『サイクロプス討伐』

 地図が示す『紅霧の森』王城があるあの街から北東に位置するその方角を眺め、視覚範囲内を転移しながらリースを伴って移動する。

 紅霧の森に行ったことがないから地道な手段で転移しないといけないが、それでも秒速1~2kmの速度で移動できる。とても速い。


 そうこうして移動すること数分。

 どこか不吉さを感じさせる禍々しい紅い霧が花粉のように浮かび上がる森が見えた。


「これが、紅霧の森。……ねえ、あの紅い霧吸ったら毒なんじゃないの?」


「いえ、あの紅い霧は魔界杉の花粉です。吸ってどうこうなるようなものではありません」


 ああ、本当に花粉だったんだ。

 俺は花粉症と言うわけじゃないけど、それでもあそこに入ればくしゃみの一つは出てしまいそうだった。


「それで、サイクロプスの突然変異種とやらはどこにいるの?」


「それは解りません。サイクロプスも移動するので、こちらから探す必要があるでしょう。……所でソラ様。本当に、それが秘策なんですか?」


 リースは疑わし気に二つのボトルが入った青いバケツに視線をやる。


「ああ。俺の予想だと瞬殺できるとすら思ってるけど」


「……何度も言いますが、サイクロプスは非情に頑丈な生物です。物理攻撃にも魔法攻撃にも高い耐性を持っています。……そんな柔らかそうな素材のバケツでは、サイクロプスの中に転移させても大したダメージにならないと思います。

 それこそ私は、あの自動車と言うものをサイクロプスの体内に転移させる方がずっと確実だと思うのですが」


「嫌だよ、あんな高価なもの。高が一匹の魔物を倒すのに許容できる出費じゃない」


「……ソラ様はA+の依頼を舐めています。差し出がましいようですが、そうも慢心してると死にますよ?」


 リースは本気で心配している様子だった。

 転移ゲートの盾と言う最強の防御手段と、転移と言う最速の逃亡手段がある俺が、危ない目に遭うイメージは全然湧かないけど、それでも心配してくれるのは有難い。

 ……今までの人生で、俺を心配してくれる人なんていなかったからな。


 俺はポンとリースの頭に手を置く。


「大丈夫だ。ダメそうなら速攻で転移して帰れば良いだけさ」


「それはそうですが……」


「そんなに心配なら賭けでもする? サイクロプスを倒せるかどうか。倒せなかったら俺は一つ叶えられる範囲でリースの願いを聞く。逆に倒せたらリースが俺の言う事を聞く」


「……賭けになりません。賭けなんてしなくても私はソラ様に絶対服従ですよ」


「まあね」


 これは、夜のお遊戯の口実みたいなものだ。

 冗談はさておき、俺たちは紅霧の森に入って行く。もやもやとした花粉が埃っぽく感じて息がしずらい。……一旦、家からマスクとってくるか。

 一度家に転移して二つ分のマスクを用意してから、再び紅霧の森に戻る。


 リースを伴って小まめに視覚範囲内を転移で移動しながら紅霧の森を散策する。


「ソラ様ッ……サイクロプスの変異種、発見しました」


「マジか。どこだ?」


「あそこですッ!」


 リースが指さす方向には正直何も見えない。なので転移ゲートをリースの指さす場所辺りに展開してみると、赤い肌、4mは有りそうな巨躯を持つ一本角の生えた一つ目の鬼が歩いていた。


「ォォォオオオオオオ!!!」


 サイクロプスが手に持っていた巨木のような棍棒を振り回しその辺の木を破壊している。……な、なにをしているんだ。

 サイクロプスは折り倒した木をどかし、空いたスペースにどかんと寝転がった。


 ……昼寝をする場所を作っていたのか。しかし、初依頼でこんな隙だらけな瞬間に遭遇するとはラッキーだ。

 俺はサイクロプスがゲート越しではなく目視でも確認できる範囲の木の陰に転移して、そのままバケツに二つのボトルの中身を注ぎ始める。


 ボトルの中身は漂白剤と酸性洗剤。所謂混ぜるな危険って奴の中身だ。


『ソラ様、その二つは何ですか?』

『洗剤。片方はカビとかを取る奴で、もう一方は錆を綺麗にする奴』


 用意したそれを見て、リースは驚愕の表情を浮かべたものだ。化学を知らないリースが舐めていると思うのも仕方ないだろう。

 だが、塩素ガスは恐らくマスタードガスの次くらいに多くの人を殺した毒ガス。


 ちゃんと混ぜてないから威力は大したことないだろうけど……俺は、バケツになみなみと注いだ二つの洗剤を少し混ぜてから、サイクロプスの胸の中――丁度肺がある位置に転移させる。

 あれだけの巨体だ。大きなバケツでも肺に収まってしまうのだろう。


「おがっ、おぼぼぼッ!」


 その瞬間、サイクロプスがまるで水に沈められて溺れているかのように藻掻きだした。塩素ガスは窒息剤の一種。吸えば呼吸器にダメージを与え息できなくさせるそれを直接肺に送り込んだのだ。


 如何に防御力が高くとも、内側からの毒攻撃に耐性があるかは不明だ。


 いや、むしろ――魔法や物理攻撃への耐性を高めているサイクロプスに、毒への耐性をも高めるリソースがあるのだろうか?

 ここは異世界。そう言った俺の常識や予想を上回ってくる可能性はあるけど、その時は逃げれば良い。その為の転移。やはり、星7は伊達じゃない。


 暫く苦しそうに藻掻いていたサイクロプスはばたりと藻掻くのを止めて静止した。


「……死んだ?」


「そのようですね」


 サイクロプスの討伐証明部位は角だが、全身持って帰ればそれはそれで買い取ってくれるらしい。暫くサイクロプスが動かないのを見てから俺とリースは近づく。

 リースがサイクロプスに触れた。


「……生命反応もありません。絶命したようです。……ソラ様。一体どう言う魔法を使ったんですか? 洗剤なんかでサイクロプスを瞬殺してしまうなんて」


「魔法じゃないよ。化学さ」


「化学?」


「ああ。有体に言ってしまえば二つの洗剤を混ぜることで毒ガスを発生させるようになった液体を直接サイクロプスの肺の中に送り込んだのさ」


「肺……毒ガスを。って言うか、その洗剤って食器洗ったりカビを取ったり、ソラ様たちが普段から使っているようなものじゃないんですか? もしそうなら危険です」


「……洗剤にはな、単体では汚れを綺麗にするだけの効果でも混ぜ合わせると毒ガスに変身するものがいっぱいあるんだ。混ぜなきゃ便利だが、混ぜれば危険なんだ」


「……なるほど。不思議ですね」


「だろ?」


 俺はサイクロプスの死体を転移にてギルドに持ち帰った。

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