二号室の住人、古河 京(定時制高校三年生)

 その年の秋深い日の早朝――。

 風は冷たさを増し、道端のタンポポの茎も倒れている。

 繋がった二匹のトンボが、命を繋ぐために宙を飛ぶ。

 

 彼はそれらを眺めつつ――街の中心部にある『占いの館』を訪れた。

 古いビルの二階フロアにあり、四人の占い師が常駐している。

 

 入口のドアは黒塗りで、馬の頭を模った金色のドアノッカーが付いていた。

 ドアの横には、黒地に白い装飾文字で『占いの館』と記されたプレートが吊り下がっている。


 彼はドアノッカーの蹄鉄型の取っ手を掴み、軽く四度叩いた。

 反応があったのは十秒後。

 軋んだ音と共にドアが内側に押し開き、六十代と思しき白髪の男性が顔を見せた。


「……君が面接希望者かな?」

「はい。お電話を差し上げました『古河 きょう』」と申します」


 白髪の男性は、青年を見上げた。

 長身で、くっきりした目鼻立ちだ。

 ストレートの黒髪の先端は、肩に触れる長さである。

 ダークグレーのスーツが、肌の白さを引き立てている。

 『星5つ!』と白髪の男性――『占いの館』のオーナーは、採用を即決した。

 これほどの見栄え麗しき青年を『回れ右』させるのは悪手以外の何物でもない。


「まあ、とにかく入って。話は、宇野さんから聞いてるよ」

「はい。失礼いたします」


 青年は礼儀正しく会釈し、サロンの片隅のアンティーク風のソファーに座った。

 長い脚を窮屈そうに曲げているのを見たオーナーは、(脚の高い椅子がいるな)と馴染みの家具屋の主人を思い浮かべる。

 

 だが、そんなものは些細な投資だ。

 渋谷を歩けば、後ろに芸能スカウトが数珠つなぎになりそうな逸材である。

 デビューさせれば、女性客の行列は必至だ。

 それに、現在の館の占い師六人は女性ばかり。

 当店の目玉になるだろう。



「あの……履歴書があります」

 青年は、バッグから封筒を取り出した。

 オーナーは受け取り、封筒の中身を取り出して読む。

 履歴書の氏名・生年月日・学歴爛が丁寧な文字で記されている。


(古河 京、二十歳……第一東高等学校定時制三年生、か)

 オーナーは、履歴書をしげしげと眺める。

 桜南高校二年生の時の九月に中退し、翌年の四月に現在の高校の定時制に入学したと記載されている。

 家庭の事情で、中退したのだろうか?

 荒れた生活をしていたようには見えず、かと言ってイジメられるタイプとも違う。

 多くの人間の悩みに向き合ったオーナーは、人を見る目には自信があった。

 だが、青年のようなタイプは初めてだ。



「あ~、立ち入ったことを聞くが、三月に卒業できるのは確かなんだね?」

 オーナーは探りを入れる。

 面接で、家族構成を訊ねることは違法だ。

 だが、家庭環境は知りたい。

 ここの看板占い師だった『宇野 沙々子』の紹介とは云え、話が美味すぎて警戒してしまう。


「はい。成績も問題ないと思います。両親には、せめて高校は出てくれと言われていますし」

 

 青年は、スラスラと答えた。

 オーナーは、亀が首を振るように頷く。

 青年の――不思議な透明感に気圧されてしまう。

 生身の臭いと云うか、『体重』を感じさせない。

 まるで、一枚の白い羽根がそこにあるかのよう。

 ともかく、直ぐに働きたいと言うのなら願ったりだ。


「分かった。高校を卒業したら、社員として採用しよう。それまでは……アルバイトとして働いて貰いたいのだが、どうだろう?」

「お願いします。ありがたいお話です」


 青年は頭を下げた。

 金に困っている身なりではないが、引き受けてくれたのは有難い。

 まずは、占い師に必要なノウハウを教え込みたい。

 占いの方法や、話術など。

 勘の良さがあるに越したことはないが、結局はハッタリがモノを言う。

 

 だが、この青年の場合は、この佇まいだけで充分だろう。

 向き合う者の溜息を誘う独特のオーラがある。



「良かった。こちらこそ、よろしく頼むよ」

 オーナーは手を差し出し、青年は快く握手に応じてくれた。

 青年のデビューに胸躍らせつつ、すべきことを考える。


「君の芸名も決めないとな。占いの時の衣装とか」

「宇野さんは、飛鳥時代の女性の衣装でしたよね?」


「ああ、君も時代衣装が良いのかな?」

「……平安時代風の狩衣を着たいです。好きなんです」


「ふむ、それも良いかも知れん」

「厚かましい話ですが、芸名も考えています。宇野さんに占って貰ったんですが」


「ほう?」

「『みずはづき こうが』です。『水』に旧暦八月の『葉月』。それに『べに』の大河の『河』です」


「よし、そうしよう」

 オーナーは頭の中で文字を組み立てた。

 水葉月みずはづき 紅河こうが――。

 平安衣装を着た美青年は、話題になる。

 控え目でいながら、自己プロデュース能力もある。

 これは、とんでもない逸材かも知れん、とオーナーの目が輝いた。




 その五分後――。

 青年――古河 京は、『占いの館』のあるビルから出て来た。

 近くのショッピングモールの開店時間が近く、人通りも増えている。

 彼は立ち止まり、スマホを取り出し、電話を掛ける。


「……方丈先輩? はい……採用されました。卒業するまでは、アルバイトとして通います。では……宇野さんのお宅に挨拶に伺いますので」



 彼は電話を切った。

 歩き出し、空を見上げた。

 もうすぐ、冬が来る。

 春が待ち遠しい。

 春になれば、『黄泉比良荘』に住める。

 その世界では、亡き友人も生きている。

 彼に会いたい。

 伝えられなかった言葉を……捧げよう。

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