『リース救出』

「帰ったの? 思ったより遅かったわね。……それでその、リースって人は?」


「王女に攫われて、捕らえられたらしい」


「え……。わ、私、リビングの掃除しておくわね」


 自室に帰るや否や、俺に話しかけて来たのぞみも絶句する。気を遣うように俺の前から去る。それは多分、俺が物凄くイライラしているからだ。のぞみは人の怒りを極度に怖がっている。


 俺はなぜ怒っているのか?


 リースが大事だから? それともリモーナの理不尽な行動に?

 怒りの根源は理解できないまでも、確かにぐつぐつと腸が煮えくり返っていた。


  転移能力は、無敵の能力だ。


 俺自身なら生きてさえいればいつでも行ったことがある場所ならただ思い浮かべるだけで無制限に転移できるし、どんな攻撃も転移ゲートの盾さえあれば防げるどころかカウンターできる。そしてどんな強者も体内に硬貨や毒を転移させれば簡単に無力化できてしまう。


 だが、今、この状況において転移能力は無力だった。


 リモーナに攫われたリースがどこにいるか解らない。仮にリースが本当に公開処刑されると言うのなら、俺は多分ギロチンが首に落ちるその瞬間で転移を駆使して助けることが出来る。

 だけど、どこにいるかさっぱり解らないリースを助けるのは不可能だ。


「本当にそうか?」


 ふと、思い至る。本当にリースの居場所が解らないのだろうか? と。

 俺の精神に繋がる『聖霊契約書』の鎖。目には見えないけど確かにいつでも感じ取ることが出来る、俺とリースを繋ぐ絆の鎖。

 その先には確かにリースの存在があって、その鎖の存在がリースの生存を俺の本能に確信させる。


 不思議な感覚だ。見えないのに、あるはずがないのに存在を感じる鎖。


 今まで深く考えて来なかったけど、リースに命令する時確かにこの鎖が作用していた。鎖が揺れる。


『ソラ、様……』


 リースの声が鎖を通して聞こえた気がした。

 リースの存在を感じる。リースの居場所が解る。座標でも具体的な光景でもなく、ただその鎖の繋がる先が――世界を超えても尚切れない鎖の絆がリースの居場所を導いてくれる。


 出来るかどうかは解らない。


「いや、やるんだ」


 もう二度と奪われない。奪わせない。

 俺は召喚され『転移』を手に入れた。俺は力を得た。かつて何も力を持たなかった頃、呼吸するよりも容易く尊厳やものを奪われ平気で壊されてきた日常とは別れを告げたのだ。


 俺は鎖の先を思い浮かべる。そして転移した。




                   ◇



 籠った誇りの匂い、血なまぐさい匂い、鉄の匂い、錆の匂い、排泄物の匂い。

 この世界のありとあらゆる悪臭をドロドロに溶かし凝縮したような悪臭の籠る、暗い部屋に俺は居た。


 薄汚い地下牢のような所で、ヂュッ、と鳴き声を上げながら薄汚いネズミが床を這っている。これ以上ないってくらいに劣悪な環境だった。


「ソラ、しゃま……。そこにいるのはソラしゃま、なのでしゅか?」


 ジャラランッ、と重苦しい鎖の音が響いた。狭い部屋にリースのか細く弱り切った声が木霊する。そろそろ暗さにも慣れ始めて、ぼんやりとした人影を見つける。


「リース、俺だ。大丈夫か? 昨日はほったらかしにして悪かったな。とりあえず、帰ろうか。我が家に」


「だ、だめでしゅッ! ……私はどのみちもうすぐ死にます。それに暗い部屋なら兎も角、明るいところで、今の私をソラ様に見られたくありましぇんッ!」


 先ほどから気になる活舌の悪さ、恐らく歯を抜かれたのだろう。

 麻酔があっても泣きそうになるほど痛い抜歯。麻酔なしでされるそれは相当な苦痛を伴うと聞く。俺ですらされたことがない鬼畜の所業。

 リモーナにも後で同じ目に遭わせようと決意しながらも、


「大丈夫。傷だらけになって苦しんでいる人を醜いだなんて思わないよ。それに、どんな酷い怪我だって帰れば治してもらえるんだ」


「……ソラ様の世界のお医者様はそんなにもしゅごいのでしゅか?」


「ちょっと違うけどね」


 俺は鎖に繋がれているリースを連れ帰るためにその頬に手を振れる。


「あぎゅっ、キャァッ!」


 リースから悲痛な悲鳴が漏れた。すべすべしていたはずのリースの頬はねっちゃりとした感触をしている。何をされたのか想像がついた。

 リモーナ……お前、本当にただじゃ済まさないぞ。


 リモーナに対する怒りをどうにか堪え、慎重に自室の光景を思い浮かべる。


 慎重に、冷静に自室を思い浮かべてから転移した。




                 ◇



 自室に転移すると、唐突に拘束から解かれたリースがばたりとうつぶせに床に転がる。リースが倒れたその場所には血溜まりが滲み、リースは服を剥がれ全裸だった。

 綺麗だった長い銀髪があり得ないほどに短く刈り取られている。


「のぞみッ! のぞみッ!!!」


 俺はのぞみを呼びながらリースを仰向けにする。仰向けにしたリースは俺の想像をはるかに超えるほど、酷い状況にあった。


 皮を剥がれむき出しになった表情筋。顔にはべったりと血がついていて、綺麗だった歯並びは抜かれて生えてる本数を一目で数えられるほどに減っている。

 そして綺麗な紅色の瞳が二つとも抉り取られていた。おまけにお腹も切り裂かれ、少し臓器がはみ出ている。血みどろになっている。


 寧ろ生きているのが不思議なくらい凄惨な状況だった。


「のぞみッ! 早く来いッ!」


「き、来てるわ。……ただ、流石の私も酷すぎて絶句してたのよ」


「のぞみ、治してくれるよな?」


「ええ。勿論……」


 のぞみはしゃがみ、リースの側に近寄りながらリースの身体に触れる。


「爪も剝がれてる。……それに、子宮が盗られてるわね。でも、犯されたようすはないから――何のため?」


 リースは外から一目で解る以外にもひどい目に遭っていたらしい。

 のぞみはぶつぶつとリースの惨状を呟きながら意を決したように目を瞑る。


「うっ、あがッ、ひッ!」


 のぞみが悲鳴を上げる。その顔は痛みと恐怖に歪んでいて、ガクガクと身体を震わせている。のぞみの『ヒール』は他人を回復させるとき、その痛みを追体験すると言うデメリットがあると言っていた。

 リースが受けた仕打ちを追体験しているのだろう。


「 ひっ、ひぃっ、ひぃっ、ふぅぐぅぅぅッ!!!」


 のぞみはボロボロと爪を剥がれた時並みの大粒の涙を流し、過呼吸になりながら悲鳴を上げている。爪を剥がれても何とか悲鳴を堪えていたのぞみがこれほどになる辺り、リースの受けた仕打ちの凄惨さは想像に難くない。


「あッ、アッアッあッアっあッ~!」


 だが、のぞみが悲鳴を上げ涙を流し苦しむ傍らでどんどんリースの傷は再生していく。皮膚を剥がれ剝き出しになった筋肉は、すべすべの肌に覆われ、綺麗だった紅の瞳は再生する。

 腹を裂かれ剥き出しになっていた内臓も体内に収まり、その白いお腹は最早切り裂かれた痕すら残っていない。


 だけど長く綺麗だった銀髪だけは、戻らなかった。


「かはッ、あひっ、ひゅうッ……」


 リースの身体が髪の毛以外再生したことに、のぞみが仰向けになって倒れる。リースが受けた拷問を追体験したことによって苦痛を感じ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったのぞみが俺を見上げる。


「のぞみ、よくやったな。偉いぞ」


 のぞみの事は嫌いだけど、あんなに酷い状態にあったリースを――苦痛を追体験しながらも治し、頑張ってくれたのぞみは感謝と尊敬に値する。

 俺がのぞみの前髪を掻き分けるように撫でてやるとのぞみはボロボロと涙を流して俺に抱き着いてきた。


「ありがとうな、のぞみ」


「うわぁぁぁあんッ!!」


 のぞみは俺に抱き着いて号泣する。……のぞみの処遇を聞く限り、のぞみは多分、こうしてだれかに感謝されたことも頭を撫でられたことも抱きしめられたこともないのだろう。

 のぞみは愛に飢えている。俺を抱きしめながら震える彼女はやはり俺と似ている。


 短いままの銀髪以外はつい数分ほど前まで凄惨な状況にあったとは思えないほどに綺麗になったリースが寝息を立てている。


 本当に良かった。……だが、リモーナお前は許さん。


 リースと同じ仕打ちを受けさせる程度で済ますつもりはない――

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