第39話

 するり。

 音も立てずにあの東洋人のペットの彼は背中に何をかついでベランダに降り立った。


「誰っ」


 ミュゼットは身構えた。

 私はそれを押さえると。


「協力してくれた、例のひとよ」


 昼間話しておいたのは良かった。

 ああ、とミュゼットはそれで何とか納得してくれた。


「これから本当にお暇させていただきますので、そのご報告に」

「報告って」


 彼は形の良い唇の端をきゅっと上げた。


「もうじきですね」


 もうじき?

 私達は置き時計に目をやる。

 日付の変わる時刻。

 え。

 ゆら、と何か足元が揺れる感覚があった。

 低い音。

 地響き。

 そして――

 どんどんどん、と扉を叩く音がする。


「お嬢様! 大変です! 男爵家の方で爆発が!」


 メイドの声が大きく響く。


「ば、ばくはつ?」

「今、様子を見に行くとのことですので、お嬢様はそのままお待ちに、と旦那様が」


 眠り猫の様に目が細くなる。


「貴方なの」

「ええ」

「貴方は――本当に、ペットとしてやってきたの?」

「ペット『も』してましたよ」


 そして彼は背負った袋の中から巻いた書類を出し、私に手渡す。


「我々は、名を騙るものは許さないんですよ」


 はっ、と私はその時、昼間ふと思いついて、それでももやもやしていたことを思い出した。


「一族は――チャイナに根付きもしたのね」

「はい。そしてペット販売ルートと並行して、こういう仕事もしているという訳です。と言っても今回は仕事というよりは、一族の報復ですが」

「報復」

「我々は、とても酔狂であちこちに根付き、そしてその場を楽しんで行く一族。あの様なゲルマンの男に詐称されることなど許されないんですよ」

「それでわざわざ」


 優雅な手つきで彼はその種類を指す。


「細かな事情はそれに書いてあります。我々が我々だという証明も。まあ、夫人がペットを夫君に頼まなければ良かったのですがね」

「お母様は」

「ご安心を。安らかで甘い眠りの中で」


 甘い香り。


「そう。――ありがとう」


 ミュゼットはやや固い声で答えた。


「いいえ。こちらも報酬はしっかりいただいておりますので」

「報酬?」


 彼は背後の袋を軽く叩いた。

 ほんの少し、中身が動いた――気がした。


「待ってそれは」

「この子にはあの男の血は混じっておりませんよ」

「え」

「そして先ほど、弟という気はしないとどちらもおっしゃった。この子は見栄えが良いですね。そしてちゃんと育てればいい資質を持ってるでしょう。まあ、少なくとも乳母さえ気に入らなかったから追い出す母親の元では碌な子供には育ちませんからね。貴女方は本当に運が良かった」


 では、と彼はそのままベランダをするりと下りていった。

 しばらくの間、私もミュゼットもその場から動けなかった。

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