第8話『幼なじみの兄』

 あの日から数日が経ち、ようやく頭の中が整理されてきて、現状を受け入れられるようになってきた頃。

『私はスペアでいいから。』

 姉の言葉が頭の中を混乱させる。二人の女性を同時に自分の彼女にするということ、世間的に言い換えれば浮気することを姉は提案してきたのだ。

 確かに俺は美鈴のことが好きだ。その気持ちは見て見ぬふりが出来ないほどに、自分の中で大きくなっていた。なんでも出来て、その上美人な女性を自分のものにしたいという感情は至って自然なものだろう。

――ただし、それは血縁関係がないものに限る。

 それと同時に、俺は彩乃のことも好きだ。幼少の頃から自分のことを気にかけてくれた彼女を、俺は裏切るわけにはいかない。しかも一度、俺は彼女のことを裏切ってしまったことがある。もう彼女に悲しい思いはさせたくない。

 だからこそ、姉の提案を受け入れるわけにはいかないのだ。


「悠、おはよ。」

 この数日間、意外にも姉の行動はいつもと変わらなかった。朝食は起きたら既に出来上がっており、洗濯機も回っている。特に姉から何か特別なアプローチがされるわけでもなく、極々平和な日常を送っていた。

「じゃ、悠。先に行くね。」

「行ってらっしゃい。」

 朝食を食べつつ姉を見送り、その後俺も支度を始めた。

 制服に腕を通すと、自然と背筋が伸びる。今日も一日、気合いを入れていくぞと意気込み、ドアを開けると、

「おはよう!悠くん!」

 という彩乃の元気な声が聞こえてきた。いつもと変わらない彼女のおかげで、少し俺も気を紛らわせることが出来ていると思っている。彼女は毎度、俺が窮地の時は一緒にいてくれるのだ。

「おはよ、彩乃。」

「悠くん最近元気ない?大丈夫?」

 彩乃も姉も変わらない平穏な日常に唯一変わった点があるとするのならば、それは俺自身だろう。姉からの告白以降、一切二人の目を見て話すことが出来ていないのだ。

 変に意識してはいけないのは分かっている。俺の彼女は彩乃ただ一人。そこには「代わり」や「スペア」という概念が入り込む余地がないほど、密接なものだ。

 分かってるのに、それなのに姉のあの言葉が離れない。

 好きだから簡単に誰とでも付き合っていいわけが無い。浮気は浮気、姉は姉。良くないことは良くないとハッキリ自分で言わなければ。

――しかし今、少しでも姉に迫られたら俺はなんと答えるのだろうか。

 そんなことを考えていてもキリがないので、とりあえず何も考えずに学校に行くことにした。

「私で良ければ、話聞くからね。悠くんの彼女なんだから。」

 こんなこと、話せるわけないだろ……


 放課後、彩乃は生徒会活動があると言っていたので一人で帰宅していた。

「おかえり、悠。」

 いつもはこの時間、大学にいるはずの姉が今日は俺より先に帰宅していた。

「あれ、姉さん大学は?」

「そろそろ締切の仕事が終わらなさそうで。また締切ギリギリになって悠に迷惑かけたくないから、早めに原稿上げることにするよ。」

「締切って言っても、あと2ヶ月強あるよ……?姉さんなら『1ヶ月あれば書ける書ける~』とか言ってる頃だけど。」

「早く終わればその分、悠と一緒にいられるでしょ。」

 姉は幸せそうに微笑んだ。まさに、小悪魔の笑みそのものだった。

 俺と一緒にいるため。ただそれだけのために姉は自分の時間を削ってくれている。その健気さに、また惚れ直しそうになった。

「そういえば、悠に久々に会いたいって言っている人がいたわよ。悠は覚えているか分からないけど。」

「誰?」

「栗原隼人さん。彩乃ちゃんのお兄さん。」

 栗原隼人。正直、彩乃の兄ということしか覚えていない。隼人さんが小学生の時に、彼らの家の都合で地方の親戚に預けられたということは知っているが、それ以上の関わりはなかった。いつの間にか帰ってきているとは。

「わかった。」

「予定が決まったらまた連絡するね。じゃあ私は、仕事に戻るから。」

 そう言い残すと、姉は自室に籠ってしまった。

 とりあえず俺は、夕食の支度をする。それにしてもなぜ、姉は隼人さんとそんな簡単に連絡が取れるのだろうか。何か嫌な予感が、頭の中に浮かんでいた――

 ◇

 「隼人さん、帰ってきてたんだね。知らなかったよ。」

 このことを彩乃に話すと、彼女は意外そうな顔をしていた。それでも、久しぶりに兄に会えて嬉しいこと、兄と会った日に色々なところに出掛けたことなどを、とても嬉しそうに話していた。

「そういえばお兄ちゃん、久々に悠くんとも会いたいなぁ、って言ってたよ。今度せっかくだしうちにおいでよ。美鈴さんとかも連れてさ、みんなで昔みたいに夜ご飯食べよ。」

「そうだな、今度行くわ。」

 どうやら、姉が言っていたことは本当らしい。しかしなぜ、そこまでして隼人さんは俺に会いたいのだろうか。別に昔から特別仲が良かったという訳でもないのに。

 結局、その日の話題は専ら彩乃と隼人さんの事で持ち切りだった。


 試験1週間に差し掛かる最後の日曜日、来週からは試験勉強に精を出すと言い訳をし、俺は横山と池袋までラノベ漁りをしに来ていた。

「これ、なかなか続編出ないんだけど、早く続き読みてぇよ。」

「その作家さん、連載5本くらい持ってるししばらく出ない気がするんだよな。」

 とまぁ、いつも通りラノベの雑談をしつついくつかの書店を転々とする。そのままの足でラーメン屋に行ったり、バッティングセンターに足を運んだりなど、それなりに有意義な休日を過ごしていた。

 

 適当な場所で休憩でもしようかと話をしていた時、前から歩いてきた高身長の青年に声をかけられた。

「あれ、もしかして悠くん?美鈴さんの弟の。」

「すみません、どちら様ですか……?」

 俺はその青年に見覚えがなかった。歳は俺より二歳くらい上だろうか。姉の名前を知っているところをみると、どうやら大学の同級生と推測できるが……

「そっかぁ、覚えてないか。僕だよ、栗原隼人。栗原彩乃の兄だ。久しぶりだね、悠くん。」

 その日、俺は幼馴染の兄と奇跡的な再会を果たした。

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