『戦闘訓練』

 平井さんの誠意ある謝罪によって心の靄が少し晴れた翌朝。


 とりあえず学校に行くだけ行ってみたけど、昨日の昼休みに起こったわいせつ事件のせいで今日も休みになってしまっていた。

 家にはあのクソ親父がいるかどうかも解らないので帰る気が起こらず、それに、橋田も丁度いないようだから気まぐれに戦闘訓練とやらに参加してみることにした。


 場所はお菓子オークションをしたあの闘技場。


 既にA組の連中は整列していて、前には鎧を着込んだ騎士のような男が立っている。少し遅れてここに来た俺を睨みつけるように見てくる。


「……リモーナ様から聞いている。お前が転移の勇者だな?」


「まぁ」


「……ここ5日、ずっと訓練に参加せず。やっと参加したと思えば遅刻、良い度胸だな。如何に星7のスキルであろうとも磨かねば強くならない。例えば私のスキルは星2のスキルだが、それでも一切スキルを磨いていないお前など軽く倒せるだろう」


 剣の切っ先を向けながら言う騎士に、俺は黙ってポケットに手を突っ込み、この騎士の膝に硬貨を転移させるか思案する。

 いや、流石にまだ様子見。この騎士の主張は一応理解できるし。


「へえ。じゃあ試してみます?」


 一応A+の変異種のサイクロプスを倒せるくらいには転移を応用してるし、冒険者ランクも今度Sになるらしいけど、スキルを磨いているらしいこの騎士は、そんな俺でもきっと実力差を解らせてくれるのだろう。


 と、思った瞬間に騎士の動きがぶれる。俺は危険を感じ取って『転移』を使い、瞬時に騎士から10mほど距離を取る。


「お前の転移能力の事だ。距離を取るのは予想出来ていた」


 だが、本当に出現場所を読まれていたかのようにこちらに斬り込んできている。

 すげえ。視覚範囲内ならどこにでも転移できる俺がどの方向に転移するとか読むの不可能だと思うけど、ジャストで攻めてきている。

 そう言う感じのスキルなんだろうか? 俺は更に10mほど転移し、読まれる前提でさらに即座にもう一回別の場所に転移する。


 目の前に剣が飛んできているのが見えたので俺は転移ゲートを開く。転移先は騎士の背中。しかしそれを騎士はギリギリの所で躱して、剣は地面に突き刺さった。

 ああ、これも躱すのか。凄いな。


「凄いな。どんな能力なんだ? それ」


「……『鳥俯観』全方位に視界を向けることが出来る能力だ」


 へえ。だから今の剣も躱せたのか。となるとこの人、能力以上に素の反射神経が凄そうだ。だけどそう言う能力なら対処法はある。


「確かにお前の転移能力は強力だ。しっかりと鍛えれば……ぐあッ。ぐッ、あぎゃッ! な、何をしたッ!」


 べらべらと煩かったので膝に硬貨を転移させた。騎士が崩れ落ちる。

 鳥俯瞰――見える範囲なら対処可能だが、ポケットの中にあるコインが一瞬で身体の内側に転移するのを視認するのは不可能だろう。

 まあ、あれだけの反射神経とその能力があれば微妙なスキルしかもらえなかったクラスメートどもに力を誇示するのは可能だろうけど、相手が悪かったな。


「で、しっかりと鍛えれば……何ですか?」


「ぐぬぬ。化け物め。……ひ、平井殿ッ。負傷した。済まないが治してくれ」


「……なんで?」


 騎士の言葉を平井さんが冷たく突き放した。騎士が唖然とした表情をする。


「い、いや……今の訓練で転移の勇者様の攻撃を受け負傷してしまったから、治して欲しいのだが――」


 平井さんは冷たい瞳を俺の方に向けてくる。


「――ってこの人言ってるけど、伊藤くん的には治した方が良いと思う?」


「……別に平井さんが治したくないなら無理強いはしないけど」


「そう。じゃあ治すわ。伊藤くんの心の広さに感謝しなさい」


 平井さんの手のひらから淡い光が生じると同時に、平井さんの顔が苦痛に歪む。次に違和感に気付いたような顔をする。


「なるほど。……これはそう簡単に治せないわね」


 平井さんは腰からナイフを取り出し徐に騎士の膝に突き刺す。平井さんの回復能力は異物をちゃんと除去しないと治せない能力らしい。


「あがッ、な、なにをするんだッ!」


 唐突に膝をナイフで刺された騎士は平井さんを殴りそうになるが、平井さんはその騎士の眼前に騎士の血で赤く染まったナイフを向け「治さないわよ」と小さく脅す。

 黙り込んだ騎士の傷口に指を突っ込む。


「ぎゃぁぁぁああああああッ!!!!」


 騎士が騎士とは思えないほど情けない悲鳴を大きく上げた。平井さんは爪を剥がれても何だかんだ叫ばなかったのに。

 平井さんはぐちゃぐちゃに歪み血まみれになった10円玉を投げ捨てながら、再び騎士の膝を治す。その時も平井さんの表情は苦痛に歪んでいた。


「い、痛ッ……もっと丁寧に治せ、バカモノがッ!!」


 騎士は横柄な態度で感謝の言葉もなく立ち上がる。不愉快だったので、俺はポケットに再び手を入れ、両の膝を壊しておく。


「あぎゃッ、あッ、またッ!! 平井殿ッ!」


 平井さんは冷たい目で俺を再び見てくる。


「別に治さなくて良いんじゃない? 俺、そいつ嫌い」


「そう」


 平井さんは初めて笑顔になった。その笑顔は昔、平井さんに酷いことをされていた時の記憶を蘇らせて背筋がゾワッとする。

 蛇のような笑みを浮かべながらこっちの方へ歩いて近づいてきた平井さんが俺の手をギュッと恋人のように搦めて握ってくる。


「今日、訓練お休みになったみたいだから、一緒におしゃべりしない?」


「い、良いよ」


 虐められたトラウマがフラッシュバックする。心臓がバクバク煩く鳴るし、怖い。でも――大粒の涙を流し爪を剥がれ、靴を舐めながら誠心誠意謝ってくれた平井さんの姿を思い出す。

 もう怯える必要はない。――俺は本当の意味で虐められていた凄惨な日々から解放されるために、トラウマを克服する必要があるのだ。


 平井さんは、そのリハビリの相手として丁度いい。


 俺が案内されたのは、平井さんのお部屋だった。


 平井さんの部屋は俺の部屋の三分の一程度の広さだが、決して狭くない。怪我を治せるヒーラーとしての能力は優遇されるに十分なのだろう。


「……そう言えば平井さんのあの能力って――やっぱ使う度に代償が必要なの?」


「そうね。まあ、代償と言うより特性の問題かな。――私の『ヒール』はどんな怪我人でも病人でも治すことが出来る能力。伊藤くんには劣るけど一応星5の能力なの。

 だから自分の傷を治すときには無制限にいくらでも使える。だけど他人を治すとなると別。……他の人の傷を治すためには、私がその苦痛を追体験する必要があるの」


「と言う事は、あの騎士を治すときに膝が壊れる痛みを疑似体験したってこと?」


「そう言う事。……でも、私はこの能力が気に入っているの。元々痛みには強い方だし、それにあっちじゃどこにも居場所がなかったの。学校にも、家にも。

 でも『ヒール』があればみんなが私を必要としてくれる。今まで散々私を馬鹿にして使いパシってきた女も、私を嘲笑って来たクラスの連中も“治さないよ”って言うだけで私に逆らえなくなる。気分が良いわ。この世界には私の居場所があるの」


 平井さんは心底楽しそうに話す。その笑顔が俺は途轍もなく嫌いだった。


「伊藤くん。この世界は良い世界よ。少なくとも私や貴方みたいな人にとっては。――スキルさえ強ければ二度と虐げられないし、嫌な思いをしない。それどころか、こっちが相手に理不尽を押し付けることだってできる」


 その気持ちは俺にもわかる。お菓子の為に大金を払うクラスメート、弁当の為に必死に言い争うあいつらを見ていて、俺は心底愉快だった。

 転移があれば二度と虐められない。それどころか、かつて俺を虐め嘲笑してきたやつらに千倍返しすることだってできる。


 恐らく平井さんは俺と似ていて、しかし決定的に違う。


 平井さんは俺と違って地球でやりたいことがない。だからこの世界での生活を受け入れてしまっている。それを理解したからこそ、俺は優しくそっと平井さんの手を握り締めた。


 思い浮かべるのは今や空き教室となってしまっている衛府蘭高校のA組の教室。


 俺は平井さんを連れて、地球へと転移した。

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