黄泉比良荘の凛々子

mamalica

序章 黄泉比良荘の人々

一号室の住人、信夫 麻利絵(高校教師採用試験に合格)

 時は三月中旬。

 北海道の、とある街。 

 

 桜南さくらみなみ高等学校の新任教師の『信夫しのぶ麻利絵まりえ』は、紹介されたアパート前に降り立った。

 真昼でも未だ風は冷たく、泥混じりの残雪があちこちに積み上がっている。

 

 ここは、市の中心部からタクシーで二十分弱の場所。

 周囲に、バス停は見当たらない。

 タクシー運転手いわく、停留所は少し先の商業施設の前に在るとのこと。

 その商業施設も、改築のために半年後には閉店するらしい。

 

 反対側の歩道には一軒家が立ち並び、奥には半壊した木造家屋もある。

 巷で問題となっている、放置された空き家であろう。

 手前には、洋式便器が二十個ほど遺棄されている。

 放置家屋の主の置き土産だろうか。

 

 

 ダウンコートにムートンブーツ、ニット帽を被った麻利絵は、曇ったメガネをハンカチで拭き拭きし、ここに至った経緯を思い出す。

 

 

 一週間前――ようやく教員採用通知が舞い込んだのである。

 大学在籍中に受けた教員採用試験は、不合格の雨あられ。

 三月に突入し、「もはやこれまで、切腹ッ!」と諦め、塾講師のバイト探しに挑む中、遅ればせながら桜が咲いた。

 かくして急遽、札幌から引っ越しと相成ったのだ。


 

 しかし、今は引っ越し業者は超繁忙期。

 首尾よく物件が見つかっても、断られるのがオチだ。

 最悪、ウィークリーマンションを視野に入れねば、と覚悟を決めた。

 その矢先に、姉から助け船が来た。

「うちの旦那さんの知り合いが新築アパートの大家なんだけど、そこはどう?」

 

 

 奇遇と云うか、麻利絵の勤務先となる高校は、姉の元職場である。

 姉は結婚を機に退職し、今は札幌郊外で茶道教室を開く旦那様と暮らしている。

 あのそそっかしい姉が、よくイケメン茶道師範を捕まえたと思うが、彼は姉よりも一回り年上だ。

 『子供っぽくて放っておけない』所が、魅力的に映ったのかも知れない。



「はぁ~、あたしもイケメン捕まえた~い」

 麻利絵は呟きつつ、アパートの全容を見た。

 

 雪が残る空き地の端に、二階建てのアパートが建っている。

 塀などの囲いは無い。

 国道に向かって横を向いており、一階と二階の窓が見える。


 進み出て、アパートを正面から見た。

 横長の建物で、一階右側に玄関と窓。

 その左横に車二台が収まる駐車スペース。

 

 左隅に外階段があり、二階部分にグレーのドアが四つ並んでいる。

 ドアの横には、ドアと同じ高さのベランダの窓。

 新築アパートだそうだが、そこはかとなく昭和の香りが漂う。

 

 塀も無い、広い空き地にポツン建つアパートだ。

 防犯設備は大丈夫なのかと、ちょっと不安にはなる。

 白壁の塗装も汚れが無い。

 だが周囲の風景の侘しさ故か、古めかしく見えてしまう。

 姉の旦那さんが撮った室内写真と、家賃二万五千円と云う安さに惹かれて即決したのだが……。


 見上げていると――外階段の手摺りの二階部分の金属製のプレートに気付いた。

 縦長のプレートには『黄泉比良荘』と記されている。


「よみ・ひら・そう……」

 麻利絵は、声に出して読んだ。

 変わった名前だ、と思う。

 

 国語教師としては、『黄泉比良坂』は知っている。

 古事記に登場する、現世とあの世の境界の場所だ。

 漫画に出そうな名前で、アパートに名すに相応しいとは思えない。

 姉の旦那さんは、かなりの変人と付き合いがあるようだ。


 しかし、今さら断ることも出来ない。

 敷金・礼金はゼロだし、ネット通販で注文した『新生活セット・Aタイプ』が届くのは明日だ。

 冷蔵庫・洗濯機・炊飯器・テレビ台とテレビ・掃除機・電子レンジ・トースター。

 キャンセルは不可能だ。


 それに、実家から送ったセミダブルベッドも明後日には届く。

 大学時代の姉が使っていたもので、けっこうお値段が張ったらしい。

 数年間放置されていたが、特に劣化が無いので使うことにした。

 



「さ~て、コンニチワしましょうか」

 気を取り直し、覚悟を決める。

 一階玄関ドア横のブザーに指を伸ばす。

 一階が大家の住まいだと聞いている。

 今日は挨拶をして、駅前のビジホに一泊するのだ。


 すると……足元で「ニャア」と猫が鳴いた。

 いつ近付いたのか、二匹の猫がこちらを見上げている。

 三毛猫と黒猫で、体はそんなに大きくない。

 三毛猫はピンクの首輪、黒猫は黄色い首輪をしている。

 

「……キミたち、何なん?」

 麻利絵が身を屈めて訊ねると――玄関の引き戸が開いた。

 

 ドアの向こうから姿を現したのは――自分と同年代と思しき女性である。

 身長は自分(160㎝)より高い。

 腰まで届く波打つ髪は明るいブラウン。

 膝丈の赤いニットワンピースに黒ソックス、黄色地に怪獣柄のモコモコ半纏はんてんを着ている。

 女性は、麻利絵を見て――小首を傾げた。


「あ~、ひょっとして……信夫しのぶさん?」

「はいっ、初めまして……こんにちはっ」

 相手の華やかな雰囲気に少し気圧され、麻利絵は深くお辞儀しようとした……が、その両手は空中に浮いた。

 

「待ってましたー! ささ、入って入って! 『つぼみ屋』のモナカは食べれる? 一緒に食べよう!」


 女性は、握った麻利絵の両手をブンブン上下に振る。

 人と話すのが嬉しくて堪らない、と云うように。



「あ、あの……大家さんですよね?」

 麻利絵は、多少ドン引きしながら訊く。

 すると――引き戸の横の木の古びた表札が目に入る。

 そこには『方丈 幾弥』と記され、その横には真新しい家族表札が掛かっていた。 

 こちらも木製で『凛々子りりこ』『レオ』『ミゾレ』の字が並ぶ。


「……凛々子…さん?」

 麻利絵は呟いた。

 すると、女性はニンマリと微笑んだ。


「そう、私が管理人で大家の方丈 凛々子。黒猫がレオで、三毛がミゾレ。ようこそ『黄泉比良よもつひら荘』へ。あなたが入居者第一号。一号室に住んでね」

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