四号室の住人、桜橋 華都(もうすぐ高校一年生)
今日は、
しかし――三年四組の『
だがそれは嘘であり、正しい理由は『引っ越し』である。
単身者用のアパートで、春から独り暮らしを始めるのだ。
高校の一般入試の合格発表は明後日だが、自己採点では合格したと踏んでいる。
所在なく初春の空を眺めていると、引っ越し業者がコンテナを運び出して来た。
勉強机と椅子、カラーボックス、着替えと書籍類を詰めた段ボールが五箱。
それらは、大小二つのコンテナに収まった。
業者は、それらを台車で軽トラに乗せ、固定する。
祖母が傍らで、心配そうに作業を見ている。
幼稚園卒業までは、両親・祖父母と暮らした家だ。
直近の一年間を過ごした家だ。
「じゃあ、先に出発しますよ」
引っ越し業者は帽子を脱いで頭を下げ、軽トラに乗り込む。
「お願いします」
祖母は深々と頭を下げ、立ち去る軽トラを見送る。
そして言った。
「ごめんね……
「いいんだよ。独りの方が気楽だ」
ぶっきらぼうに言い返し、身支度を整えるために家に戻る。
独り暮らしを始める理由は、叔父家族と暮らすのが嫌だから。
祖母はともかく、叔父とその妻と従兄弟と離れたかった。
一学年下の従兄弟は、自分より偏差値が低い。
偏差値高めの高校合格が確実な自分を妬んでいる。
叔母の目も冷ややかだし、五人が暮らすには快適とは言い難い広さの家だ。
ゆえに高校受験後、学生向け物件をスマホで探した。
すると――検索画面トップに表示された『入居者募集』の広告が目に入った。
――1LDK。敷金・礼金無し。
――光熱費込みで家賃二万円。
――ただし、学生に限る。
――間取り図を見ると、バス・トイレ別。リビングは洋室で寝室は和室だ。
冗談のような安価な価格設定に、最初は目を疑った。
二万五千円ぐらいの単身者用の物件は見かけるが、光熱費込みで二万円は破格だ。
ただ……アパートの名前が、少し気になった。
その名は『
古事記に記された、この世とあの世の境目にある『
名付けたのは古典マニアかと思いつつも、すぐにメールを送った。
すると――待ってましたとばかりに、五分後に返信が来た。
自動返信メールではなく、大家を名乗る人物からだった。
大家の名は『方丈
―― 新築のアパートです。
――夜は静かで、陽当たり良好。
――未成年者も、入居可。
――引っ越し業者の手配も承ります。
添付写真を見た限りでは、良さそうな物件だ。
外観も悪くない。
なぜか、大家を名乗る女性の写真も添付されていた。
赤いワンピースを着た茶髪ロン毛の若い女性が、二匹の猫を膝に乗せている。
写真屋で撮ったのだろうか?
即決したいところだが、独り暮らしをするには、離れて暮らす父の同意が要る。
大家に数日待って欲しいと返信すると、すぐに了承メールが届いた。
夜には父に電話で相談し、二日後には許可が下りた。
従兄弟の受験勉強の邪魔をしたくないと伝えると、父も強く反対できなかった。
家が手狭なことは、父も理解していた。
かくして、引っ越し業者の都合により、中学校卒業式当日が引っ越し日となった。
友人も居ないから、卒業式欠席に未練も無い――。
そして軽トラが出立してから、十五分後。
リュックの中身は、スマホ・財布・預金通帳など。
忘れ物はない筈だ。
だが漕ぎ出した時――クラスメイトの姿が目に入り、思わずブレーキを掛ける。
甲高い音が鳴り、相手も立ち止まった。
しかし、すぐに駆け寄って来る。
ベージュ色のコート姿の『
コートの裾から、黒いプリーツスカートとレギンスが見える。
卒業式後に帰宅し、着替えて来たらしい。
長いストレートヘアが風に舞い、桜色の唇がほんのりと笑みを作る。
「良かった。寝込んでるのかと心配しちゃった」
「野田先生に頼まれて、卒業証書を届けに来たんだよ」
「……そうか」
実は、幼稚園に一緒に通った仲だ。
紺色の制服を着た、自分と彼女の写真が残っている。
「出掛けるの? これ、どうしよう?」
濃紺の布表紙には、金文字で『卒業証書』と記されている。
「……お前、推薦で合格したんだよな」
幼なじみ故か――彼女は何かと絡んで来る。
声を掛けられたら答えはしたが、再会後に自分から話しかけたのは初めてかも知れない。
「うん。桜橋くんも『
しかし――
「俺は、独り暮らしを始める。神楽塚町のアパートを借りた」
「えーっ!?」
冷たい風が顔を打ち、たちまち
(……どうせ、事前登校で会えるだろ)
けれど――幼なじみの顔が、頭から離れない。
驚き三割、失望が七割の顔だった。
さすがに、罪のないスズメに石を投げたような罪悪感に、心は微動する。
けれど、今は運転中だ。
後悔は、寝る前にすればいい。
車道の端に残る雪に注意しつつ、自転車を漕ぐことに集中した。
アパートへの道順は記憶している。
直進し、メガネ店前で右折し、橋を渡り、教会脇の道を直進、商業施設前を通る。
そして、柴犬のイラストの巨大看板が目に入った。
その前を過ぎた、すぐ先の空き地の横。
そこに、『
空き地手前で自転車を止め、しげしげと見上げる。
平らな青い屋根、白い壁、外階段――レトロ風な外観だが、嫌いではない。
二階玄関ドア横の窓も大きい。
大家のメールでは『四号室』が空いているそうだ。
自転車から降り、『四号室』は何処かと階段下から見上げていると、後ろから声が掛かった。
「こんにちは~、桜橋くん」
「はいっ?」
急に呼ばれ、驚いて裏声で返事をしてしまった。
振り返ると、黄色地に怪獣模様の
写真で見た、大家を名乗る女性だ。
どこに隠れていたのだろう?
隠れられそうなのは、電柱の陰しかないが。
「さっき、引っ越し屋さんが荷物を置いて行ったわよ。サインしといたから」
「あ、はい、どうも」
大家は、袖を羽ばたくようにヒラヒラ揺らした。
初っ端から、相手のペースに巻き込まれている。
小学生扱いされている感じがして、シュッと背を伸ばした。
「初めまして……桜橋
「もう~。堅苦しい顔して、イケてる
女性――『方丈
「ホレホレ、もっと
「あの、ひょっと、離ひて下さい!」
半ば呆れつつも顔を振ると――
彼女は人懐っこく笑っているが――まるで、先ほどの『
――いや、気のせいだ。
――偶然に違いない。
「引っ越しの件では、お世話をお掛けしました。ここが『
「残念! ちょっと違う」
「はい?」
意外な返事に、
「ここは『よみ・ひら・そう』。最初の住人がそう呼んだから、そう決めた。そっちの方が語感が良いでしょ? ようこそ、『
「ありがとうこざいます……」
奇妙に順調な滑り出しに驚きつつ、
これからの、波乱の日々など知る由も無く。
―― 次章に続く。
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