第1章 ドラゴンの召使、ギルドマスターにならんと欲すもギルドがなかった(4/6)
◆
カーレー屋台の店番をしていた少女、ネスカはカーレー汁に入れる食材を買い足していた。
今は調味料を売っている露店の前で、芋や根菜の類を抱えて順番を待っている。と、その耳に深刻そうな声が聞こえきた。
「……旦那、トラブルだ。連絡がつかねえ」
路地裏で薄汚れた男が陰に隠れるようにして話している。
「指定された馬車置き場に行ってみたが、影も形も……」
「……」
「……それで探ってみたが……奴の霊圧自体感じられねえ。もしかしてもしかすると……あいつ死んでるぞ」
「……不死身の紳士って触れ込みは何だったの?」
「土壇場で怖気づいて逃げ出したのかもしれねえ……自ら痕跡を隠して……もう少し調べてみるけどよ……」
「……」
「いずれにせよ、派遣する教導役がいなくなっちまったのは確かだ。計画はグダグダだな」
「……紳士死すべし、慈悲はない」
そんな小さな罵声。
そこへ、
「はいよ! お待たせ!」
調味料店の店主がようやくネスカに順番が来たことを告げる。
ネスカはすぐに自分の用件に頭を切り替え、路地裏での会話など意識から締め出す。
市には色々な人々が集まるものなのだ。
◆
簡易な儀式魔法を駆使しての毒抜きが終わる。
そうしてルルが作り上げたのは、絶品(自称)。
鈍い銀色に染まってぐつぐつ泡立つカーレー汁。
逃げようとして回りこまれてしまった客の前に、ルルはその一品を供す。
「特製ドラゴンクッキング、カーレー汁にカナトコの実の金属風味を生かしてみた、特濃カーレー汁甲羅味になります。どうぞお召し上がりください」
「ひぃ、こんなものうまいわけうまい⁉ うまい⁉」
即落ち一コマの速さで、客は完食した。
「こいつぁまるで神の汁物⁉ も、もう一杯くれ!」
その勢いに、なんだなんだ? と人が集まり始め、たちまち屋台は特濃カーレー汁甲羅味を求める人達で溢れ返った。
「早くくれ!」
「おい、こっちに先にくれ!」
「100チェブラ―出すから俺に食わせろ!」
「こっちは500だ!」
異様な盛況ぶりに、戻ってきた屋台の料理番の娘が面食らう。追加の食材を抱えて天を仰ぎ、
「どうしたの、これ?」
「すみません、途中で鍋の中身が足りなくなりそうだったので、こちらの判断で食材を追加してしまいました」
ルルは頭を下げる。
「! ちょっと、君⁉ わが家が代々伝えてきたうちの特濃カーレー汁に何を入れてうまい⁉」
即落ち。
「これ、どうしたらこんな味になるの⁉ ドラゴンクッキング? そんなものがあるのね……」
料理番の娘は深く考え込む。
「……それに、なんだか体から妙に力を感じるんだけど?」
「ドラゴンクッキングには能力を高める効果があるからだと思います。甲羅味なので主に防御的な能力が今は高まっているのかと」
待たされている客の1人が毒づいた。
「おい、ネスカ! この店はいつになったらカーレー汁を出すんだ⁉ のろまめ! この屋台の悪い噂流して客が来ないようにしてやるぞ!」
「本当だ、悪口も全然効かない」
精神的防御力が上昇している料理番の娘ネスカは、心痛めることもなく平静な気持ちでその客を蹴り出した。
それからすぐにネスカが買い足した材料も調理され鍋に足されたが、それもあっという間に食い尽くされる。完売により、店じまいとなった。
「看板料理に勝手なことをしてすみません」
ルルの謝罪に、ネスカは首を横に振る。
「いいよいいよ、美味しくなったんだから。というか、今度これ真似していい?」
「毒がありますので、毒抜きができなければ難しいかもしれません。ですので、もしよければそのやり方などドラゴンクッキングそのものをお教えしたいのですが、これから1年程お時間割いていただけますか?」
「い、いや、さすがに今すぐ1年かけてってわけには……ちょっと考えさせて? でも、ほんと助かったよ! ありがとうね、手伝ってもらって。はい、これ、君の取り分」
革袋が渡される。中身は金貨だ。
「500チェブラ―⁉ こんなにいただけません!」
「なんか高値で売れたし、ほとんど君が作ったようなものなんだから、君のものだよ。それに、わたしも食べて美味しかったから、そのお代も含めて、ね。ねえ、その代わり、今度の市が立つ日にも手伝ってくれると嬉しいな」
ネスカはウィンクして、別れの挨拶をした。
ルルも手を振って、それを見送る。
その内心、自慢のドラゴンクッキングが認められ、ふつふつと湧きあがる喜びを噛み締めている。自分の料理が金貨5枚に相当すると評価されたのだ。
「スルト様。こんなこと思うのは烏滸がましいかもしれませんが、僕、20万チェブラ―手に入れるのも不可能ではない気がしてきました。今回のように、こつこつ依頼を受けていけば、いずれは到達できるものだと……」
「そうだぞ、ノレノレ。やはり私が信じてやっただけのことはある。……ふう、何とか毒を入れたことは誤魔化せたな……」
「? どうされました、スルト様?」
「いや? 何でもないぞ? わたしは常に間違わないのだからな! ノレノレはわたしの指示に従っていればよいのだ」
「はい、スルト様!」
「……しかし、このペースでは目標金額を集めるまでには時間がかかり過ぎるな。そうは思わないか、ノレノレ?」
と、スルトは何か思いついたらしく、不敵な笑みを浮かべた。
「はい、スルト様。それは仕方のないことです」
「そこで、だ。その500チェブラ―、わたしが増やしてやっても良いぞ」
「さすがスルト様、そのようなことができるのですか?」
「任せろ。わたしはノレノレよりずっと世慣れているのだ。主人として、ノレノレを手助けしてやる。慈悲深いわたしが主人でよかったな、ノレノレ?」
「はい、スルト様! ありがとうございます!」
ルルは幸福な笑顔を浮かべて、手にした金貨をスルトに渡した。
◆
だというのに、だ。
「というわけで、わたしを売るのだ」
しばらくして、やけに清々した表情になったスルトは帰ってくるなりそう言った。それがあんまり自信満々だったので、ルルも思わず首肯してしまう。
「なるほど、さすがスルト様です。……ええっ!? スルト様を、売る!?」
ネズミ達を走らせて金を賭けるラットレースの天幕へと意気揚々乗り込んでいったとかと思ったらこれだ。
「何があったのですか?」
「わたしほどの素材を売れば20万チェブラ―など簡単に手に入る」
「お言葉ですが、スルト様。いくら何でも人身売買は王国の法で許されていないはずです」
「違うぞ、ノレノレ。わたしを丸ごと売るのではない。わたしの内臓というか、一部を売るのだ」
「いずれにせよ、そんな無体なことはできません! スルト様は、僕にスルト様の体を切り刻めとでもいうのですか?」
ルルはその光景を思い浮かべたのか、ぞぞっと震える。
「別に今からわたしを切り刻む必要はないな。なぜなら、もう既に売り物はできているからだ。ほら、そこに」
と、スルトはルルのベルトポーチを指差した。
「そこにわたしの爪があっただろう? この村に入る前に切った爪が? あれを売る。炎竜の魔力がこもった爪だ、優れた魔力抽出物が得られる。きっと高く売れるぞ」
「え⁉ あれを売るのですか?」
「さっきどこかの売り子も言っていた。魔獣の血や爪には魔力があって、ポーションの原料になる、とな。魔獣の体からは魔力(レシ)抽出物(デュウム)が採れるからだ。そして、それらは高値で取引される。さて、このスルトは魔獣どころか炎竜である。どれだけの魔力抽出物が得られることだろうな?」
言うや、スルトはルルのベルトポーチから爪切りを包んだチリ紙を勝手に引っ張り出した。チリ紙の中にはスルトの爪も残っている。ゴミとして撒き散らさないよう、一緒に包まれていたものだ。
ルルは瞬きしながら小首を傾げる。
「あの、スルト様? それもそうなのですが、お渡しした500チェブラ―はいかほどに増えたのですか?」
「……まったく、ノレノレはわかっていないな。些細なことを気にするべきではない。確かに、今わたしの手元に金貨はない。1枚も、だ。だが、こう考えてみればいい。わたしはこの学びを得るために500チェブラ―を支払ったのだ。わたしの爪を売るというアイデアを手に入れるために、金貨5枚という授業料を払った。実に安い買い物だった」
思い返すスルト。その脳裏にはラットレース場にて、内臓を売るのは嫌あああ! と泣き喚きながら黒服達に連れていかれたギャンブラーの姿がある。
ありがとう、名も知らぬ負けた人。
あなたのお陰で、わたしはこの市では内臓でも何でも売れることを思い出せた。それで内臓ならぬ爪を売ることを思いつけたのだ。
そんな風に思い返しながら、スルトは名も知らぬギャンブラーに感謝を捧げる。達者を祈る程度の事もしてあげた。
「……そうだったのですね! スルト様はより良い成果を上げるために自分への投資を行った、と。僕に、常に学ぶことの大切さを教えてくださる、やはり、さすがスルト様です」
表情を明るくしたルルに向けて、鷹揚に頷いて見せるスルト。内心、誤魔化せて安堵している。そして、市を行き交う人々に向け、チリ紙に包まれた爪を高々と掲げた。
「さあ、よってこい! わたしの爪を売っているぞ! 手の爪、足の爪、どれでも選び放題だ! わたしの爪はとても品質がいい。そのまま噛んでもレシデュウムが染み出るぞ! たぶん。このスルト様の爪を欲しがる奴はいないのか⁉ きれいで肌触りのいい、腹持ちもいい爪! 爪はいらないか?」
そんな風に騒いでいたら、早速人が寄ってくる。
「お、来たか! わたしの爪を欲しがる奴!」
「おい、お前ら。誰に断って、なんて物を売ろうとしてやがるんだ」
目つきと柄の悪い男達が3人ほど。客ではなかった。
「この市はゴステロさんが仕切ってるんだ。誰が店を出したって構わねえが、一言挨拶があっても罰は当たらねえだろ。それに、年端もいかねえ娘の爪を売るってのはどういう了見だ? ああ?」
「娘の爪を売るっていうのは何かの隠語か? 本当は別の物を売ろうとしてるんじゃねえのか?」
スルトは初めての客(だと誤解したまま)に気をよくしていた。
「うん? 何を言っているんだ? 文字通り、わたしの爪を売っているだけだぞ」
「そりゃどういう特殊性癖持ちをターゲットにしてるんだよ。この村の市でいかがわしいもの売ろうとするんじゃねえ!」
ルルは誤解が生じている事を察して、間に立った。
「お待ちください。僕達は何もいかがわしいものなど売ろうとしていません」
「年端もいかない娘の足の爪とか変態しか買わねえだろうが。この娘の爪なんだろう?」
「違うんです。これはそういう爪ではなく……竜の爪です」
スルトが炎竜そのものだと結び付けられかねない言動になってしまうと気付き、ルルの答えはぎこちない。
「竜の爪だぁ?」
チンピラ達の表情がさらに険しくなる。
「おい、坊主。いい加減なこと言うんじゃねえ。竜の爪なんて手に入るわけねえだろ。何しろ、竜を倒さなきゃならねえんだから」
「ああ、いえ、竜の爪は竜を倒さなくても入手可能です。このアダマンタイト製の爪切りさえあれば……」
「それに、こんなちっぽけな欠片が竜の爪だって言い張るのか? 坊主、インチキはよくねえな」
「インチキ、ですか?」
「ああ! あれだろ? 魔力も何もないただの爪を竜の爪ってことにして売ろうって魂胆だろ? ここの市でそういう真似は見過ごせねえな!」
チンピラ3人はいきり立ち始めた。
「俺達はゴステロさんに雇われて市の警備も任されてるプロのチンピラなんだよ!」
「善意の自警団ってやつだ。市の評判を下げるような真似は許せねえ!」
「囲われ村の市じゃあインチキな売り物が並んでる、なんて噂になってみろ。市全体の評判が落ちて、客足も悪くなる。そうなったらゴステロさんが黙っちゃいねえぞ!」
ルルはスルトの爪をつまみ上げ、チンピラ達に突き出した。
「よく見てください。これは確かに竜の爪です。あの、スルト様という女の子の爪、というわけではなくて、竜の爪なんです。魔力が普通の魔獣の爪よりずっとたくさん含まれているはずです」
「その爪に魔力があるかどうかなんて、俺達にわかるわけねえだろ。こっちは魔術師じゃねえんだ。さあ、痛い目に遭いたくなけりゃ、そのインチキ商品をしまってとっとと村から出ていきな!」
ルルは頭を振った。
何を言っても取り付く島がない。
「……なんだ? 客ではないのか? わたしの商売にケチをつけに来たのか?」
スルトの声に苛立ちが混じり始めたのを、ルルは感じ取った。
いけない、スルト様が怒りを示したら竜の姿に戻ってしまうかもしれない。
破綻を予感したルルの背筋に、冷たい汗が流れる。
そこへ、凛とした声がかけられた。
「そこ! 何を騒いでいる!」
「げ、砦の隊長か」
チンピラ達の顔色が変わった。
見れば、鎖帷子に胸当てを身に着けた女騎士が足早に向かってくる。まだ若い、少女といってもいい年頃か。その手は剣の柄にかけられ、臨戦態勢といったところ。
「また貴様らか。今度は何に言いがかりをつけている?」
「あんたには関係ねえだろ! この市はゴステロさんが仕切ってて、俺達は見回ってただけだ!」
「そうはいかない。私も王国からこの地の警護を命ぜられた身だ。無辜の民が虐げられているとあらば見過ごすわけにはいかん。横暴や不正は正す。それが私の使命なのだから」
「ち……。俺達は何も間違ってねえぞ! この坊主が竜の爪を売ってるなんて出鱈目抜かすから止めさせようとしてただけだ!」
「嘘ついてモノを売るのは悪いことだよなあ?」
チンピラ達の言いように、ルルは言葉を挟んだ。
「嘘ではありません。これは正真正銘、竜の爪です」
女騎士はじっとルル達とチンピラ達を見比べてくる。そして、ようやく呟いた。
「……この少年が嘘をついているようには見えない。が、何か、その竜の爪が本物だと証明するようなものはないのか」
「それは……」
ルルは言い淀む。
スルト様が竜の姿に戻ったらそれは文句のつけようもない証明になるだろうが、そんなわけにはいかない。スルト様が怖がられたり遠ざけられたり、悪し様に言われるのは絶対に見たくない……。
ルルがそんな葛藤に包まれていると、突然の嬌声が弾けた。
「ええー⁉ なんでぇ⁉ なんでこんなところに、嘘でしょぉ⁉」
市の人だかりの中から、黒衣の女が抜け出てくる。黒のローブを羽織って杖を手にしたその姿はいかにも魔術師といった風。ただちょっと風変わりなのは、露店で買ったのか、バッタの顔のような木製仮面を頭に乗せているところか。祭りで浮かれたねーちゃんのようだ。
「こんな辺境の村の市で、この魔力量の……! ねえ、これ高位の魔獣、いや霊獣? の体の一部だよね? ね?」
ルルの手にした爪一欠片。それを両手で覆うようにして黒衣の魔術師は尋ねてきた。
「いえ、これは竜の爪です」
「竜! ああー! なるほどね、そっかあ、道理で……! ……ねえ、君ぃ? これぇー……譲ってくれないかなぁ?」
黒衣の魔術師、妙に猫なで声で腰をくねくね手は揉み手。
と、割って入られた女騎士が声をかける。
「魔術師殿、横からすまないが、それは竜の爪で間違いないのだろうか?」
「そりゃもう! そうでもなければ、こんな魔力量感じられるわけないって話よ!」
バッタの仮面の奥からでもわかる弾んだ声。
女騎士は、そうか、と頷き向き直った。そして、呆気にとられて立ち尽くしていた3人のチンピラ達に問いかける。
「どうやら、魔術師殿はこれが本物だと認めたようだぞ」
「……」
チンピラ達は沈黙する。だが、1人がようやく口を開いた。
「……サクラじゃねえのか? いかにも無関係な第三者を装って、インチキ商品を本物みたいに持ち上げ、他の客達をその気にさせるっていう……」
「他の客になんか売らせないよ! こっちで全部買っちゃうから! 買わせてくれるよね、ね?」
黒衣の魔術師が懇願する。
チンピラ達は再び黙り込んだ。
それを見て、女騎士が問う。
「で、彼がここで竜の爪を売るのに、まだ何か問題でもあるか? あるなら私に言ってみてくれ」
「……ち、行こうぜ」
チンピラ達は唾など吐きながらルル達の前から去っていった。
「ふん、ケチだけつけて買わないとか、質の悪い客だったな」
彼らの背中を見送りながら、スルトはむくれる。
ルルは大きく息を吐いて、女騎士と黒衣の魔術師に頭を下げた。
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
「なに、礼には及ばない。職務を果たしただけだ」
女騎士は表情を緩め、どうってことない、と気さくに手を差し出す。
「辺境警備を仰せつかっている近衛騎士アリアンナ・ラ・ロシュコーだ。この村の近くにある砦の守備隊長をしている。ところで君は……」
「ねえねえ! それより、これ譲ってくれるの? くれないの?」
黒衣の魔術師がアリアンナの声を遮った。最早、竜の爪に食いつかんばかり。
「ここにある全部欲しいんだけど!」
「はい、でしたら……スルト様、いくらでお売りすればよろしいでしょう?」
「それは手っ取り早く20万チェブラ―でいいだろう?」
「そんな大金で⁉ 売れるものなのですか⁉」
ルル達のやり取りを耳にしたからか。バッタの仮面が、どういう仕組みか、ぱっと光ったように見えた。
「いいのぉ⁉ ……言ったね? いいんだね? いただきますよ、と?」
「え? 払ってもらえるのですか?」
「じゃあ、はい!」
黒衣の魔術師は懐からずっしりとした小袋を取り出し、ルルに向かって押し付けた。そして、ルルの手から竜の爪すべてをかっさらう。
「もうこっちのものだからね! 返せって言われても返しませんよ、と! ふぇふぇふぇふぇふぇ!」
黒衣の魔術師は空気の抜けたような笑い声を残して、脱兎のごとく駆け出して行ってしまった。
「待て! まだ代金の確認が済んでいないのに売り物だけ持っていってはいけない!」
アリアンナが制止したが、黒衣の魔術師の身のこなしは素早く、あっという間に消えてしまう。
「……もう見えなくなってしまった。君、代金は大丈夫か?」
アリアンナに問われて、ルルも押し付けられた小袋の中を確認する。
「……あ、大変です! あの人、間違えてます!」
「なんだって! やはり代金を誤魔化されたか」
「いえ、誤魔化されたというかもらい過ぎです」
ルルが小袋の口を開いて見せる。そこに詰まっていたのは全て白金色に輝く硬貨だった。
「これはプラチナ貨だな。1枚で金貨100枚、1万チェブラ―に相当するという高額貨幣」
「はい。それが全部で30枚。代金20万チェブラ―と申し上げたのに、数を間違えたようです」
アリアンナは顎に手を当て、言葉を選ぶように告げる。
「これは……本人はもう行方も分からないし、受け取っておくしかないだろう」
「けれど、これではあまりにももらい過ぎです」
「いや、これがあの魔術師殿にとっての正当な対価だったんだ。竜の爪ほどの品なら、これくらい当然だという意思だろう。彼女はこの額で納得して支払った。いや、むしろあの反応を思い返すと、これでも彼女にとっては安過ぎるくらいの値段だったんじゃないか?」
「そうなのでしょうか」
「きっとそうだ。気にすることはない。……それで先ほど聞きかけたのだが、改めて。君達の名前を教えてもらえるだろうか」
アリアンナに問われて、ルルは自分がまだ名乗ってもいなかったことに気付く。
「失礼しました。こちらは僕のご主人様のスルト様です。僕は従者のルル・ノレールと申します」
「ご主人様に、従者……? ……竜の爪を持つような主人が、この少女……?」
「なにか問題でもあるのか、女騎士よ?」
スルトはふんぞり返って、胸を突き出す。
「いや、私の気のせいだろう。気にしないでほしい。それでノレール……ルルと呼んでもいいかな?」
「どうぞ、アリアンナ」
「では、ルル。君達は旅の途中なのか? 良ければ旅の話など聞きたい。辺境警備の一環として、情報収集に協力してほしい」
「実は僕達は旅を終えたところなのです。ここへは冒険者ギルドのギルドマスターに着任するために来ました」
アリアンナは目を見開いた。
「君がギルドマスター? 随分と若い……いや、何か事情があるのだろうな。その歳でギルドマスターを任されるような何かが。私だってこの歳で砦を任されているくらいだ」
「そういえばアリアンナは砦の守備隊長だそうですね」
「そうだ。人も住まぬと言われる魔獣の荒野、ノーマンズランドと接するこの辺境の地で砦に籠って国境を守っている。といっても、砦にいるのは私一人だけだがな」
「一人? アリアンナの他に誰か仲間はいないのですか?」
「仲間も上司も兵士も誰もいない。気楽なものさ」
「これまでもずっと一人で?」
「私が砦に守備隊長として着任した半年前からずっと一人だ。もともといた前任者は私に引き継ぎもせず、配下の兵士達も全部連れて王都へ帰ってしまっていた。砦の中の役立ちそうなものも全て持ち去ってね」
「そんな……。それでは身一つでゼロから辺境警備の任務を始めたのですか? 兵士も物も全部取り上げられて?」
「そういう嫌がらせを受けるのは、この地へ赴任するよう命じられたときから覚悟はしていたさ。ただ、やはり人手が足りないのはどうしようもない。砦の防備を固め、国境や村や集落を巡回して監視し、異変があれば調査する。そのことごとくが疎かになってしまっている。今の私は、辺境の守護者とはとても言えない状況だ」
アリアンナは頭痛をこらえるかのように額に手を当てる。
ルルもその痛みを感じたかのように顔をしかめた。
「なぜ、そのようなことに。王国軍は何をしているのでしょう。応援を頼むなどした方がよろしいのではないですか?」
「私の要請を聞き入れてくれるようなら最初から苦労はなかったのだけどね。おっと、つい私のことばかり話してしまった。それより君の話を聞かせてくれ、ルル。冒険者ギルドのギルドマスターになりに来たというが、そもそもこの村に冒険者ギルドはないはずだ」
「はい。ですから、自分でギルドを立ち上げることになりました」
アリアンナはそう聞いて短く笑った。
「なんだ、ルルも私と同じように、ゼロからギルド運営を始めるのか」
「まったく、前途多難です。そもそもギルドホール自体が存在しないので夜寝る場所さえ無いのですから」
そこでスルトが弾んだ声を挟んだ。
「だが! もう安心だろう? わたしの爪を売ってギルドを作るための金の問題は一気に解決したのだからな!」
「はい、これも全てスルト様のお陰です。これでようやく、この地に僕達の新しい一歩を印すことができます!」
「そうだろうそうだろう!」
スルトとルルは両手を取り合ってくるくる踊り出さんばかり。
その様子を見ていたアリアンナは一瞬難しい顔をした。
「……わたしの爪……?」
「どうかしましたか、アリアンナ?」
「いや、ともかく無事、君達がこの村へやってきた目的を果たせるのならめでたいことだ。あやかりたいものだな。なにしろ、私には今も空っぽの砦くらいしかない……」
と、アリアンナは言い終えることなく、眉間にしわを寄せた。
「……何の音だ?」
言われて、ルルも耳を澄ます。
地響きのような低い音がした。それから……人の悲鳴。
「……魔獣だぁーっ!」
甲高い絶叫が今まさに村の広場に響き渡った。
「ウィンターベアが来るぞ!」
「なに、なにが来るって? どこに?」
「来たあー!」
地響きが大きくなり、村の一角にある塀が轟音と共に揺れた。石を積み上げた簡易な防壁はそれであっけなく崩れ落ち、噴煙が巻き起こったかのように視界を遮る。
「あれがウィンターベア?」
ルルはそちらに目を凝らす。
咆哮が轟き、ルルは体が震えるのを感じた。
ぬっ、と防壁に開いた穴から白い小山が入り込んでくる。盛り上がった筋肉の塊、それを覆う雪のような毛皮。
「そうだ。ウィンターベア、荒野に冬をもたらす魔獣。私も何度か見かけただけだが、こんな人里に姿を現すとは」
アリアンナは腰の剣に手をかけている。
市に集っていた人々は一瞬、目を奪われて静止した。だが、次の瞬間にはてんでバラバラ、悲鳴を上げたり、走りだしたり、腰を抜かしたりと思い思いの格好で恐怖の感情を露わにしだす。
ウィンターベアは重々しい音を立てながら、村の中を歩き始めた。ウィンターベアが足を進めるたびに、地面に霜が降りていく。魔獣の通った後は白い氷の道のようになった。
「凍っていく……?」
「荒野の猟師達の話では、ウィンターベアは冷気をまとうのだそうだ。子供はそうでもないが、歳を重ねたものほどより強い冷気を放ち、夏でも周囲を白銀の世界に変えてしまう、と」
ウィンターベアは鼻を鳴らしながら首を落ち着かなげに振っていた。が、突然鼻先を高く上げ、何かを感じ取ったようだ。一転して、身体毎ルル達の方へ向き直った。
狙いを市の人々に絞ったらしい。睨まれた村人や行商人が恐怖の叫びをあげ出す。
どす、どす、どすどすどどすどどすどどどど、と次第に速度を上げ突っ込んでくる。
「私が防ぐ。君達は避難しろ!」
アリアンナは短く指示すると、つ、と前に出た。
「スルト様、僕達も……!」
ルルは言いかけて、逡巡する。
人々が混乱の中逃げ惑っていた。
ルル達の目の前で、はぐれたらしい子供が一人、転んで倒れる。
「ライナース⁉ どこだ⁉」
どこかで大声が響き、それを聞いて転んだ子供が泣き出した。
「……父ちゃん……!」
「どうする、ノレノレ? もしかして、わたしに戦ってほしいのか?」
スルトは問いただすようにルルを見上げてくる。そして、抑揚のない声。
「……勇者達と共に戦った時のように?」
……そうすれば、この村の人々の力になれるかもしれない。スルト様に竜に戻って戦ってもらえれば。だが……。それはまたスルト様を皆から恐れさせてしまうことにもなる。スルト様に頼って、それでスルト様に嫌な思いをさせてしまうことに……。
今まで何も理解せず、スルトに竜の力を振るってもらってきた己の至らなさ。
その罪悪感にルルの胸は絞めつけられた。
泣く子供や逃げ惑う人々。そして、スルトに目を移して、ルルは言う。
「……いいえ、スルト様、今はどこか隠れる場所を探しましょう」
「うん? そうなのか?」
ルルは泣きじゃくる子供を抱え上げると、物陰を探して視線を走らせた。
子供の耳元で囁く。
「君はライナス君ですか? 大丈夫、すぐにお父さんに会えます」
露店のいくつかが無人になっている。その陰になら、この子供を置いて、静かに隠れているよう言い含められそうだ。
「これは一体、何の騒ぎだ⁉」
騒ぎを聞きつけて飛び出してきたらしいゴステロが喚いているのが見える。
「魔獣が出ただと⁉ だったら追い返せ!」
「無茶言わねえでくれ、ゴステロさん⁉」
ゴステロは先ほど見かけたチンピラの一人の首根っこを摑まえて騒いでいる。
「何のためにお前らを雇っていると思っている! 払った分働け!」
「ゴステロさんも逃げた方がいいって! そんなこと言ってる場合じゃ、うわっ来る!」
チンピラの悲鳴に、ルルもはっと振り返る。
魔獣が一直線にこちらに駆けてくるのが見えた。
アリアンナはやられてしまったのか? いや、アリアンナの剣をものともせず、強引に横をすり抜けてきたらしい。敵になど目もくれない、ということか。そう見て取ったルルは、そこにウィンターベアの死も恐れぬ必死さを感じ取る。何がそこまで魔獣を突き動かしている?
「ノレノレ、わたしの後ろに隠れろ。主人としての命令だ」
スルトがルルの前に出た。察したルルは声を上げる。
「! お待ちください、スルト様!」
ウィンターベアはルル達の目前まで迫り、突然立ち上がった。小山が壁になったかのよう。高さ5メールトはある。怒りに満ちて右前腕を振りかぶり……と、そこで振り上げた前腕を下ろしてしまった。唸り声を漏らす。
スルト様を前にして何かを感じ取ったのか? そう思ったルルは怯えた子供ライナスを抱きかかえて守りつつ、ウィンターベアの様子を見守った。
明らかに躊躇っている。
ルルの胸の中でライナスが泣き叫んだ。
その甲高い恐怖の叫びに、ウィンターベアは再び唸った。どこか悲しそうな唸り声。ルルにはそう聞こえた。
「……子供を目の前にして躊躇っている……?」
ルルの呟きに、スルトも応じる様に言葉を漏らす。
「子供に反応しているようだぞ、この魔獣。……もしかして……」
そうして、ただ立つだけのウィンターベアの周りに冷気が満ち始めた。霜が降り、大地が白く染まっていく。
「……間に合えっ!」
叫びと共に一閃。ウィンターベアの体が背後から切り裂かれ、血と苦悶の咆哮が漏れだした。
アリアンナだった。ウィンターベアに追いすがり、背後からすり抜け際に剣を振るったのだ。
そして、今は向き直り、ルル達を背後にウィンターベアの前に立ちはだかる。
「無事か、ルル!」
「はい、アリアンナ」
「すまない。止められず、君達を危ない目に遭わせてしまった。だが、二度はない!」
そう言い切ると、アリアンナは素早く剣を突き出した。それを避けようとのけ反るウィンターベア。だが、アリアンナの剣は突きかと思いきやその足元を薙ぎ払っている。
再び鮮血が舞った。
ウィンターベアが吠えつつ一歩退く。アリアンナはすぐに間を詰め、休みなく剣を振るった。
「……押してるぞ」
「……すげえ! あの化け物を一人で追い詰めてる……!」
逃げ遅れた人々が、目の前の光景に感嘆の声を上げ始める。
「やれ! やれ!」
「いいぞ騎士様!」
その時だった。突然の猛吹雪がアリアンナを襲ったのは。さらに野太い咆哮が周囲を圧する。
先ほどウィンターベアが破壊した塀。その穴から、先ほどよりももっと大きな山がのっそりと姿を現す。
白銀の山。
誰かが絶望的に呻いた。
「……もう一頭、だと?」
さらに歳を重ねた個体なのか、巨体からにじみ出る冷気はもはや極寒に近い。すべてが凍り付いていく。
「……くっ……!」
新たな敵の姿を捉えて、アリアンナが息を漏らした。その息すらも白く、凍り付きそう。
その年古りたウィンターベアは獲物を見定めたようだ。
アリアンナに向かって一声吠える。
と、再び吹雪が巻き起こり、人々から視界も熱も奪っていった。もちろん、アリアンナの剣を握る手も凍てつく。
年古りたウィンターベアが仲間の許へと地を揺らしながら駆けた。
動きの鈍った体で二頭の魔獣を相手にする。その状況にアリアンナは呟いた。
「……ここまでか」
「……スルト様……!」
と、絞り出すような声。苦渋に満ちた響き。
「……ごめんなさい、どうか……どうか我等をお救いください!」
事ここに至って、そんな鋭い叫びが吹雪の風切り音を切り裂くように上がる。
「やれやれ、特別だぞ?」
ウィンターベア二頭の前にスルトが飛び出していた。
吹雪の中、その暴挙を目にできたのはアリアンナのみ。思わず叫ぶ。
「危ない!」
その叫びが終わらぬ内に、スルトが膨れ上がった。輪郭が崩れ、真っ赤なエネルギーの奔流が溢れ出す。赤い奔流は幾重にも渦巻き、あっという間にスルトは本来の姿、炎竜の姿へと置き換わった。
金属質に照り返す深紅の鱗。瞳は燃え盛る炎となって輝いている。
≪……寒っむ≫
炎竜は呟くと息を吐いた。炎熱でそれまでの冷気があっという間に熱気に変わる。
アリアンナのかじかんだ指も汗ばむほどだ。冷気を打ち払われて、もはやアリアンナの剣技を妨げるものは何もない。かに見えたが、アリアンナは動かない。いや、動けない。
「……や……」
アリアンナの口から洩れる呻き。
「いやああああ⁉ ヘビィィィィッ⁉」
アリアンナは腰を地面にぺたんと落とし、剣も取り落として錯乱した。
「ルル! ルル! ヘビ! でかいヘビ!」
「アリアンナ、落ち着いてください。彼女は、その、炎竜様です。僕達を守ってくださる神々しき竜ですから」
「こんな急にヘビが⁉ いやああ! 助けて!」
アリアンナはルルにしがみつき、ぎゅうっと強く抱きしめた。恋人の抱擁もかくやという熱烈ぶり。互いに頬を密着させ、鼻先が擦れ合う。
「もが……っ⁉ アリアンナ、苦し……! 放し……!」
≪使い物にならんな≫
炎竜スルトはルル達を一瞥して所見を漏らす。
「……ふぅ……」
スルトに見つめられたアリアンナは口から魂のような呟きを漏らすと、かくんと首を落とした。全身から力が抜けた様子。
「あれ? あの、アリアンナ? どうしました、アリアンナ⁉」
そんな2人から目を離し、スルトはウィンターベア二頭に首を向けた。
魔獣達は威嚇するかのように咆哮を続けているが、炎竜スルトの表面に霜一つつけることはできてない。
並んでみれば、ウィンターベア達は小さく見えた。
炎竜スルトは今、10メールトほどの大きさになっていて、はるか上から魔獣達を見下ろしている。
それでも魔獣は果敢に噛みつきにかかった。人なら一噛みで頭から腰までぐしゃぐしゃに潰されるような一撃。
だが、炎竜スルトの赤き鱗にはひっかき傷すら残らない。
逆にスルトが煩わし気に軽く腕を振るえば、それに当たった魔獣達は大木で薙ぎ払われた様な衝撃と共に転がり、倒れ伏した。そのショックで起き上がることもできないようだ。
そんな魔獣達に炎竜スルトは無慈悲な声をかける。
≪さて、……いかなる理由があろうとも、わたしの従者を傷つけようとした罪は償ってもらうぞ。死刑だ≫
スルトの胸元が膨らんだ。息を吸い込み、体内で灼熱のブレスを練り上げている。その炎は青みを帯び、鋼鉄すらグズグズに溶かしきる。
「お待ちください、ス……炎竜様!」
と、鋭い声でルルがスルトのブレスを止めた。
≪うん? どうしたのだ、ノレノレ≫
「彼等を殺さないでください」
いつのまにか、アリアンナの拘束から逃れたルルは、怯えた子供を抱きかかえて立ち上がっている。その後ろでは意識を取り戻したアリアンナが青い顔でちらちらと炎竜スルトを見上げていた。その両手はルルの肩を掴み、その陰になるべく身を隠そうと試みている。まるでお化けを怖がる子供のように。
≪見逃せというのか? でも、こいつらはノレノレを襲おうとした悪い奴らだ。殺してしまった方がいいと思うぞ≫
「いえ、彼等はそこまで悪い魔獣ではないと思います。子供を見て攻撃を止めました」
そう言って、ルルは無人となった露店のあちこちに目を凝らす。
≪でも、村を襲ったぞ? 悪いだろう?≫
「村にやってきたのには理由があるのだと思います」
≪理由? 市に何か買い物に来たのか? ターコー焼きでも食べたかった?≫
「いいえ、多分、目的はこの子だったのではないでしょうか」
そこで、ルルは露店の陰から、縄につながれた白い子犬のような魔獣を助け出す。売り物に埋もれていたのを引っ張り出した。猟師だという薄汚れた店主の姿はとっくの昔にない。
「無事でよかった。さあ、この子はあなた方の家族ではないのですか?」
ルルは魔獣達にそう呼びかけながら、白く幼い魔獣を縄から解放した。
村の中にいるときからずっと怯え縮こまっていた魔獣は一目散に駆け出す。ウィンターベア達の許へと全力で。
魔獣達は再び咆哮を上げた。だが、今回は霜が降りたり吹雪いたりしない。幼い家族を迎えるための安堵の叫びだったからだろう。
その姿を見て、スルトは殺気を消した。ウィンターベア達に顎で促す。
≪ノレノレがそこまで頼むのなら、見逃してやる。家族ともども去るがよい≫
ウィンターベア達はスルトの慈悲を感じ取ったのか、戸惑ってみえた。それどころか、恐るべき竜から許されて感謝しているようにさえみえる。
その許しが気紛れで取り消されることを恐れたのか、ウィンターベア達はルル達に背を向け駆け出して行った。竜の手が届かぬ所へ急ぐように。再会の喜びを噛み締めるのは後にしたのだろう。
≪まあ、あの程度の魔獣、わたしがいればこんなものだ≫
「ありがとうございました、炎竜様」
ルルの言葉に、炎竜スルトは胸を張る。胸を張りつつ、
≪ところで、なぜわたしを炎竜様と呼ぶのだ?≫
「炎竜様は炎竜様です。そのお姿を見て、炎竜様以外の呼び名がありますでしょうか」
≪いつものように我が名を呼べば……ああ、2人だけの秘密だな、そういえば≫
炎竜スルトは自分達を遠巻きにしている人々に目をやりながら、呟いた。
と、村の塀の辺りでウィンターベアの一頭が立ち止まり、ルル達を振り返った。
そこで、咆哮ではなく鳴き声を上げる。耳障りではない。優しくて短い響き。そうして、その一頭も他の家族達の後を追い、村の外へと出ていってしまった。
ルルは呟く。
「さようなら」
ルルには先ほどの一鳴きが感謝の言葉のように聞こえたのだった。
「……さて、と」
炎竜スルトはいつの間にか、瓦礫の陰に隠れて少女の姿に戻っていた。そして、キョロキョロと辺りを見回す。
「これではもう今日の市はお開きだな。まだまだ面白そうなものがあったのだが」
「幸い、大きな怪我をした人はいないようです。これもスルト様とアリアンナのお陰です」
ルルはそう言って、抱きかかえていた子供ライナスを下ろしてやる。ライナスは一瞬茫然としていたが、その名を呼ぶ声を耳にして、すぐにそちらへ走りだしていった。
その子の背中を見送りながらルルは呟いた。
「スルト様、申し訳ありません……」
「どうした、ノレノレ?」
「僕はまた、結局スルト様に縋ってそのお力を使ってもらってしまいました……スルト様のお姿を知られれば、どんな目で見られるかわかっているのに……」
「わたしは気にしないぞ。それに先ほどはウィンターベアの咆哮で猛吹雪が巻き起こっていたから、わたしが竜になる姿を目の当たりにしたのはいないだろう。……そんなには」
と、声がかけられる。
「ルル、その……」
アリアンナが青ざめた表情のまま、スルトを見ていた。
「彼女は……ヘビではなくてドラゴン……なのだな?」
アリアンナには、スルト様が間近で竜の姿になるところを見られてしまっている。ごまかしようもない。そう観念したルルは覚悟して答える。
「……はい、そうです」
「なぜ、人の姿をしているのだ?」
「それは……」
言いかけたところに、
「おい、あんた! ルル殿!」
ゴステロが泡を食って駆け寄ってきた。
「ルル殿はドラゴン使いだったのか⁉ 勇者の仲間にそういうのがいると聞いたことはあったが……というか、どこから出したんだ、あのドラゴン⁉ そして、急に出てきたと思ったら、今度はどこへ消えた⁉」
ルルはゴステロの剣幕に気圧されながら、何とかスルトの事は口にしないで済むように話題を反らす。
「ゴステロ様、ええと、丁度良かった。いえ、こんな大騒ぎの直後で申し訳ないですが、その、冒険者ギルド建設のための費用が手に入りました。どうかお納めください」
「あ? 金の目途がついたのか? そりゃよかっ……いや、ちょっと待ってくれ。いや、待ってくだされ。あの、ルル殿、まさかあのドラゴンまで冒険者ギルドに居つかせるつもりじゃありますまいな? うちの村にあんな怪物、入れるわけにはいきませんぞ!」
「はい? 炎竜様には当然、冒険者ギルドに参加していただくつもりなのですが……」
「いかんいかん! あんな怪物、受け入れられるわけがないでしょう⁉ 村の外のどこか遠くででも縛っておいてくだされ! さもなきゃ、冒険者ギルド設立のための改修工事の話もなかったことにさせてもらいます!」
「そんな今更、それは困ります」
「ルル殿が困ろうがうちの知ったことではありませんな! 嫌なら今すぐ、村から出ていってもらいたい。野宿でもなんでもして、とにかく村には近寄らんでくだされ!」
「なら、私の砦に来るといい」
後ろから、アリアンナがすっかり落ち着きを取り戻した様子で提案してきた。きりっとした顔をしている。
「村の危機を救ってくれたドラゴンに対して恩義を感じている言動とは思えないな、ゴステロ」
「お、恩義だと? 恐ろしい怪物に感謝しろというのか?」
ゴステロの応えに、アリアンナは首を横に振った。
「彼の顔色をうかがう必要などないぞ、ルル。私の砦なら何も気にせず使ってくれていい。大したもてなしはできないが雨風くらいは防げるからな」
「いいのですか?」
「もちろんだ。何しろ、人がいなくて部屋はいくらでも空いているからな」
アリアンナはきびきびした足取りで歩き出す。
「ついてきてくれ。たまには誰かと一緒に食べる夕飯もいいものだ」
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