。女の子を一人で水族館に行かせようものなら、すぐにナンパされてお持ち帰りされて…… いや、愛栖ちゃんだとそこまで心配するような印象を与えるような服装をして水族館に行くだろうか?
「あっ、お待たせ…… って、保くんも早くない?」
と考えていると、愛栖ちゃんが待ち合わせの15分前に到着した。
「あ、いや、待ってない。ちょうど来たところだから」
慌ててつい出た言葉に、愛栖ちゃんが「ぷっ」とウケる。
「なにそれ。初々しいカップルみたいな回答」
いやいや原因は君だから。間違いなく。
一言文句でも、と思って愛栖ちゃんをよく見る。
……あれ? 普段の私服、こんなんだったっけ?
いつもはだらっとした上着にジーンズだった印象だが、今日は薄いブラウスの上にブラウンのカーディガンを羽織っている。それに合わせた色使いのロングのスカートで足元もオシャレにブーツを履いていて、ちらりと見える黒いソックスもニクい演出を醸し出している。
「かわいいでしょ」
普段よりも服装を凝視する俺に気が付いたのか、愛栖ちゃんは軽く服装を見せるように振る舞い、いたずらっぽく聞いてきた。
「ああ。かわいい。なんで彼氏を作らないのか謎なくらい」
見透かされて悔しいので、ちょっと意地悪に返す。
「私の最推しは加奈姫だけ。それ以外は今はいらないの」
ここまでほぼテンプレなやりとり。うん、いつも通りで安心する。
「じゃ、行くか」
ここからバス停までほんの数分。その間、愛栖ちゃんは隣を歩く。
そんな彼女を横目で見る。
眼鏡は流石にいつもの黒縁だが、よく見ると今日は軽く化粧をしているではないか。歩くたびふわっと香るファンデーションの香りが鼻を刺激する。肩にかかる髪からこぼれるシャンプーのいい香りと合わさって、非日常感を演出してくる。
(あれ、なんか)
ついつい視線を外し忘れて、ずっと見られていた事に気が付いた愛栖ちゃんが眼鏡を通さずこちらを見る。その上目使いはツボだからやめるよう今度注意しよう。
「あ、バス来た」
何か言おうとした口元は、いつもと違った。恐らく、薄いリップで彩られているのだろう。
(なんか、ヤバいな)
まだ出会ってから5分も経たないうちからもう一日分の動揺をした気がした。
◆◆ ◆ ◆
バスが水族館に到着すると、愛栖ちゃんは速足で受付へ向かう。
俺はゆっくり追いかけながら、入場料が書かれた看板を見る。
「大人900円、小学生以上500円…… まあ、それくらいするよな」
既に窓口近くまで進んでいた愛栖ちゃんを捕まえて、窓口で入場料を支払うべく話しかけた。
「すいません、大人二枚」
「はい。大人二枚ですね…… えと」
受付の女性は、俺たちを見て一瞬止まる。
「失礼ですが、お二人はカップルの方ですか?」
「「え?」」
俺と愛栖ちゃんの声が被る。
「当館ではカップルの方を対象に『カップル割』がありまして、お二人で1500円になるんです。お客様が申請していただければオッケーなんですけど……」
言われて俺は再度案内を確認する。あ、確かに小学生以上の項目のとな「はい! カップルです!」
「はーい。それではカップル割でチケット販売します。これを付けて入場してくださいね。これを付けているカップル限定のサービスもあるので、ごゆっくりしていってください」
受付の女性はすぐ外せるタイプのビニール製リストバンドを二つ、チケットと一緒に俺に渡した。
……まあ、安くなったからいいか。
愛栖ちゃんはリストバンドを一つ俺から取り上げ、さっさと自分の右腕に付けた。
「ほら、保くんも」
二つ目も取り上げ、俺の左腕に巻く。
「お、ああ、ありがと」
「……迷惑だった?」
だから眼鏡のフレーム外から視線を送らないでって言わないと分からない「全然大丈夫だったから、気にしないで」
「そかそか。ならよし」
いつもの笑顔で愛栖ちゃんはまた俺より先に中へと入って行った。
なんだか、仕草の一つ一つが思考と行動をちぐはぐなものへと変えられていっている気がする。
……あんな子だったかな?
いや、確かに出会った時に比べて明るくなった気はする。
中学の時はもっと暗く、声も小さくて低くて、加奈ちゃんの後ろから離れられないくらい人見知りが激しかった。加奈ちゃんを通じて俺や櫂と仲良くなり、中学を卒業するくらいにはクラスにようやく馴染むくらいに話しやすくなった。
「はやく行こ。もったいない」
「わかったから、そう先に行かないで」
少し声が上ずったか? 声量が自分でコントロールできなくなっているのに、声をかけてから気が付いた。
「ん、ならさ」
ととと、と近づいてきた愛栖ちゃんは、すっと俺の左横に立ち、上着の袖を両手でつかんだ。
「これでいいでしょ」
「あ、ああ。そうだな」
俺はなるべく彼女がゆっくり歩けるように、歩幅を調整しつつ歩き始めた。
◆◆ ◆ ◆
最初は地域の川や湖の生き物がメインに展開されていた。
県営の水族館で海岸沿いでもないのだから、地域性が強く出るのは当然である。
しかし、意外と知らない事実や歴史的経緯は勉強になり、少しでも知っている事柄が説明で掲示されていると、つい読んでしまう。
と思ったが。
「へー、これそうなんだって」
愛栖ちゃんが読み上げたり、感動しているのを俺は見てるだけだった。
いちいち魚を見ては「かわいい」掲示の説明を読んでは「知ってた?」大きな魚と小さな魚が泳いでいるのを見て「あれ親子かな」おとなしい甲殻類を見つけては「動かないとは職務怠慢」などなどなど。
俺が水槽を見てる余裕がない。
すごい腕引っ張る。
すごい歩く。
すごい話しかけてくる。
で。
すごい笑ってくれる。
大きな水槽でふわふわと泳ぐ魚たちを前にして、観賞用のライトが愛栖ちゃんを照らしている。青白く、幻想的な雰囲気を醸し出す。
「お二人さん、カップルさんですね」
そこへふいに後ろから声をかけられた。
「え、えいや」
突然職員の人に声をかけられて一瞬どもるが、手首のバンドがそれを肯定する。
「カップル入場されたお客さんへのサービスで、この水槽をバックに
「あ、いいね。撮ってもらおうよ」
「じゃあ、手を繋いでください。撮りますよ~」
俺は左手を遠慮がちに握ると、愛栖ちゃんも軽く握り返す。熱を感じるほどに密着した手のひらに微かな緊張を感じながら、シャッターの音がするのを待つ。
「なんかお二人、硬いですね? 緊張してます?」
「いえいえいえ、大丈夫ですよ」
早く撮ってくれなんでそんなことを聞くんだよ心臓の音が聞こえてきそうだよ。
「じゃあ、何かポーズ取ってください。ピースとかイエーイとか」
ポーズの掛け声に若干の年代を感じつつ、二人でピースサインを作る。
「いいですよ! なんか初々しくて私も初めて付き合った時の思い出が蘇るようですね~、はい、チーーーーーー…… ズッ!」
長々と話をしたあとで引きに引いたシャッターを聞き、ようやく解放される……
と思ったら、愛栖ちゃんは手を離すことなく職員の人から写真を受け取る。
「まだ出ないんだね」
「乾かさないとダメですよ。ほら、二人でフーフーしてください」
本当この職員の人はどこまでブッ込んでくるんだよそろそろ顔から火が出そうだよマジで。
「じゃあ、見えるまで私が持っておくよ」
愛栖ちゃんはそう言って左手で軽くつまんで写真をパタパタし始めた。
「はい、ありがとうございます。残りの展示もごゆっくりお楽しみ下さいね」
恐らく平日で客もまばらだからこその、こってりした対応だったに違いない。
とはいえ、まだ何も映っていない写真を見て、愛栖ちゃんはこの上なくニコニコしているから今はいいとするか。
◆ ◆ ◆ ◆
「なるほどな。確かに近くにあるから盲点だったわ」
「そんなに広くないし、ゆっくりまわるにはちょうどいい大きさらしいぞ」
「ほうほう」
「入場料も、カップルで行けば割引もあるし、館内で記念撮影のサービスもカップル限定でしてくれたから、最初のデートにはうってつけかもな」
「お、今どき撮影サービスってなかなかやらないよな」
「あと、意外と落とし穴なんだが」
「え、落とし穴?」
「カップルって、話が途切れやすくなるだろ?」
「ああわかる。特に会話が続かなくなるタイミングって、あるよな?」
「水族館に行くとそのタイミングで魚を見ると思うんだけど、見ることに集中しすぎるなよ」
「ん? どう言うことだ?」
「結構掲示物が親切でさ。それを読みながら魚も見て、話もしてってなるとそれなりに忙しいんだよ」
「あー! なるほどな、魚も掲示物も加奈の話し相手もするってことか。確かに忙しそうだな」
「あとは帰りな。ちゃんと送ってやれよ」
「分かってるって! おっし、頑張って誘ってみるぜ。近場だしそんな難しくないと思うけど……」
「流石に、誘い方までは知らんぞ」
「はは。だよな。でもよ」
気づくな。
「めっちゃ詳しいな。実体験みたいだったぞ」
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