第7話ローマのパン屋さん(2)

「お〜い、朝だぞ〜!いつまで寝てるんだ!」


 野太い男の声が冷めたい石造りの部屋に響いた。

 

 10畳ほどの大きさの冷たい部屋には3つのベッドが置かれてあり、小さな窓からはひんやりとする湿った朝のそよ風が吹き込んでいる。


 窓からは真っ直ぐな朝日が差し込み、昔の映画館の映写機のようにホコリを含んでチリチリと光っていた。


 最初にプルプラが目覚めた。

 いつもそうだが、目覚めの瞬間は意識が《交差》している。


 夢の中では明るく柔らかい空気の中を自分の羽で飛び回り、とても快適だ。


 それが朝になると嫌な匂いが鼻を突き、それから急にに暗くなって真っ暗なトンネルを抜ける。

 そして今度は不快な光がの目を刺激し、なぜか体中に痛みを感じて目を覚ます…


 それがマルバスタ(地球)の朝だった。


 地球にやって来て《夢》を初めて見たときはとても不思議な感じがして面白かったが、今は夢から覚めるのが嫌になり、朝はとても辛いものになっていた。


 プルプラは重い身体をなんとか立ち上がらせてベッドから離れ、隣のベッドに向かう。


「スピーツォイ、朝だよ!」


スピーツォイはまだ夢と現実の交差状態だった。


「今日から僕たち"働く"んだよ」


 プルプラはスピーツォイを揺すった。


「そうだったね…」


 まだ麻の布団を恋しそうにしながらスピーツォイがゴソゴソと支度を始めると後ろから声がする。


「おはようプルプラ、スピーツォイ」


 セーモはそう挨拶をしながら、頭頂部の髪の一部をゴムで結わえた。 緑色のセーモの髪が窓から差し込む朝日に照らされキラキラ発光している。


《眠る》ということに慣れていない3人のぺーツォ(下級天使)たちは、目覚めのエンジンがかかりにくい。


 眠気眼をこすりこすりダラダラと要領悪く身支度を進めた。


 すると木のドアの向こうからドスドスとけたたましい足跡が聞こえる。


 木のドアが勢いよく開いて大男が現れ、迫力のある笑顔を作って大声を張り上げた。


「やあ〜子どもたち!お目覚めかな!?」


 男は太く短い首にゴツゴツとしたジャガイモみたいな顔をのっけている。ペーツォたちの3倍はあろうかというほどガッチリした体型で足は短く、太い腕は長かった。


 男はパン屋の主人でデキムスという。


「さあ、今日からしっかりと働いてもらうよ!うちにはタダメシ食いはいらないからね!ローマじゅうの庶民たちがうちのパンを腹を減らして待っているんだ。さあ、急いだ急いだ!」


 デキムスの口調は元気いっぱいで愛想もよいが、まだ完全に目覚めきれていないペーツォたちにとっては少し騒がし過ぎる。


 ガサツなデキムスに少しイライラ

した。


 もう一度ベッドに潜り込みたいのが本音だが、デキムスの催促に抵抗もできず渋々と部屋を出る。


 建物は広く、ローマでは珍しい集合住宅(インスラ)ではなく、ドムス(平屋)だった。


 石造りの廊下を抜けるととてつもなく広い中庭になっている。

 かまどや樽、山積みになったズタ袋、大きな角材を組み合わせた、何に使うかよくわからない装置などが目に入る。


 とても埃っぽく粉塵が舞い、咳き込むほどに乾燥している。


 すでに5〜6人の筋骨たくましい若い男たちがノースリーブのチュニックから太くて汗ばんだ腕をのぞかせて働いている。 

 中には上半身裸の者もいた。


「みんな〜ちょっと集まってくれ!新しい仲間だ〜!」


 デキムスの号令で若い従業者数たちは一斉に手を止めてペーツォたちの方に向かってゾロゾロと歩き始めた。


 みんな身体は鍛えられて立派だが、どこか暗い表情で覇気がない…



 プルプラ、スピーツォイ、セーモの3人は自分に向かって迫りくる野性味あふれる男たちに恐怖を感じ体が硬直した。


「一昨日モーゼル川の河原で行き倒れているのを見つけて俺が面倒見ることにした。痩せっぽちだがなんかの役には立つだろう。プリニウス!仕事を教えてやれ!」


 プリニウスはこのパン工場の男たちの中では最も古く年齢も高かったが、それでも二十歳そこそこだった。


 整った顔立ちをしたブロンドの青年で、他の男たちと同様に薄汚れてゴツゴツした体つきをしている。



 デキムスが3人を頼んで去っていくと、先輩従業員たちはペーツォたちに近寄り円陣を作るように取り囲んだ。 


 短い沈黙の後にプリニウスが口を開いた。


「名前は?」

 

「プルプラ」

「スピーツォイ」

「セーモ」


 3人が順に答えた。

 プリニウスは少し難しそうな表情をして3人の名前を繰り返そうとする。


「プ、プ、プルプラ?ス、ス、スピーッ??」


 プリニウスはうまく発音できずに咳払いをしてごまかした。


「言いにくい名前だな、ゲルマン系か?まあいいや、お前はムラサキ、お前は金色、お前はミドリだ!」


 プリニウスが面倒くさそうにそう言うと、他の従業員たちはいっせいに笑い声を上げる。


 プリニウスはうまく発音できずに3人の髪の色であだなをつけてしまったのだ。


 ペーツォたちは根拠のない恥ずかしさに襲われ顔を真っ赤にした。


 プリニウスが続ける。

 

「まあいい、ちょっと変な奴らだけどデキムスさんが仲間だと言ってるんだから仲間だ。みんな優しくしてやれ!」

 

 プリニウスの一声にペーツォたちを囲んでいた男たちは「うぇーい!」と低い声で応えた。


 

───プルプラ、スピーツォイ、セーモたち3人のぺーツォはバジリカシステルノ(地下宮殿)でセンフィナによって古代ローマに転生させられた。


 ローマに転生した3人は天使の能力も使えず、飲まず食わずで3日間放浪した。

 そしてついにモーゼル川の河原で力尽き、途方に暮れているのをたまたま通りがかったデキムスに拾われたのである。


 そして2日間食事を与えられて今日に至る。


 これがペーツォたちのマルバスタ(地球)ブートキャンプの幕開けだった。


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