『王女の過ち』

 のこぎりでズタズタに切り刻まれた俺の勉強机と、右手にズシリと乗っている金貨を換金して手に入れた260万円、そして部屋に残る酒の香り。

 リビングには酒瓶が散らばっていて、クソ親父の服が脱ぎ散らかされている。


 先ほどまでこの家に居て、十数年俺を苦しめ続けて来たあのクソ親父がいなくなった。異世界の紅霧の森の前まで転移させた。

 もう理不尽に怒鳴られることも酒瓶で殴られることも、学費を奪われることも、勝手に俺のものを売られることも、ない。


 爽快だ。解放されたのだから、苦痛から。

 なのに、どこか釈然としないしこりが心の中に残っている。今、途轍もなく誰かに甘やかして欲しい。そんな気分になった。


 思い浮かべるのはリースの顔。


「ってやばッ! 昨日の朝からリースの事あの部屋に忘れっぱなしじゃんッ!」


「リースってあの後ろに居た綺麗な人の事?」


「うん」


「……それはソラにとってどんな関係の人なの?」


「どんな関係って問われると、難しいけど……奴隷? 召使みたいなものかも」


「それって私と大体同じってこと?」


 そう言われると違う気がする。なんかこう、感情のベクトルが真逆なのだ。のぞみの事は『嫌い』に寄っていて虐めたくなるし泣かせたくなるけど、リースの事は『好き』に寄っていて意地悪したくなるし恥ずかしがらせたいと思う。

 ……言葉にしてみるとそんな変わんない感じになるけど、明確に違うのだ。


「まぁ良いや。直接見せた方が早いだろうし、連れてくる」


 言いながら思い浮かべるのは王女に割り当てられたスイートルーム。転移してみたけど、誰もいない。

 空になったチキン南蛮弁当の箱が入ったビニール袋が床に落ちているあたり、俺に割り振られた部屋であることは間違いなさそうだ。


 ま、一日放置したから暇になってどこか出かけたんだろう。

 王女なら知ってそうだし、聞きに行くか。


 俺はこの前、リモーナ王女と謁見した部屋に転移する。


「リモーナ様ッ! 昨日捕らえたハーフエルフの処遇については如何致しましょう」


「生かしてさえ置けば好きにしてよい。ただ、くれぐれも殺すなよ?」


「はッ、それは転移の勇者様に対する脅迫に使うためですね!」


「そう人聞きの悪いことを言うな。交渉材料……と……ソラ様?」


 リモーナの部屋に転移すると、騎士風の男とリモーナが何やらきな臭い話をしていた。ハーフエルフを捕らえたがどうとか、脅迫がどうとか。

 いきなり部屋に転移してきた俺に目を開き、驚きながらも張り付けたような笑顔を作って、俺の近くに寄ってくる。その瞳の碧はいつも以上にうすら寒く見えた。


「その、乙女の部屋にいきなり転移してくるのは控えてください。それで、なんの御用で?」


「白々しいな。まあ、良い。リースが部屋に居なかったから場所を聞こうと思ってここに来たんだ。さっきの会話から察するに知ってるんだろう?」


「聞いていたのですね。でしたら、話が早いです。――あのハーフエルフを返して欲しければ、その契約書にサインしてください」


 リモーナはいつも様な貼りついたような演技の笑顔ではない、怖気が足るような悪い笑みを浮かべながら、椅子に腰かけ膝を組む。

 以前金貨を持ってきたのと同じ執事が俺に差し出した紙は聖霊契約書だった。


 内容は王女リモーナに対する生涯の絶対服従。その対価はリースの返還。

 俺がリースと交わした契約のそれと服従の内容自体は変わらない。俺はフッと鼻で笑って聖霊契約書を投げ捨てる。


「こんな契約結ぶと本気で思ってますか?」


「思ってないです。でも、所詮それは紙きれ。形式には残るけど口約束と相違なく、転移できるソラ様には何の効力もない紙切れです。ですがそれにサインしていただければ、少なくとも形式上は私はソラ様を従えていることになる。


 召喚して以来のソラ様の行動は目に余ります。一切訓練に参加せず、勇者様たち相手に体裁の宜しくない競売を仕掛け、挙句、昨日はノゾミ様が行方不明におります。

 私にソラ様を縛る権利がないことは重々承知ですが、こうも身勝手に動かれると家臣にも不信に思うものが出てき始めて政にも支障をきたします。


 ですので、名前だけでも書いていただけないでしょうか? そうすればあのハーフエルフは無事に返しますし、私も体裁を保てます。悪い話じゃないでしょう?」


 リースの説明はどこまでも尤もらしく、そして俺が聖霊契約書の事を知らなければ「まあ、名前だけなら……」と軽率にサインしていたかもしれない。

 だが、俺はその契約書を知っていた。そしてここで平然と嘘を吐かれたことによって俺の中で王女への信頼が二段階ほど下がった。


「はぁ。リモーナ。お前さ、俺の事バカだと思ってる?」


「なっ、貴様王女様を呼び捨てなどッ!」


「良いのです。……しかしそれはどう言う意味で?」


「いや、だってコレ聖霊契約書でしょ? お前たちが攫ったリースの返還の為に『書いたことが絶対履行される契約書』にサインするわけないだろうが。馬鹿か」


「いえ、でもそれは聖霊契約書じゃありませんよ?」


 真顔でキョトンとされるから少し不安になるが、俺とリースの間で繋がれた契約の鎖が、この契約書が本物であると教えてくれている。

 それは少なくともこの嘘つきよりはずっと信用できた。


「俺さ、リースと聖霊契約書で繋がってるから解るんだよ。それで? リースの居場所は教えてくれるの? くれないの?」


「…………」


 俺が異世界に召喚されてまだ一週間。その短い期間に聖霊契約をすでに経験してるとは予想外だったのだろう。

 しかし、感心するほどに上手い手だと思った。


 この世界には聖霊契約書やスキルのように科学だけでは説明がつかないような現象が蔓延っていて、それでいて、異世界から召喚された俺たちはそれらの現象に対して一切の無知だ。

 しかし、知らなければ一瞬で逆らえない契約を結ばされかねない初見殺し。


 少なくとも、俺たちの世界における契約書はあくまで法による拘束力しかもたないものでしかない。

 しかし、自由にこの世界と地球を転移で行き来できる俺にとって、このバルバトス王国の法による拘束力は無いに等しい。

 そこを突いた上手い作戦だったが、俺は運よく知っていた。


 リモーナは黙り込み、口をもごもごさせる。考えているのだろう。一撃必殺の嘘がバレて、これからどう俺と交渉するのか。


 リースを攫われ困っているのは俺のはずなのに、冷や汗をかいているのはリモーナの方。考えてばかりで喋らないリモーナの代わりに俺が交渉する。


「では、こう言うのはどうでしょう? 今、リースを大人しく返してくれるなら、土下座して謝るだけで許してあげます。ええ。俺の所有物を勝手に奪って置いて、俺が対価を払うのがそもそもおかしいんです。許しを乞うべきは貴方方なのに」


「貴様ッ! ……ぐはッ!」


 俺の良いように騎士が激昂し斬りかかってくるが、転移ゲートを展開。騎士の背中につないだので、俺に斬りかかったはずの騎士が背中を斬られ、倒れる。

 王女はギリッと唇を噛み、俺を睨みつけ、そして頬を引き攣らせるように笑う。


「ええ、本当にいい度胸ですね。ですが、どうやら思っていた以上に――ソラ様にとってあのハーフエルフは大切な存在のようですね。ではだまし討ちなどではなく普通に交渉しましょう。

 ――ソラ様。貴方が魔王を討伐した暁にはあのハーフエルフを返還します。それまで丁重に扱う事を約束しましょう」


 ( -`ω-)✧ドヤッ

 ドヤ顔で自信満々にそう言う王女は大きな過ちを犯していた。


 ここですべきは俺に対する謝罪だったはずなのに、リモーナは尚も強気に交渉を持ちかけて来た。

 故に、俺の中では確定してしまった。


 今、この瞬間から俺はバルバトス王国の敵だ――




――――――――――――――――――



王女様、とうとうやらかしちゃいましたねw

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