『天邪鬼』
凡そ一週間前、リモーナ王女によってA組の生徒全員がバルバトス王国に転移して以来すっかり空き教室となってしまった2-Aの教室。
罵詈雑言の落書きがびっしりと書かれた俺の机は端っこに退けられたままで、毎日通っていたはずなのに久々に来るような新鮮味がある。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
そんな教室を見渡し、俺と未だに手を繋いだままでいる平井さんが震えていた。
「ねえ、伊藤くん。どう言う事なの……ここ。教室――衛府蘭高校の2-Aの教室じゃない。どうして? 世界を超える転移って一人だけじゃなかったの?」
「ああ、あれは嘘だよ。うん。あいつらにこの世界に戻って来られて、こっちでの平穏な暮らしが壊れたら嫌だしね」
「それは、でも、だけど……じゃあ、どうして私をここに連れて来たの? ――ちゃんと私をあっちの世界に帰してくれるのよね?」
「ハハッ、まさか」
俺が告げると、平井さんがサーッと顔を青褪めさせる。
「私の話聞いてた? ……私、この世界には居場所がないの。この学校には佐藤さんがいるし、家に帰ったらお父さんも。……それにあっちの世界と違って、この世界は平和だから傷を治す能力じゃ大したことが出来ない。私の居場所がないのッ!」
「知ってる。だと思ったから連れて来た」
「なんでッ……。私、あれだけ一生懸命謝ったじゃない。爪を剥がれる痛みだって、靴を舐めることだって全然苦じゃない。伊藤くんが望むならどんな償いだってするつもりだった。でもッ……だからってッ、この世界に戻すなんてッ!」
平井さんはツーッと涙を流していた。愉快だ。やっぱり平井さんには泣き顔が似合う。辛そうな平井さんを見てると幸せな気持ちになる。
「だから連れて来た。平井さんが一番嫌がると思って」
「天邪鬼。……じゃあ、嬉しいわ。とっても嬉しい。本当はそんな伊藤くんの性格を察して嘘吐いてたの。本当は帰りたくて仕方なかったから思う壺だわ。やーい騙された。バーカバーカ」
明らかに嘘だと思う軽い口調で幼稚園児レベルの語彙力で煽ってくる。
「あー、騙されたなー。俺の転移、異世界→地球は出来るけど逆は出来ないからとっても悔しいぜー」
「……どうせそれも嘘なんでしょ」
その気になれば平井さんを連れて地球と異世界を反復横跳びみたいに移動することも出来るだろう。が、戻さない。平井さんがそれを望むから。
「ねえ、本当に異世界に戻さないの? ……戻してくれるなら何でもするよ? セックスは勿論のこと、全裸で町内一周だって、両の目玉を抉り取ることだって、それこそハツカネズミを踊り食いすることだってしてみせるよ?」
後半二つはヒールで治せるにしても、それでも凄い覚悟だな。
そして平井さんの事だ。多分、俺がやれって言ったらやるんだろうな。異世界に戻るって条件が真っ赤な嘘でもきっと俺が折れるまでやり続けるんだろう。
「別に望んでないよ、そんなこと。そんなの見せられても面白くない」
「…………。じゃあ、私が自殺するところ見るのは? 今なら特別に、どんな方法で死ぬか伊藤くんに選ばせてあげるけど」
「それも面白くないかな。……って言うか、そんなにこの世界が嫌なの?」
「嫌。……転移するまではそうでもなかったけど、必要とされる場所があるって知ってから、どうしようもなく居場所がなかったんだって理解させられたの。私が必要とされる場所があるって知らなかったら耐えられた」
「意外だな。俺には平井さんがそんな献身的な性質には見えないから」
「献身的? 違うわ。他人に必要とされるってことは、それだけ私自身の価値が上がるってことなの。例えば不治の病を患った子供を持つ母親に私が“その子供を治してあげる替わりに貴方の目玉を抉り取らせて”って頼んだら抉り取らせてくれるかもしれないでしょ?」
平井さんが言いたいのはつまり、必要とされる価値の分だけ理不尽なお願いが通せると言う事だ。
需要が上がれば価値が上がる。日本だと百円の価値もないお菓子が、食の質が低い異世界では数万円でも軽く売れてしまうように。
「必要とされていれば、私が虐げられることもなくなるし、逆に私が虐げることだって出来るようになる」
それは先ほど、異世界でも平井さんが言っていた事だった。
「……私はもう、無価値な人間に成り下がりたくないのッ。虐待に怯えて、使いっパシリにされ続けて、尊厳もプライドも踏みにじられ続けなきゃいけないこの世界にはもう居たくないのッ。ねえお願い、伊藤くんッ」
平井さんは涙を流して縋っていた。俺に懇願していた。
みっともなく泣いて、苦しそうな表情をする平井さんは好きだ。平井さんが不幸そうにしていると、虐められていたトラウマがどんどん和らいでいくように思える。
ただ一つ、疑問に思った。
「別に虐待されても虐められてもその能力で治せばいいじゃん」
火傷だらけの手の、かつての平井さんはもういない。それに治せるなら無茶な抵抗だって容易いだろうし。だが、フルフルと首を振る。
「そうだけど、そうじゃないのッ。あいつらは悪魔なのッ。……もし私が自分で治せるって知ったら相応の酷い事をしてくる」
爪を剥いでも良いと言い、靴も平気で舐められるくらいにはプライドもない平井さんがそれでもここまで怯え、嫌がること。逆に気になってくる。
生きたままのネズミを食べるよりも嫌な事ってなかなか思い浮かばない。
「爪剥いだり、ネズミを食べさせられるよりも?」
「……レベルとしてはそれくらいだけど、あいつらには理がない。視線の動き、細かい言葉の一つ一つ、その時の気分。それくらいの軽い動機で理不尽に不条理に虐げられる。なんで怒られているのか解らないのに、罰を受けるの」
そう言えば平井さんは、俺に恨まれたくないみたいなことを言っていた。
彼女は極端に人の怒りや恨みを恐れているのだろうか? そしてそう言った精神的な問題に対してヒールは無力そうだった。
なるほど。ちょっとずつ、平井さんと言う人間性を理解してきた。
「……ねえ、伊藤くん。どうしても異世界に戻してくれないなら、せめて伊藤くんの家に居させてくれない? 私、こう見えて料理も選択も掃除も得意なんだ」
「無理。……そもそもクソ親父が帰ってきたから昨日は城に寝泊まりしたわけだし」
「そ、そっか。……そうだよね。あ、でもそう言えば伊藤くんって今、あいつらから巻き上げてちょっとお金持ってるよね?」
「持ってるけど、それが?」
「だ、だったらせめて、ホテルに泊まらせてよ。……一泊2000円くらいの安いので良いからさ。その、借りてくれたら、一生懸命お礼するからッ。
私、伊藤くんと楽しませられると思うんだッ。私、ヒールでどんな怪我でも治せるから普通じゃ中々出来ないハードなことだって出来るし」
そう言ってくる平井さんは必死だった。
そこまでしてまで帰りたくない平井さんの家庭環境に凄く好奇心がそそられる。
でも、そこまで怯える何かがある平井さんなら俺を楽しませてくれると思った。
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次回『即堕ち2コマ Part2』
どことは言いませんがSSも書いたので楽しみにしていただけると幸いですッ!
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