第5話 二人は鉢合わせる

 文化祭といえば、高校生活の花形イベントの一つである。

 とりわけ文化部が強いうちの高校では、この日の催しで残りの人生が決まった! と言っても過言でない奇跡がしばしば生まれるらしい。

 その集大成が、目の前にある。

「これでも、去年より薄くなったってさ」

 文化祭のしおりである。

 厚さにして一センチほど。表紙は漫画研究会の会長がプロ顔負けのデザインを披露。

 一応外部にも配る想定で作られているので、校長の挨拶、各クラスの出し物、部活の活動報告、既に会社を建てたりして活躍している学生の紹介などなど、記事には学生らしさが微塵もない。同人誌即売会でもやるつもりか?

「いや、半分くらいはわかって入学したつもりだけど、半分もわかってなかったわ」

 櫂もページをめくりながら感心する。

「でもさ、ちょうどよかったんじゃないか? 加奈ちゃんとどこ回るか、あてがあったほうが回りやすいだろ」

「あー! 確かに!」

 そう言うと櫂はもくじから『学生催し一覧』を開き、一つ一つを精査し始めた。

(……楽しそうだな)

 ふと、櫂の喜びように羨ましいという感情を覚える。

 まあ俺の思い人は、今現在いるかどうかも怪しい影の人だ。素直に近場で彼女でも作れば、同じようにはしゃげるかもしれないが。

「そういえばさ、保はどうするんだ? 当日は」

「ああ、放送部のボイスドラマの公演が終わり次第、自由時間だって」

「だから、その自由時間に何するんだよ」

 櫂は視線をしおりに向けたまま、俺の予定を聞いて来る。そんなのあるわけないだろ。

「四人で回れないのは悪いとは思うけどさ。愛栖あいすと回ればよくね?」

「あー…… 向こうに用事がないなら、それでもいいな」

 そこまで言うと、櫂の指がぴたりと止まる。

「保、まだ例の女の子の事気にしてるのか?」

 もちろんそれはあの幼稚園の時の話だ。

「そりゃ、ま。一応、声優目指すきっかけだしさ」

「忘れろよ、とは言わないけどさ。そこまで義理立てするほどのものかね?」

 中学校に上がったくらいから、よく言われるようになった『その子の事は忘れろ』という言葉。逆に印象に残るようになってしまったのは言うまでもないが、何故か俺の中ではマイナスな印象は無い。むしろ応援してくれているようにも感じる。

「義理っていうかさ、ガソリンみたいなもんだよ。俺を動かすために、きっとそれは必要なんだ」

「……まあ、なんだ。重荷にするなよ」

「わかってる」

 櫂は笑顔で再び目録の見直しを始める。

 俺もとりあえず目を通しておくか。


 ◆ ◆  ◆ ◆


 10時に一回、14時に一回。

 放送部と文芸部のコラボ作品は、そのスケジュールで放送する。

 校内放送として流すことはできないので、視聴覚室での視聴となる。

 残念ながら人数が決して多いと言えない我が部は、その少ない人員をフル活用して運営される。例えば、今回の文化祭での放送担当は、午前が俺、午後が古地こち先輩。反田それた先輩は収録データの編集を担当したので、今回は当番なし。

 あと三人いるのだが、残念ながら俺はあったことが無い。二人が三年生で一人が俺と同じ一年生らしい。内申上入部しているだけなのか、本当に参加できない状態なのか、あったことが無いから分からないが。

 一応文化祭自体は二日あるのだが、翌日の催しには全生徒が関係しない。いわゆる「学校側の催し」が中心になる。例えば、卒業生の芸能人を呼んだり劇団の演劇を見たり。

 その間に、一部の生徒が教室などに残って後片付けを行ったりするのだ。

 ほとんど後片付けに時間を要しない我が部などはほとんど二日目はフリーになる。体育館で行われる芸能人の催しや今回来る予定の劇団には特に興味が無い。

 つまり、俺の文化祭の担当は一日目の午前で終わり。

「やほやほー。終わった?」

 先ほど視聴を終えて視聴覚室の外で待っていた愛栖ちゃんが、頃合いを見計らって入ってきた。

「うん、あとは古地先輩へのメモを書いて終わり」

 とは言っても『終わりました』と引き継ぎのメモを書くだけなので、特に何かをするわけでもない。

「お疲れ様。ところでさ、お昼どうする?」

「ああ、せっかくだからどこかの屋台コーナーで買って食べる。愛須ちゃんは?」

「私も、今日は買うつもり。……焼きそばとかどうよ」

 視聴覚室の鍵をかけながら、俺は廊下に漂うソースの匂いに気がついた。恐らく愛須ちゃんもこの匂いに当てられたに違いない。

 しかし、健康な高校生がこの香ばしいソースの香りに抗えるはずもない。

「んー、悪くないね」

「決まり! 行こうか」

 いつもならここで櫂たちを誘うのだが、今日に限ってはその必要はない。きっと二人で食べ歩いては催しに参加しているに違いないからだ。

 俺たちは校舎を出てグラウンドに出ると、鼻が誘われる方へと向かう。そこには間違いなく求めるものがあるからだ。

「たこ焼き、わたあめ、焼き鳥にヨーヨー掬い…… まるでお祭りだね」

「確かに。学校じゃないみたいだ」

 俺たちは気を抜くと何でも買ってしまいかねない誘惑を振りきって、目的の焼きそばをゲットした。が、受け取った量は少々心もとない。健康な高校生がこんな量で足りるはずはないというのに。

「お客さんは在学生だけじゃないしね。他のをつまんでくださいって言うことじゃない?」

「だな。ま、何をつまむかは焼きそばを食べ終わってから……」

 と、そこで俺は見慣れた二人を発見した。

「どしたの? あ、櫂くんたちじゃん」

 二人もここで昼ごはんを買ったようで、それぞれの手にカレーライスとお好み焼きを持っていた。

 遠くから見ると、なんとも不思議な光景だ。美男美女…… かどうかは分からないが、間違いなくお似合いのカップルだ。

 いつも隣にあった顔がちょっと先にあるだけだというのに、何やらすごく遠くに感じる。

 なんとなく、このままいい付き合いをしてほしい。そう思った。

「ねえ、ちょっと追いかけない?」

 思っていたのに、何を言い出すんだ。

「やめとけよ、邪魔になる」

「違う違う、邪魔はしない。温かく見守らないかって話」

「それ、要するに覗きだろ? 告白の時もそうだったけど、よくないと思うな」

 なんて言ってるそばから愛須ちゃんは二人を追いかける。

「あっ、全く……」

 内心、これで愛須ちゃんのせいにして櫂たちを監視できる。一瞬でも思った自分が恥ずかしい。

「ほらほら~、はやく~」

 普段は誰よりも歩く速度が遅いくせに、こういうときだけ素早い。

「中庭に入っていったね。あそこなら風もこないし、ランチにうってつけだ。普段も開けて欲しいなー」

 中庭は防犯を兼ねて普段は施錠されている。こういう一般開放もしている間だけここも開けられる、というか、ここも解放しないとすぐあちこちがいっぱいになる。木漏れ日が差すベンチも、手入れされた芝生も、こういうときは気持ちがいい。

「あ、あのベンチで食べるみたい」

「愛栖ちゃん、こっちで俺たちも食べよう」

 いい加減こちらが主導権を取らないと延々と二人を追っていってしまう。

「おや、良い場所だね」

 俺が案内したのは少し大きめの木が傍にあるベンチだ。こちらからも、あちらからも死角になる位置に生えているため、お互いが見えにくい状態を保てる。

 俺は軽くベンチのゴミを払って愛栖ちゃんをそこへ座らせる。

「……ありがとう」

 彼女はちょっと戸惑いながらもベンチに座り、俺が座るのを待つ。俺はもう一度櫂たちの方を見て、改めて愛栖ちゃんの隣に座る。

「いただきます」

「いただきます」

 普通の焼きそばと比べてソースの匂いがより強く感じるのは、鉄板で焼いたからなのか、ソースが別物なのか、それとも環境のせいなのか。あるいは……

 そんなことを考えながら食べていると、量の少なさもあって一瞬で腹に収まった。

 他に何か食べるものでもなかったか、と丸めてポケットに入れていたしおりを取り出す。

ふぁあーほうひいいんふぁあ用意いいんだ

「口の中無くなってから喋りなさい」

 グラウンドの屋台コーナー以外では「創作クレープ」なるものを出しているクラスや「なんでもクッキー」を作っている料理研究部、科学部は「ドライフード」と称して果物を乾燥させたお菓子を販売しているようである。

 ここで、俺は妙案を思いついた。

「そうだ、愛栖ちゃん、ここ行ってみない?」

「ふぁ?」

「ここのクレープ、トッピングで色々味変ができるソースを自分で乗せられるんだってさ」

「ん、へぇ。面白そうだねー」

 今度はちゃんと口の中を空にしてから喋ってくれた。

「そういえば保くんって、甘いもの好きだもんね」

「甘いものっていうか、辛いのや苦いのとか、喉によくない食べ物が嫌いなんだよ」

 中華料理なんて特に辛いものが多いため、食べられるものが少ない。

「なんか、女子みたい。かわいい」

「いいの、俺の事は。な、行こうよ」

「うむうむ。それがご所望であるならば行こうではないか」

 よし、誘導成功だ。櫂。加奈ちゃん。ゆっくり二人の時間を楽しんでくれ……


 ◆◆  ◆◆


 その日の夜。

 櫂から着信コールがあった。

「珍しいな、こんな時間に」

「すまん。いや、なに。ちょっとさ」

 この声のトーンは、つい最近も聞いた覚えがある。

「また何か加奈ちゃん絡みで相談か? 今日も結構うまく行ってたんじゃないか?」

 実はあの後、何度かニアミスしたうえ、最後はクラスの出し物の参加にかぶった。

 そう、最後の最後に愛栖ちゃんが「うちの脱出ゲームやってってよ」なんて言うものだから、帰る直前の受付時間で二人と会ってしまった。

 そりゃ、加奈ちゃんとしては自分のクラスの出し物に彼氏と参加したかったのだろうが、まさかそれが俺たちと同じタイミングになるとは、良いのか悪いのか。

「いや、最後のニアミスも俺としてはちょっと助かったっていうか、会話に間が持たなくなっててさ。まあ、それに近いんだが」

 いつもの櫂から考えられない言葉の澱み。

「今日、会話してて思ったのがさ。こう、二人でどこか出かけたいな、って話をしてさ。今日は学校ってこともあって知り合いに会うかもて思うとなかなか帰りと違って手を繋ぐのも恥ずかしいし、あ、でも演劇部の演目を見てた時は繋いでたりしたんだけどさ」

 はいはいごちそうさまごちそうさま。

「今度はさ、ちゃんとしたデート、したいよなって」

「つまり、誰にも見られない。二人だけの特別な場所でデートがしたいと」

 羨ましい悩みだ。

「やっぱ知り合いの目があるかも、って思うと俺も思い切った動きができなくてさ。いや、普段も保たちの世話にならなきゃ、手も繋ぐことができなかったけどさ」

 つまりはデートスポットのリサーチを頼まれてるわけか。

「俺と加奈が今度合う休みは再来週の日曜日くらいなんだよ。明日は俺がダメだし、今週の日曜日は加奈が用事。なかなかちゃんと合わないのが、なんだか俺たちらしいっちゃあらしいけどよ」

 確かに明日は平日ではあるが、文化祭二日目で授業が無いため登校する必要はない。イベントに参加したいものだけが学校に行くスタイルなのだ。

「わかったわかった。ちょっと近場をうろうろしてみるよ。あと、お前も探せよ。自分のデートスポットくらい、自分で見つけられるようになってもらわないと困るぞ」

「ありがとう友よ! 恩に着る! お前に彼女ができたときは力になるからな!」

 そういって櫂は通話を切る。かかってきたときと同じくらい唐突に静かになった。

「……俺も、彼女ができたらああなるのか?」

 少し想像して、すぐにやめた。

 何故なら、またスマホが通知をキャッチしたからだ。

「また櫂か?」

 俺は通知の確認をするべくスマホを持ちあげ、慣れた手つきで操作する。

「ん? 愛栖ちゃんからだ」

 彼女のプライべートメッセージは、短くこう書かれていた。


『明日、デートしませんか』

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