第1章 ドラゴンの召使、ギルドマスターにならんと欲すもギルドがなかった(5/6)


  ◆


 村から2キロほど北。そこは人の住まぬ地ノーマンズランドにほど近い。王国とノーマンズランドとの間には川が流れていて、その川が国境とされている。小さくて浅い川だ。その国境の川を見渡せる小高い丘に砦はあった。丘の周りには障害になるようなものはなく、見通しがいい。

「あれが私の任されている円塔砦だ」

アリアンナが道すがら言う。

 名前の通り、石造りの太い塔のような形だ。

「筒のような形になっていて、中の敷地に住居や馬小屋、井戸がある。ルル達はその中の好きな建物を使うといい」

 ルルは砦を見て、ふと気になる。

「砦の門が開いていますね。開けっ放しなのですか?」

「門番もいないから、私一人では門の開け閉めも手間がかかるのだ。それに、見えるか? 壁の一部が崩れて穴が開いているだろう? 城門を閉めていようと、そこから簡単に入り込まれてしまう」

「攻め込まれたら危険ですね」

「まったくだ。とんでもないボロ砦に来たって後悔しているんじゃないか?」

 アリアンナは苦笑する。

 そんな話をしているうちに、ルル達は砦の中へと入りこんだ。

石壁に覆われた砦内は少々薄暗い。肌もひんやりする。

冬場になったら相当冷えるだろう。それを想像するとルルは身震いしてしまった。

「では、ルル達は寛いでいてくれ。私が腕によりをかけて最高の夕食を振舞おう」

 アリアンナが自信あり気に言う。

「いえ、僕達にも手伝わせてください」

「客人が何を言っている。ゆっくりしているといい。……くれぐれも炊事場を覗かないように」

 こうして、ルル達は兵舎の一角に腰を落ち着かせた。

 10人ほどが寝泊まりする大部屋だ。

 しばらく使用する者がいなかったからか、室内は少しかび臭い。

 スルトがそこにあった古いベッドの一つによじ登った後、それは始まった。

「! 敵か⁉」

 砦内に木霊する重く激しい音。それは堅いもの同士がぶつかり合う軋みを伴っていた。その激突音が何度も繰り返される。

「誰かが戦っているようです」

 ルルも強張った顔で耳を澄ます。

スルトが言った。

「どうやら先ほど、わたし達が通り過ぎた所……炊事場から聞こえてくる。アリアンナに何かあったのかもしれん」

「何者かがアリアンナを襲っている……? 急いで助けに向かいましょう!」

「ノレノレがそう言うなら、いいだろう」

 ルルの言葉に頷き、スルトは古いベッドから飛び降りた。

 そうして二人は砦の炊事場へと急行する。

 近づけば近づくほど、戦いの騒音は大きくなっていった。

 そうして炊事場に近付いてみれば不穏な香り。

「……焼き討ちか⁉ 何者かが火を放っているようだぞ。焦げ臭い」

 火を司る炎竜の見立てに、ルルはいよいよ事態の切迫さを感じる。炊事場の扉に手をかけ、

「大丈夫ですか、アリアンナ……!」

 そう言いかけた所で、衝撃を受けて立ち竦む。

「どうした、ノレノレ⁉ 既に遅かったというのか……⁉」

 スルトも中を覗き込み、

「……人間とは……」

 首を横に振った。

 そこには両刃の戦斧を大きく振りかぶるアリアンナの姿があった。彼女はほとんど裸で薄着しか身に着けていない。素肌の腹から下乳は反って丸見えだが、胸部の最高到達点は絶妙の角度で隠れている。それはまさしく物理法則を無視した隠れ方で、おそらく魔法の仕業だ。魔法の肌着、マジックブラジャー+1。

「……正なる一撃(ライチャススマイト)っ!」

 と、気合と共に戦斧が振り下ろされた。それは過たず、石の作業台に乗せられた根菜に直撃する。

 だあん!

 そんな轟音と共に、根菜の皮が弾け飛んだ。

 ふう、と木こりのようにタオルで汗を拭くアリアンナ。

「……と、うわっ! ルル⁉ こ、ここは覗くなと言っておいたじゃないか!」

 そこでようやくルル達に気付く。上擦った声で咎めてきた。

「あ、あのっ!」

 ルルはアリアンナの薄着姿を見ぬように顔を背けながら、声を上げる。実は、アリアンナが戦斧を振り下ろした際、薄着がひらひらと靡いて色々なところが見えそうだったのだ。もちろん、見えないよう魔法的に計算されていたが。

「な、何をしているのですか、アリアンナ?」

「野菜の皮むき、だが……あ、あまり見てくれるな! そんなに上手くないのは自分でもわかっているのだから」

「いちいち、戦闘用の大斧を振りかぶって、野菜を切っていたのか? あの戦闘音は野菜を刻む音だ、と?」

 スルトの問いに、アリアンナは大きく頷く。

「ああ。こうやって武技を駆使するとよく切れるんだ」

 言いながら、石の作業台に根菜を置き直した。向きを変えて、別の角度から皮を剥こうとしている。

振りかぶって、意識を集中。その際、再び際どい箇所が見えそうになっていたが、ここでアリアンナの着用していたマジックインナーが光のマジックインナー+1であることが鑑定された。着用者を、謎の光が覆って守ったからだ。

ちなみに、これらマジックインナーには他にも湯気のマジックインナー+1や部分遮蔽のマジックインナー+1の存在が確認されている。呪われた防具である。

アリアンナは構えた戦斧を気合と共に振り下ろす。

「……貫きの一撃(ピアシングスマイト)! あっ!」

 だあん!

「しまった、致命的な一撃になってしまった……」

 根菜に三倍ダメージ。根菜は死んだ。

 ぐちゃぐちゃの根菜のなれの果てが弾け飛び、無感情を張り付けたスルトの顔にジャストフィット。

 一方、火のついた釜にかけられた大鍋には水が張られておらず、中の具材が焦げ、なんなら発火していた。

「か、火事になりますよ、アリアンナ! 鍋! 鍋!」

「うん? ああっ!? 不覚! 水を入れ忘れていたか……!」

 慌てたアリアンナが大鍋に水瓶の中身を全部ぶちまけると、もうもうと煙があがりだす。

 もうめちゃくちゃだった。

「……なんということだ。屋敷の使用人達は皆確かこんな風に調理していたはずなのに、なぜうまくいかない……?」

 肩を落とすアリアンナに、目を反らしたままのルルが問いかける。

「色々、お尋ねしたいことはありますがまず第一に、なぜそんな格好で料理をしているのですか?」

 体のラインがはっきりわかる薄着姿で、アリアンナは自分の胸に手を当てる。

「ああ、これか? それはもちろん、料理の際に鎧兜は身に着けないものだからだ。不合理だしな。屋敷の料理人達も、誰一人胸甲や鎖帷子を装備して肉を捌いたりしていなかったぞ」

「いえ、それはそうなのですが、鎧がいらないのは自明として、鎧下やそれ以外の服も着ずにほとんど裸なのは何故です?」

「これも鍛錬だ。私は防具を脱いだ後は、常に裸身で寒暖に耐えうる体を作り上げようとしている。頑健であることは騎士としての務めでもあるのだから」

 スルトが鼻から、ふん、と息を吐く。

「で、その結果がこれか?」

 炊事場の惨状を目をやって、

「あんなに無駄に自信ありげだったのはなんだったのだ。あれは虚勢だったのか。だから、炊事場を覗くな、と」

「……屋敷では確かこんな風に作っていたはずなのだ」

「おそらくそれは記憶違いだと思うが、まあ、人間のやることはおかしなことが多いからな」

「戦斧で調理しているのは何故です? ナイフを使った方がまだ便利だと思うのですが……」

「騎士たるもの武具全般に通じていなければならない。これも戦斧の扱いの修行になるだろう? ナイフを使わないのは今は戦斧の技量の方こそ高めたいからだ」

 そう答えながらも、アリアンナは肩を落とす。

「……しかし、この有様では……すまないが本日のメインディッシュはリンゴ1個になりそうだ……」

「リンゴだけ、ですか」

「ああ。だが、安心してほしい。いつもは丸かじりしているが、本日はわたしが腕によりをかけて皮を剥いてもてなそう」

 アリアンナはリンゴを取り上げて石の作業台の上に置こうとする。

「いえ、皮むきは結構です」

 ルルが慌てて遠慮して見せた。

 アリアンナはそれに対して何か言いかけ、ぐっと下唇を噛んだ。

「……先ほど醜態を晒してしまった以上、何を言っても言い訳にしかならないな。私は未熟だ」

 恥じ入るアリアンナの手に力がこもる。

 手の中にあったリンゴが握り潰された。

「せっかくルル達をもてなそうと思ったのに、料理も用意できず……。私は辺境警備を任されるにはあまりに力不足だった」

「いえ、そこは辺境警備とはあまり関係ないのでは。というか、いつもは何を食べていたのですか」

「買い置きしておいた黒パンとリンゴを齧るくらいだ。たまに肉や野菜を煮たりする。まずいが」

 ルルの表情が微妙になる。

「……失礼ですが、そのたまになされるという肉や野菜の調理はどのような感じなのでしょう?」

「あの釜にかけられている大鍋に切り刻んだ根菜や肉塊を投げ入れて煮る。くたくたになるまでな。なのに、全然スープにならない。味がしない、というか、えぐくなってしまう。なので」

 アリアンナは釜の傍にある工事用のスコップを取り上げ、炊事場の片隅に積まれた岩塊にその先を突き立てた。

「この岩塩の塊を一山、大鍋に入れる。すると、今度は塩辛すぎて食べるのが辛くなる。大体、そのような感じだ」

 その声を聞きながら、ルルはスルトと顔を見合わせた。スルトが促す。

「ノレノレ、わたし達の夜の平穏、そして腹の平穏を確保するのだ。今すぐ然るべき手を打て」

「わかりました」

 ルルは深く頷いた。

「アリアンナの食事に対する取り組み方は実によくわかりました。豪胆にして勇壮。勇者様に近いものがあります。なので、僕に作らせてください。あと、服を着てください」

「いや、しかし、客人の手を煩わせるなど」

 そこでスルトが声を割り込ませる。

「わたしは今日の夕食にドラゴンクッキングが食べたいんだ。ノレノレの作ったものを、な」

「はい、スルト様。スルト様に望まれるのなら本望というもの! そういう訳でもありますし、僕がスルト様の為に作りたいのです。もちろん、アリアンナの分も作ります。やらせてもらえませんか?」

 それでもアリアンナは最後まで渋る。服を着るのは受け入れたものの、言い難そうに訴えてきた。

「でも、君は男の子だろう、ルル。男の子に私以上の料理が作れるのか? こう言ってはなんだが、私は屋敷では常に女中達の作ってくれた料理を食べてきたからわかる。女の作った料理の方が絶対うまい。男の作った料理はどうしても劣るものだ。男の料理の方がうまいという者は、一度女の作った料理を食べてみるといい。きっと女の作った料理を食べたことがないからそのようなことを言ってしまうのだろう。悲しいことだ。もっとも、私も男の作った料理は一度も食べたことはないが」

 アリアンナがそう言ってから、数刻の後。

「これは辛いがうまい……! なんといっても味がする……! これほどの腕をどこで身に着けたのだ、ルル⁉」

 真っ赤に染まったスープの具を口にしながら、アリアンナが感嘆の声を上げる。

「これは僕が育ったドラゴンの里の伝統料理でドラゴンクッキングという調理法です。食材の味付けに様々なハーブを使ってドラゴン風にした独特のもので、気に入っていただけたならよかった」

 ルルはドラゴンクッキングをアリアンナにも認められたのが嬉しくて、にこやかに答えた。

「まったく誰だろうな。調理は女の方がうまいなどと言う奴は。たぶん、そういうことを言っている者は、男が作った料理を一度も食べたことがないのだろう」

 アリアンナのそんな掌返しに、スルトが何か納得したように頷いた。

「なるほど。アリアンナはあれだな。優秀な騎士に違いない。何しろ臨機応変だ」

「おほめにあずかり光栄だな、ドラゴン殿」

「スルト様、で良いぞ。あ、良くないな。わたしをスルト様呼び出来るのはノレノレだけだ。まあ、わたしのことは好きに呼べばいい、アリアンナ」

「……それにしても、あの味のしないスープをここまで変えるとは……ドラゴンクッキングとはすごいものだ」

 言われて、ルルは胸を張りながら謙遜する。

「いえ、これは手を抜いた簡易版というべきものでして。本来ならアカクビ草やベリーは時間と手間をかけて毒抜きしないとドラゴンクッキングで必須の味わいが失われてしまうのです。けれど、今回は手に入れたハーブ類の毒抜きや下拵えが終わっていなかったので、簡単な毒抜きの儀式魔法で済ませてしまいました。本来のじっくり丁寧に仕上げたドラゴンクッキングはもっとずっと味わい深い風味があるものなのです。そもそも、霊峰山脈で採れるハーブとこの辺境地方で採れるハーブではやはり違いがありますから、その点も考慮に入れて味のバランスを考えないといけないのですが、いかんせん、こちらのハーブを使ったドラゴンクッキングは不慣れなもので、完璧とは言えない状態です。とはいえ、できる範囲で味も調えられたと思います。特に、ローズベリーはこちら辺境地方で採れるものの方が香りも強く癖も強いです。これをうまく他のハーブ類と調和させて使いこなせていけたら、多分、今までにないドラゴンクッキングの味を引き出せるでしょう。いや、今回は見つけられていないだけで、もっとよい食材、例えば洞窟ヒカリダケやアオスジの葉を見つけられれば、もっと本場のドラゴンクッキングに近いものをお出しできると思います」

 ルルは思いの丈を流れるように捲し立てた。

「そ、そうなのか」

 アリアンナは少々気後れしたように言葉を濁し、それから真面目な顔になった。

「それでこのドラゴンクッキングの本場であるドラゴンの里だったな。そこはやはりスルト殿のようなドラゴンが住んでいるのだろうか」

「ええ。僕以外みんなドラゴンです」

「人間はルル1人だったのか? どうしてルルはたった1人、ドラゴンの里に……いや、それもそれだが、そこではドラゴン達は皆、今のスルト殿のように人型をしているのだろうか?」

 人型をしたドラゴン、スルトは今ドラゴンクッキングを口にしてご満悦だ。

「これはドラゴンクッキング力味スープだな。赤くてビリリとしていてわたしは大好きだ!」

 ルルはアリアンナの問いに首を横に振る。

「いいえ、皆様、本当の姿で過ごされています」

「なら、なぜ? スルト殿はどうして人型をしているのだ? 正体を隠す理由があるのか?」

「……囲われ村を離れる前にも、同じことを尋ねられましたね。なぜ人の姿を? と」

「そうだったかな」

「はい、そこでアリアンナの問いに答える前にゴステロ様がいらっしゃって話し合いになり、それで答えず仕舞いになっていましたが」

「そういえばそうだった」

「あの時のゴステロ様の様子を覚えていらっしゃいますか?」

「ああ。ひどく不愉快な態度だった。思わず、私が口出ししてしまうほどに」

「……あれが答えです。スルト様にお願いして、人型になってもらっている理由はあれなのです」

 ルルは吐息を漏らした。

「スルト様が竜の姿をしていると、人は怖がってスルト様にひどい言葉を投げかけたりします。僕はスルト様がそんな風に言われるのは嫌なんです」

「なるほど。そうか……その気持ちはわかる。しかし、そうであればこそ、そんな風に悪し様に言うのは間違っている、と声を上げるべきではないのか。スルト殿は素晴らしい竜だと人々に言い聞かせてやれば、悪口を言われることもなくなり本来の竜の姿でいることもできるだろう。悪口を言われる方が我慢して、本来の姿を後ろめたいみたいに隠さなければならないのは正しいことではない。私はそう思ってしまうんだが」

「僕もスルト様には本来の姿のまま受け入れて認めてもらいたい。でも、それは絶対に適わないことなのだと言われました。ドラゴンに恐れを抱くのは人の本能であり、人の感情であり、人の自由なのだから、と」

 アリアンナは聞きながら片眉を上げた。

「誰だ? そんなことを言ったのは?」

「勇者様御一行のおひとり、魔術師ノーウェア様です」

「勇者一行? なぜそのような人物がルルにそんなことを……」

 そこでルルは自分達がかつて勇者一行の仲間であったこと、そしてそこから離れた事情などを話した。

「……で、ルルとスルト殿は勇者一行から追い出されるように離れたというのか……?」

 アリアンナは、信じられない、と頭を振る。

 ルルは俯いて呟いた。

「……けれど、ノーウェア様の言う通りなんです。今日もそうでした。ゴステロ様は竜の姿のスルト様を目にした途端、怖がってあのような態度を取られました。……それに……アリアンナも、スルト様が竜の姿になったとき、ひどく怯えてしまったでしょう?」

「あ、あれは……」

 アリアンナはどぎまぎした様子で言葉を途切れさせた。

「スルト様の竜の姿は人を怯えさせてしまう。善良な人だろうとそうでない人だろうとそれは分け隔てがないんです。だから、それを避けるために、僕はスルト様にお願いして人型形態でいてもらうことにしました」

「……私があの時、その、怖がったのはスルト殿が竜だからではないんだ。その……私はヘビとかトカゲとか爬虫類全般がどうにも苦手で……」

 と、スルトが聞き捨てならぬといきり立った。

「待て! わたしはヘビやトカゲとは全然違うぞ⁉」

「もちろんだ、スルト殿。竜はヘビとは違う。……違うのだが、急に現れた姿を見て巨大なヘビだと勘違いしてしまって……首が長いから……」

「わたしは竜で、ヘビとは全然似てないだろう! ……似てないよね?」

 少し小声で問いかけるスルトに、ルルが答える。

「はい、似ていないです、スルト様」

「だろう? よかった!」

 一方、アリアンナは躊躇いがちに言葉を続ける。

「……そういうわけで、確かにスルト殿が竜の姿になったとき私は、その、騎士としてあるまじきことだが……怖がってしまった。……ヘビが怖くて腰を抜かしてしまう騎士なんてみっともないと軽蔑するだろう?」

「たった一人で魔獣に立ち向かったアリアンナを誰が軽蔑するでしょう。村の人々にとって、そして僕達にとっても、アリアンナはあの時、立派な騎士でした」

 言われて、アリアンナは僅かに顔をそらした。頬が赤らんでいる。

「そ、そうか? そうだといいんだが。……それに怖がったとしても、私はスルト殿のことを悪く言ったりはしないぞ。私がヘビを見て怖がるのを止められないのと同じように、人々も竜を見て怖がるのを止められないかもしれない。でも、怖いからといって、悪口を言ったり闇雲に追い出していいことにならない。……そうだ、よく考えると、魔術師ノーウェア殿はそこのところをぼやかして、都合の良いことを言っている気がするな……。皆が怖がっているからお前が出ていけ、と仕向けるのはちょっとずるい……ずるいじゃないか!」

 アリアンナは腹に据えかねたのか、食卓を軽く拳で打った。

 重く鈍い音と共に、食卓が軋んだ。食卓上の木皿や黒パンが大きく飛び跳ねる。

「な、なんだ⁉」

 アリアンナは自らの拳の威力に目を瞬かせる。自らの両掌をまじまじと見た。

「……これはドラゴンクッキングの効果なのか? 体が熱く、力が漲る」

「調理に使われる希少なハーブ類が様々な能力を引き出すのです。しばらくはその状態が続くので、力の加減が難しいかもしれません」

「……本当にすごいものだな。近衛騎士団でもドラゴンクッキングが普及したら、今以上の力を発揮するだろう。ルル、王国のためにその料理の腕、振るってみる気はないか?」

「僕は囲われ村のギルドマスターを務めるだけで手いっぱいです。とてもそんなことは」

「何の準備もされていない、ゼロからはじめなければならない冒険者ギルドなんて、そんな話は蹴ってしまってもいいだろうに」

「そういうわけにはいきません。これも僕の望むことですから」

 ルルのやんわりとした態度の裏に決意のようなものを感じて、アリアンナは小首を傾げた。

「そこまでの思いがあるのか、ここで冒険者ギルドをやることに。勇者への義理立て、か。……ルルには騎士の素質があるかもしれないな。それはきっと忠義というものだ。だが……どうしてそこまで勇者に尽くそうとする?」

「義理、というか……勇者様は僕の始まりだったんです」

「ほう?」

「僕を連れ出してくれた人、それが勇者様でした」

 ルルは遠い目をした。

「昔の僕はドラゴンの里の他に何も知りませんでした。里の外に出ようと思うどころか、里の外に何かあるという意識すらなかった。そんな僕に、里の外からやってきて、僕の目を外に向けさせてくれたのが勇者様だったんです」

「勇者一行はドラゴンの里を訪れたのか」

「はい。たまたま霊峰山脈で魔力を吸い取っていた魔獣を討伐しに来て、そこで僕とスルト様に出会いました」

「それで、ルルは勇者達の仲間に入れてくれと頼んだわけだ」

「いいえ、勇者様が僕とスルト様を誘ってくれたんです。一緒に行こうと」

 その時の勇者の姿をルルは思い返す。

 明るく眩しい笑顔で、さあ行こう! とばかりに手を差し伸べてくれた。

これからきっと見たこともない冒険が始まる。

そんな未来を想像したら、胸に生まれて初めての高鳴りを感じて世界が鮮やかに色づいて見えた。

僕を仲間だと認めてくれた人……勇者エンナ。いつもキラキラ輝いていた勇者様。

ルルは懐かしさを噛み締めつつ続けた。

「……それがなかったら、僕は今でもドラゴンの里で暮らしていたでしょう。外の世界を見ることなく、外の人達と出会うこともない。だから、今の僕がここにあるのは勇者様のお陰なんです」

 アリアンナは思案気に首を傾げていた。が、ようやく口を開く。

「……それは本当に良いことだったんだろうか? 勇者達に出会わなければ、ルルは今もドラゴンの里にいて平和に穏やかに暮らしていただろう。争いに巻き込まれることもなく、今回のように、スルト殿が人々から恐れられるのを目にして苦しむこともなかった。ルル、君は勇者に会うことで幸せになれたのか?」

 ルルは笑った。

「何を仰ってるんですか、アリアンナ。僕は幸せです。だって、勇者様の仲間にしてもらえたお陰で、僕は今ここでアリアンナとも出会えたのですから。だから、僕は勇者様にはずっと感謝し続けるし、そのお力になりたいと思うんです」

「そ、そうか。ルルが幸せだと思ってくれるのならそれでいい」

 アリアンナはもにょもにょと口を濁した。そして、付け加える。

「馬鹿なことを口にしてしまったな。どうか許してほしい。それで、あー……もし、ルルがいたいのなら、いくらでもこの砦にいてくれて構わないぞ。誰も文句は言わない」

「ありがとうございます。でも、そこまでご厄介になるわけにはいきません。できるだけ早くギルドホールへの建て替えを依頼して、そちらに移れるよう努力します」

「……いてくれていいのだがなあ」

 アリアンナは呟いた。

 それに対し、ルルが尋ねる。

「むしろ、どうしてアリアンナはそこまで僕達を助けてくれるんですか?」

「助けというほどのことはしていないだろう。しばらく雨露をしのげる場所を提供しているだけだ」

「いいえ。僕達にとってはとてもありがたいことです。アリアンナは宿に困った者を誰でも引き受けるのですか?」

「いや、そういうわけではないな……やはり相手がルル達だからこそ招いてもいいと思えたんだ。……そうだな、やはりルルに興味が湧いたからだろう。あ、変な意味ではなく! たとえば、君は村で魔獣を殺さず、その子を救ってやっただろう? どうしてだ?」

「殺す必要も、そもそも争う必要もなかったからです。ただ子供を返してほしいと願う親の気持ちに、魔獣も人間も変わりはない。そう思ったら、魔獣の親子を無事に会わせてやりたくなった、それだけです」

 ルルの答えに、アリアンナは大きく頷く。

「戦いに依らず問題を解決しようとしたルルのやり方は本当に興味深い。私などは問答無用で斬り付けてしまったのに。きっと、ルルは私とは物事の違うところが見えている。どうして君はそう考えることができるのか、もっと知りたいと思ったんだ」

「そんなに人と変わったことをしているつもりはないのですが」

「いや、ルルの何というか、あり方みたいなものは、私にとって非常に勉強になる。私もそんな風にやってみたいと思わせるものがあるんだ。私も昔、もっと周りをよく見て気を配っていたら……誰も巻き込まずに今も皆笑っていられたかも……」

 アリアンナは最後独り言のように呟いた。そして、ルルに見つめられているのに気づいて咳払いする。

「うん、だから、その……ルルには私の近くになるべく長い間いてほしいが、それも君がギルドを立ち上げるまで、ということは了承した」

「ありがとうございます。ただ……先ほどのゴステロ様の口ぶりだと、スルト様を村に住まわすつもりなら、ギルド設立は許してくれなさそうなのですが」

「あれは竜を冒険者ギルドに置くなということであって、スルト殿が人の姿のままでいるのなら、ゴステロにはわからないのでは?」

「でも、ゴステロ様は僕がいつも竜と共にいることを知っています。だから、僕が村にいること自体我慢ならない。そんな考えのように見えました……」

「金の問題が解決したかと思ったら、今度は竜が問題になる、か。一体いつになったら冒険者ギルド設立は叶うのだろうな」

 スルトは他人事のように言う。

 と、アリアンナが改まった口調になった。

「ルルは一刻も早く冒険者ギルドを開きたい。そうだな? なら……私も何か力になろう。村の連中に冒険者ギルド設立に賛同してもらえるよう話してみる。ゴステロが拒んでも、みんなが協力してくれれば無視できないかもしれない」

「しかし……知り合ったばかりなのに、そこまでしてもらうわけには」

「何を言っているんだ。ルルはさっき言ってくれただろう? 私は立派な騎士で、私と出会えて幸せだと。私もそうだ。私を騎士と認めてくれた君の役に立ちたいし、役に立てれば幸せだ。そして、一番大事なことだが、立派な騎士とは困っている人を助けるものなんだ。私に君を助けさせてほしい。そして、私を立派な騎士にしてほしい」

 アリアンナの真剣な眼差しを、ルルは受け止める。

 真摯な思いが伝わってくるようだ。

「……ありがとうございます。アリアンナのご厚意、ありがたく受けさせてください」

 ルルは深々と頭を下げた。

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