第3話 二人は目撃する

 翌朝。

「やー。おはよう」

「おはよー!」

 登校前の、俺たち専用の集合場所には既に加奈ちゃんと愛栖ちゃんが待っていた。

「おはよう。……櫂はまだ?」

「まだみたい。私たちを待たせるとは勇気のあるやつよ」

 愛栖ちゃんのいつもの毒舌。とはいえ、俺を含めてまだいつもの時間には数分早い。

「でも、私は十分も早く来たんだよ。その時点で姫はもう来てたけど」

「ま、まあ昨日みんなと一緒に行けなかったから、ちゃんと来てねって愛栖ちゃんには伝えてあったし」

 一応告白からの流れを考えたら怒涛の二日間だから、いつもと同じペースに戻したいってところだろう。

 だけど、俺には誰よりも早く来た理由が分かる。

 昨日までは、加奈ちゃんは生徒会の用事で一緒にお昼を食べてない。

 その会議は、昨日まで。

 つまり今日からまた四人でお昼を食べられる。

 加えて。

 彼女の、絆創膏だらけの手。

 俺たちが来る前のタイミングで、櫂に渡したかったものがあったに違いない。

「遅いねぇ櫂くん。私より早く来れたらよかったのにね」

「え、何が、かな?」

「だって、姫が頑張ったんだもん。言ってくれれば、保くんと打ち合わせしたのに」

 愛栖ちゃんも気が付いたみたいだな。

「な、ナンノコトカナー。ワカンナイナー」

 必死にごまかす加奈ちゃん。本当に数日前の本人に見せてやりたい。

「ごめん、遅くなった!」

 ようやく櫂がダッシュでこちらに向かってきた。

「遅い! 罰として今日は私たちが先に行くから!」

 そう言うと、愛栖ちゃんは俺の右手を取って先に出発する。

「え、ちょっと愛栖ちゃん?」

 いきなりのことで焦る。

「ほら、二人も危ないから。行くよー」

 ……あ、なるほどね。

(でも、俺たちまで手を繋ぐ必要はもうないんじゃあないの?)

 数歩歩いて聞こえない距離まで離れてから、流石に続けてこの作戦がうまく行くか疑問に思い、こそっと耳打ち。

(いーのいーの。自分たち以外に手を繋いでる人がいるっていう状況が、判断を緩くするんだから)

 そうかな? と思ってちらりと後ろを振り向く。ちょうど櫂の方から手を出してようやく手を繋いだところだった。

(ほら。やっぱり効果あったじゃん? ワンテンポ遅かったけど)

数歩の距離ができはしたものの、俺たちは学校へと歩き始めた。

「あ、そういえばさ、保くんのクラスは文化祭何するの?」

「まだ決まってない。陽キャグループがカフェしたいとかお化け屋敷やりたいとか言ってさ。陰キャ側は展示とか言ってるけど正直俺は放送部の出し物があるからあんまり気にしてない」

「カフェか…… 執事カフェで保くんがウエイターしてくれるなら行こうかな?」

「だから、俺はクラスの方は何もしないって」

「わかってるわかってる。もちろん聞きに行くよ。完成ボイスドラマ聞きたいし」

 ふと俺たちの会話が切れた時、背後から二人の会話が聞こえて来た。

「あ、あのさ櫂!」

「ん、何?」

「今日、お昼ね、会議が昨日で終わったから、無くって」

「うん」

「一緒に食べようと思うの」

「うん」

「で、待っててほしいんだけど」

「食べるのを?」

「ああ、違くて。その……」

「うん」

「お昼を、買うのを」

「うん?」

「……作って、来たから」

(攻めるねぇ、姫も)

 加奈ちゃんは耳まで真っ赤だし、愛栖ちゃんも眼鏡の奥が怪しく光っている。楽しんでいるのは分かるんだが、俺と櫂は微妙な心境だった。

 だって、完全無欠と思われた加奈ちゃんの、残された唯一のマイナスポイントだから。

 料理は。


 ◆◆ ◆◆


「……以上が生徒会からの通達なので、目を通しておいて」

 加奈ちゃんたちが昨日までの会議で決定した内容を元に、俺たちはこれから文化祭に向けての出し物を決める。

 一通りの資料を配布し終えた先生は窓際に椅子を置いて座り、委員長に議長の権利を委ねて日向ぼっこを始めた。

「じゃあ、うちのクラスの出し物を決めたいと思います。最初に配られた投票用紙に出し物を書いて、この箱に入れて提出してください。全員出し終わったら集計します」

 一気に教室がざわつく。

 そりゃそうだ。高校生活が始まって初めての文化祭。

 学校からはそれなりの予算が出るし、この地域にある他の高校と比べて規模が大きい。何ならこの文化祭を通じて芸能人になった人もいるくらいだ。

 もちろん俺もその前例に倣って放送部に来たクチではあるが、あくまで経験と割り切ってる俺からすると、出し物の用意は終わっているので正直見て回ろうかと思っているくらいだ。

 だからこそ、俺は「部の出し物に出演するからクラスの出し物には参加しない」スタンスを貫かねばならない。

「よ。どうする保? 何か希望あるか?」

 後ろの席の櫂が俺のところまで来る。

「いや、特に希望は無いし、やらない人間が意見を言うのもおこがましい」

「じゃあさ、あまり当日人を使わない出し物、書いておいてくれよ」

「うん? 櫂はこういうの積極的じゃなかったっけ?」

 櫂はどちらかというと世話焼きだし、むしろ率先して楽しむタイプだ。

「俺も、ちょっと前まではそう思ったんだけどさ」

 ああ、はいはい分かりましたよ。そういうことですね。

「加奈と、一緒に、文化祭回りたいじゃん」

「お、ちゃんと言うんだ」

「当たり前だろ? 今更。それにお前に濁してどうするんだよ」

 さすがに声を殺してはいるが、言葉の端々にまだ恥ずかしさを隠しきれていない。

「確かにそうだ。で、櫂が思う『人を使わないですむ出し物』って?」

「そうだな、何か展示物。迷路とかがいいな。お化け屋敷は脅かし役がいるし、客が自分で完結するタイプの物がいい」

 俺たちがこそこそ話をしている中、他のグループは「金が入るものがいい」とか「人をとにかく集めたい」などと聞こえてくる。集める目的はともかく、飲食を提供する場合でも校内で使えるのは学校の入り口で交換したチケットのみと説明があったはずだが、忘れている奴がいるようだ。

「そうだなぁ…… うちのクラスは文系が多いし、どっちにしても派手な出し物する奴は少ないと思うけど」

「そう思うなら、ぜひ『VR体験イベント』と書いてくれないか?」

 櫂と話している横から、突然クラスメイトの多部たべ列斗れつとくんが話しかけてきた。

「多部くん? なにそれ?」

「実は俺、パソコン部でVRゲームを作ってるんだけどさ。俺の作品がボツ食らってパソコン部としての作品として出せなくってさ。クラスの出し物として出せないかって、今ほかのクラスメイトに票をもらってるんだよ」

「VRって、機械どうするんだよ。高いんじゃあないのか?」

「櫂の言う通り、数万もする機材をいちクラスに購入してもらえないだろ?」

「そこまで体感させるつもりはないさ。なに、デバイスはパソコン部にある備品でなんとかなるし、当日も俺たちパソコン部の部員でなんとかなる。二人は表を入れてくれればいいさ」

「それ、のった!」

 多部くんの『当日手伝わなくていい』にすべてを委ねた櫂は、早速書いて提出していった。まあ、俺はどっちでもいいし、櫂のためになるなら、と書いて出した。

「助かるぜ! これで俺の『VRストレス社会』が世に出せる!」

 何やら不穏なタイトルを口走っていた多部くんは、他のクラスメイトにもお願いするべく離れていった。

「サッカー部は何もしなくていいのか?」

「ああ。先輩たちが外でたこ焼き屋やるから、当日チラシを配ればいいって」

「やることはあるわけな。それが終わり次第フリーってことだ」

「ああ。そして次の課題が出るわけだが」

 櫂が俺をじっと見てくる。このパターン、赤だな。

「当日、なるべく早く加奈と合流したいんだよ」

「それは自分で確認しろよ」


 ◆◆ ◆◆


 昼休み。

 いつも通り屋上に行く前に、直前の階段の踊り場で愛栖ちゃんに捕まった。

「やほやほ保」

 片手にいつもの小さな包み。もう片方は俺の袖を掴んでいる。文字通り掴まっているのだ。

 俺は学食で買ってきたパンを落としそうになりながら、その場から動かない愛栖ちゃんを不思議な目で見つめ返した。

「早く行こうよ、屋上」

「もう少し、待ってほしいのだ」

「理由をいいなさい。時間は有限なのだ」

 愛栖ちゃんは俺の袖から手を離すと、自分の弁当の包みを指さした。そしてその指を屋上に指しなおす。

「ははあ、今まさに加奈ちゃんの決死の行動が行われている、と」

 愛栖ちゃんはニマ、と笑う。

「愛しの加奈姫が、また一歩恋人の階段を登ろうとしているのを、何故私たちが遮ることができるだろうか」

「それは共感できる。かといって我々の優雅な昼のひと時を犠牲にするのはいかがなものかな? 愛栖姫」

「ああ、もっと言って…… じゃなくて」

 うん、俺の声もこういう時役に立つな。

「渡し終わるまででいいから。人知れず見守れればいいから、人の流れが無くなるまで待って」

 そう言う話をしている間にも、屋上へと向かう人の流れがあとを絶たない。

 つまり、人の流れが無くなって、こっそりと櫂たちの様子を確認できるようになるまで入らずに待ってほしい、ということだな。

 そう言い終わると、愛栖ちゃんはまた俺の袖を掴む。もう逃げないよ。

 五分もするとすっかり人混みは無くなり、俺たちは扉の近くまで近寄って外の様子を見る。

「うん、いつものところに居るけど…… 包みが二つ、見えるな」

 加奈ちゃんと櫂が並んで座っている。加奈ちゃんが座る、櫂のいない側に弁当と思われる包みが二つある。

「でも、珍しく話が弾んでるみたいだよな。櫂の口ばかり動いてるのが気になるけど」

「きっと文化祭の出し物の話じゃない? あ、保くんのところは何になりそう?」

「うちはパソコン部の連中が妙にやる気でさ。VRの体験イベントやるって」

「なにそれ面白そう。フォーマル仮面様のモデル作って声当ててよ。見に行くから」

「いや、なんか社会のストレスをバーチャル体験するゲームらしいぞ。満員電車で痴漢冤罪を免れるゲームとか」

 俺は出し物が決まった後、多部くんが発表したい内容を聞いていたが「そりゃパソコン部から弾かれるわ」と思った。高校生の時分からそんなこと体験したくない。

「それは思ってたのと違うなぁ。うちは脱出ゲームやるって。オカ研の希望が通ったみたい」

「へー、そっちは面白そう」

 そんな話をしていたら、ようやく加奈ちゃんが動いた。

「お、渡すか?」

 櫂がキョロキョロと周りを見回してる。恐らく来るのが遅い俺たちを探しているのだろう。その、自分を見ていないタイミングで加奈ちゃんが包みを一つ、さっと櫂の前に出す。

「よし、行くわよ」

「え、もう少し待たないのか?」

「逆! 今行かないと聞けないでしょう!」

 完全に謀ったタイミングじゃねーか……

 だけど、確かに興味はある。他の友人ならいざ知らず、あの二人のこのタイミングの会話は聞きたい。

「その、やっと一緒にお昼食べられるし、せっかくだし……」

「やーやー、お待たせ」

 愛栖ちゃんはそんな二人の会話に割って入るように正面に座る。

「おっす。あ、間に合ったか?」

「お、あ、ああ! 俺たちも今から食べる所だからな」

 返事ができないタイミングで現れたものだから、櫂は動揺しつつ俺たちに返答する。

 今日はいつもの長椅子が他の連中に使われてしまっていたので、向かい合っての場所で昼食だ。

(ありゃりゃ。姫ったら焦ってたのかな? 包みの柄が一緒じゃん)

(本当だ…… 触れるべきか、触れないべきか)

 一応気が付かない体を装って二人を見る。ほぼ同時に蓋が開く二人の弁当は、そりゃそうなるだろうと分かっていたものの、大きさは違えど全く同じ献立の料理を俺たちに公開した。

「加奈姫…… それはもう言い訳不可避だよ」

「え? え? 何が?」

 言われて何をやらかしたのか分からなかった加奈ちゃんだが、視線を落としたところで気が付いたのか、顔を上げられなくなってしまった。

「へえ、櫂に作ってきたんだ、……いいなあ」

 一応、棒読みではない。心からの気持ちを俺は呟いた。

 何度か加奈ちゃんの作ったお菓子や料理を食べたことはあるが、なかなかこれが厄介な敵で、単体ではなかなか飲み込むことが難しかった。見た目からして「これはまずい」と思わせるものもまれにあったほどだ。

 しかし、今目の前にあるおかずは、意外と「普通」だ。

 その実力を知っている櫂自身の表情も、俺と同じ気持ちなのだろう。まともなものが出ていることに驚いているようだ。

「どうしたの、櫂」

 ちらりと櫂の顔を盗み見した加奈ちゃんが、ふと櫂に声をかけた。

「いや、その、うまそう、って」

「だって、練習したからね! いつまでも料理が苦手なままの加奈ちゃんだと思わないこと。……いただきます!」

 そう言うと、加奈ちゃんは自分の弁当から卵焼きを取り出し、口に運ぶ。

「う!…… 塩、かなぁ」

 きちんと混ざっていなかったのか、加奈ちゃんの口の動きが止まり、お茶をこくこくと飲み干す。

「ごめん、やっぱちょっとミスしてるかも」

 それを見た櫂は、入っていた卵焼きをまとめて口に入れる。

「ちょ、ちょっと! ゆっくり食べて!」

 時々「ジャリ」と硬い音がする中、その動きを止めることなくかみ砕くと、一気にそれをお茶で流し込んだ。

「うまい!」

 ……こいつの、こういうところだよな。

「格好いいじゃん、櫂くん」

 愛栖ちゃんも、やっとご飯を食べ始めた。櫂の一挙手一投足に不安で仕方がなかったようだ。

「……次は、ちゃんと作ってくるから」

(次があるんだ)

(次もあるのか)

(次があるんだぁ)

 誰も言わない、けど交わす視線で思いは通じた。

 それが愛情なのか、諦めなのか、同情なのかは俺には分からなかったが。

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