第10話『何故ここに……』

 試験終わりの土曜日、午後。俺たちは試験疲れを癒すために箱根に来た。有料特急を使わずに片道2時間半。登山鉄道からの紅葉景色を楽しみながら二人でまったりと電車に揺られている時間はとても幸せだった。

「やっと着いたね、箱根。」

「費用節約とはいえ、鈍行はさすがに疲れたな。」

俺たちは周辺をある程度散策したのち、温泉に入るというざっくりとした予定は立てていたが、それ以上はなにも決めてないし、行き当たりばったろこそが俺たちの旅行だ。

「やっぱり箱根に来たからには黒たまごは食べたいよね。」

「俺としては、美味しいアップルパイがあるらしいからそれも気になる。」

とまぁ、下調べもろくにしてこないので、移動だけでかなり時間がかかるのだが……


「んん、美味しい。ちょっと不思議な味だけど意外といける。」

 俺たちはロープウェイに乗って、黒たまごを食べるならここ!!とおすすめされた場所に来ていた。見た目は一瞬びっくりするくらい真っ黒なのだが、ひとたび殻を剥いてしまえば普通の卵とさほど変わらなかったので、案外すんなり食べられた。

「それにしても、大涌谷って思ったよりも迫力あるね。匂いも相まって火山って感じを身に染みて感じるよ。」

 彩乃は少し興奮気味に大涌谷の方を眺めていた。実際、ロープウェイに乗っている最中も熱気と匂いと谷の迫力に終始、圧倒されっぱなしだった。

「そろそろ温泉に行こうか。このまま箱根観光を楽しむのも魅力的だけど、そうすると温泉に行く時間が無くなっちゃう。」

 俺は彼女の手を取ると、彼女もにこやかに微笑んで強く握り返してきた。


 日帰り温泉宿と言っても最近のものは大衆浴場的なものではなく、普通の温泉宿と変わらないようなものが多々増えてきた気がする。そして今日訪れたところもまさにそんな場所であり、手ぶらでも簡単に温泉が楽しめるようになっていた。

「それじゃ、またあとでね。」

 彩乃と別れ、俺は男湯の暖簾をくぐる。土曜なので人がわんさか居るかと思っていたが、意外と少なく、ゆったりと温泉に入ることができそうだった。

 体を流し、清潔な状態にしてから浴槽へと足をつける。想像以上に湯が熱く、反射で足を引いてしまった。給水口から少し離れたところに行き、もう一度足をつけると今度はちょうどいい温度だったので、そのまま湯舟の奥の方まで進んだ。肩まで浸かると一気に温感が押し寄せてきて、思わずふぅと息を吐いた。温泉は場所によって効能が違うらしく、ここは冷え性に効くらしい。秋ともなると、夜は冷えるので、しっかり温まろう。

 温泉につかりながら、俺はあることについて考えていた。駅で見かけてしまったのだ、姉を。後姿だけだったが、間違いない。姉、美鈴もここにきている。さらにその上、気がかりな点を含んでいるのが厄介だ。隣に、茶髪の大学生くらいの男が付き添って歩いていた。姉は男の人と一緒に旅行に行くタイプではない。考えうる選択肢は1つ。付き添っている男は彼氏だろう。そしてその相手は……


「いやぁ、いい湯だったね。」

 風呂上がりの彩乃は蒸気で包まれており、吐く息も湿っぽい。温泉の効能のおかげか、肌は太陽の光をきらきらとはんしゃさせており、より艶めかしさを演出していた。

「そうだね。来て正解だったよ。こっちに牛乳とアイスのサービスがあるけど、彩乃は何にする?」

「私はコーヒー牛乳かな。アイスも後で食べるけど、さすがに喉乾いちゃった。」

 コーヒー牛乳を手渡すと彼女は慣れた手つきでビンの蓋を開け、ごくごくと飲み干した。大変よい飲みっぷりだこと。

 俺も彩乃と同じく、コーヒー牛乳を手に取る。前回温泉に2人で来た時にはフルーツ牛乳を飲んだので、今回はこっちにしよう。


 その後休憩室で軽く休んだりアミューズメントで遊んだりした俺たちは、帰ろうと温泉宿を出ようとしたその時だった。さっきまで燦燦と輝いていた太陽はその影も見せず、どんよりとした雲が空を埋め尽くし、今にも大雨が降りそうだった。

「これ、早めに駅に向かった方がいいよね。」

「あぁ、そうみたいだな。」

 しかし、時すでに遅し。俺たちが駅に着いた頃には既に登山鉄道は運休を発表しており、帰る方法が完全に寸断されてしまっていた。

「さて、どうすっかなぁ。宿借りるにも俺たち未成年だし。」

「お困りのようだね。悠。帰れないのなら、私が泊っている宿、空き部屋抑えてもいいよ。」


 途方に暮れた俺たちの前に現れたのは、自信満々に立つ姉の姿だった。

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